第28話黄禍論
猫なで声でそう言い、マティルダは豊かな胸に小生の頭をめり込ませ、シュルシュルと摩擦熱で煙が出そうなほど、小生の頭を掴んで撫でくり回す。
うひぃ、と小生は悲鳴を上げ、身を捩って逃れようとするが、そこは流石に【剣聖】、この腕力で掴みかかられたら逃れるすべはなかった。
「まっ、マティルダ、はっ、離せ、離してくれ――! や、やめよ、婦女がこのように男に端なく縋りついて頭を撫でようなどとは誠に不埒千万――!!」
「なぁにがマティルダ、だ、この可愛い男め! いつも『お姉ちゃん』と呼べと言ってるだろう!? それともか『ママ』でもいいぞ!」
「なぁーにが『お姉ちゃん』だ! ただただ三年一緒に暮らしただけの他人であろうが! それに小生には二十八にもなってまだ独り身の情けない女を姉に持った覚えはない!」
「あ、今のめっちゃ傷ついた。クヨウにそんな酷いこと言われたらもう私、生きていけない……反抗期かしらね……」
よよよ、とマティルダは地面に崩折れて大袈裟に悲しみ始めた。
全く――この女は相変わらず、小生をあのときと同じ、小さな子供であると思いたいらしい。
とにかく、割と本気で傷ついたらしいマティルダに、小生は恐る恐る声をかけた。
「ま、マティルダ、すまぬ言い過ぎた。久しぶりに再会したのだ、これでも小生も嬉しいのだぞ。顔を上げてくれ……」
小生の言葉に、パッ、とマティルダが顔を輝かせた。
「本当!? 本当に私に会えて嬉しいのか、クヨウ!?」
「あ、ああ、ちょ、ちょっと今の触れ合いが強すぎて驚いただけで……小生もあなたの顔を再び見られて嬉しい。その――マティルダ、久しいな」
「久しいとも! お前がこの魔剣士学園に来るのを海の向こうで今か今かと待っていたんだからな! 逸る気持ちを抑えるためにこの三年で私が何隻の軍艦を沈めたと思う!?」
「そ、そういう単位で喜びを表現されるの、小生は初めてなのであるが……。まぁ、あなたならやりかねんな。相変わらず、お強く、お美しいようでなによりだ」
「おっ。……ふーん、そうかそうか、そういうオトナなことも言えるようになったんだな。――さてはお前、女を知ったな?」
「んな――!?」
ボンッ、と小生が顔を赤くすると、ほほーう、とマティルダが嫌らしい笑みで顎をさすった。
「いつまでもか弱い子供だと思っていたが……成る程成る程。これはさしずめ、大八州で取っ替え引っ替えといたいけな女を拐かしたか。奥手に見えて意外にやり手……」
「ん、んななななな、何を申す! 女を知ったかだと!? 聞いていいことと悪いことがあるであろうが!!」
「ほう、そう否定するところを見ると、そんな凛々しく育っておいてまだ女を知らないと?」
「あっ――当たり前だッ!」
「それはよくない!」
マティルダが掌で顔を覆って絶叫し、小生は一瞬、本気で威圧された。
「よくない、それはよくないぞクヨウ! 健全な男子として剣士として、な! 己を知り女を知れば百戦危うからずと東洋の偉い人も言ってるだろうが! なんなら今ここでお姉ちゃんが手ほどきをしてやっても――!」
「やっ、やめよと言っておるだろうが! おっ、おい、軍服を脱ぐな! シャツを着ろ! ほっ、本気でやる気か!? 今この瞬間を人に見られたらどうする!!」
「別にぃ? 私は気にしないぞ。何せお前とは三年間もひとつ屋根の下で共に暮らし、手ずから私好みに育ててやったんだからな? 既成事実としてはそれで十分だし?」
ぐっ、と小生は唸った。
既成事実云々はともかくとして、小生がこの人と暮らし、育ててもらっていたのは――その通りである。
不幸な事故から天涯孤独になった小生を引き取り、本国からの再三の帰還要請を断り続け、大八洲で小生を育ててくれ、この学園への推薦文まで書いてくれたこの妖婦には、正直感謝してもしきれないほどの恩もある。
だがいくら育ての親だからといって、こうも距離感が近いと、小生も流石にこの人をいつか単なる姉貴分だとは思えなくなりそうで怖いのだ。
言葉に詰まった小生を楽しそうに見つめてから――妖婦は妖婦としての顔を引っ込め、小生の保護者だった頃の懐かしい笑顔を浮かべた。
「まぁとにかく――元気そうでよかった。久しぶりだな、クヨウ」
全く、この人は反則だ。
【剣聖】と言えば、もはやその存在自体が大量破壊兵器――たった一人で一国が保有する総戦力と同等の力を持ち、列強国が誇る大艦隊と素手で殴り合いが可能なほどの人間であるというのに、この笑顔と言葉である。
小生が思わず目線を逸らすと、マティルダが机に戻った。
「あれから三年、か。どうだ、学園生活は? もう慣れたか?」
「ここに来てまだ一日しか経っとらんであろう……何もかも、これから見定める予定であるよ」
「ちなみにイジメとかあったらすぐ報告しろ。何しろ私の力は凄いぞ? 何せお姉ちゃんは【剣聖】だからな。お前をイジメたイジメっ子を中心にクレーターを作ってやってもいい」
「物騒な事を申すな……やる気になったら本気で出来るからこそ洒落にならぬ。しかし、何故あなたほどの人がこの学園の学園長に?」
小生の言葉に、ああ、とマティルダが頷いた。
「本当はアルビオンの落ちぶれ貴族が先代学園長の代わりに横滑りする予定だったらしいが、今年この学園にお前が来ただろう? 私がわがまま言ってねじ込んだんだ。少し小突いたら呆気なく席を譲ってくれたよ」
小突いた、か。その人物の頭が胴体と離れ離れになっていないことを祈る。
「何せ、魔剣士学園は今、世界の分割を進めている列強各国の代理戦争の場だからな。そこにアルビオン軍に席を置く私が学園長として着任するのは、本当はよくない、この学園にアルビオンの影響力を増すことになるので非常によくないことだ。だがそんなものは愛の前には無力なのもまた事実――お姉ちゃんの愛情の深さを思い知っただろう?」
「愛情というか執着がすごいのだが」
「愛なんてどれだけ相手に執着したかだろう。とにかく、これは物凄い処置なんだ。後でアルビオン政府がこれをネタにされて他の五大列強国にどんな政治的要求をされるか震えているぐらいの異常事態なのは理解してくれ」
「そ、それだけのことを、何故小生のために……?」
「そりゃあ、お前が心配だからだよ」
にっ、とマティルダは笑った。
「何しろお前はこの学園開学以来初めての東洋からの入学生だからな。単なる差別心なら――と、こう言ってはお前に悪いが、実害がないのであればまだいい。だが時にその差別思想は、ことこの学園では大きな間違いにも繋がりかねん」
やはり――それが理由か。
小生は曖昧に頷いた。
「お前たち大八洲の人間は華々しいデビューを飾りすぎたんだよ。鎖していた国を開いてからたったの三十年足らずであのシン国を圧倒し、列強国の末席に座るまでに急成長した。今世界を統べる五大列強国は、誰もが大八洲のさらなる躍進を警戒している。それが黄禍論――今のお前を取り巻く環境の原因だ」
◆
「面白かった」
「続きが気になる」
「いや面白いと思うよコレ」
そう思っていただけましたら、
何卒下の方の『★』でご供養ください。
よろしくお願いいたします。
【VS】
もしよければこちらの連載作品もよろしく。完結間近のラブコメです。
↓
『俺が暴漢から助けたロシアン美少女、どうやら俺の宿敵らしいです ~俺とエレーナさんの第二次日露戦争ラブコメ~』
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