第23話師

 気がつくと、白い空間にいた。


 小生がはっと正気を取り戻すと、嗄れた声が背後に発した。




『気づくのが遅いぞ、我が弟子よ。武士たるもの、あまり無防備に惰眠を貪るものではないぞ』




 老いてはいる、しかし、枯れてはいない声だった。


 小生は慌てて背後を振り返り、その曖昧模糊とした影に一礼した。




「これはこれは――お久しゅうございます、我が師よ」



 

 この人が夢の中に現れるのは随分久しぶりのこと、実に数年以上ぶりのことだったように思う。


 一礼した小生に、うむ、と目の前の影は頷いた。




『いよいよ念願叶い、そなたが天下に羽ばたくときがやってきたな。どうだ、そなたの学び舎は。上手くやれそうか?』

「さぁ、小生は武辺者なれば、軍で身につけた最低限の礼しか持っておりませぬ故。今後も不慣れな西洋の習慣や礼儀で足元を救われぬよう精進する所存」

『精進する所存、か。相変わらず若者らしくない男だな、そなたも。もっと手放しで朋輩たちと大騒ぎするのが許される歳ではないか』




 ふふふ、と、老人は低い声で失笑した。




「それは――あなたがあなたとして過ごした記憶が、小生の中に残っているからでありましょう?」




 小生は口をとがらせた。




「実際、自分が本当に十七歳の青年でしかないのが不思議に思うことさえあります。小生の記憶は蜂須賀九曜として生きてきた十数年と、小生があなたであったときの記憶が上書きされている。小生は一体いつ生まれて、そしてなおかつ、もうとうの昔に死んでいるはずではないのかと不思議に思うことさえあります」

『それは相すまぬこと。儂が未熟者でなければそなたにそのような不便をかけることはなかったのだがな』




 そう、それは小生が、小生以外の人間にはごく一握りの人間にしか伝えていない話だった。


 小生には、小生がこの目の前に立つ老人だった時の、朧げな記憶があるのだ。


 前世、小生が如何なる名前の人間だったのかすら思い出せないのだが、余程の経験と鍛錬を積んだ武士であったことは、小生も理解していた。


 小生の言葉に、老人はため息を吐いた。




『事実、そなたに師だと呼ばれておっても、儂は真理を極めきれなかった未熟者でしかない。故に解脱すること叶わず転生し、それどころか儂が儂であったときの記憶すらそなたに消え残してしまった。死の間際、たったひとつだけ、惜しいと思うことが、死にたくないと心残すことがあった故に――』




 そう言って師が目を伏せた瞬間、まるで師と小生の脳髄が連動しているとでも言うかのように、老いさらばえた自分の下から旅立ってゆく金髪の後ろ姿の記憶と、そして、どうしようもない愛しさの念が沸き起こってきた。


 小生も目を伏せ、そして言った。




「マリヤ・バレンタイン――我が姉弟子のこと、ですね?」

『左様。なんと女々しきこと、なんと至らぬことよ。老いてから出来た娘の可愛さには、流石の儂も抗えなんだわ』




 老人は自嘲の笑い声を漏らした。


 可愛さ。この老人の口から出てきたとは思えぬ一言に、小生も失笑してしまった。




『何しろ、ただただ剣と武に生きてきた儂だ。共にいてただただ心地よい人間になど出会ったことはなかった。何の間違いかそんな存在が出来てしまった後は、小生はただ武辺者の武士であり続けることなど出来はせなんだ』




 老人は己の恥を告解するかのように言った。




『あの娘がどのように生き、如何なるものになってゆくか見届けたいと願っても、儂の寿命は尽きる他なかった。それ故に儂はそなたに転生してしまった。そのことについては――改めて済まなかったな、九曜』




 老人が頭を下げようとするのを、小生は慌てて阻止した。




「お、おやめください、師よ! それに小生はあなたのような武士が前世の自分であったことを誇りに思っております!」




 それは――本心だった。


 何よりも、この何度も繰り返し見た夢の中で小生を鍛えてくれたお陰で今の小生がある。


 この人には、恩はあれども、恨みの感情などあろうはずもなかった。




「それに、今は小生があなた自身であるならば、あなたの抱えた恥辱は小生の恥辱であります! 幾ら小生があなたを師と呼んでいても、あなたは私であり、私はあなたなのですから!」




 その言葉に、老人は白いひげを蓄えた口元を歪め、照れたように笑った。




『なんだか、妙な気持ちであるな。三百年後の自分が三百年前に生きていた自分を慰めておるとは――』

「え、えぇ、なんだか小生も妙な心持ちであります」




 お互いに顔を見つめ合って失笑してしまうと、さて、と老人が言った。




『お互い、久しぶりの挨拶はこの程度にしよう。今日そなたの夢に現れたのは、別にこれといった理由はない。ただただ愛弟子の門出を祝福したいと思った故のことよ。蜂須賀九曜、そして――儂自身よ』




 滅多になく、この老人が心から微笑んだのが、気配でわかる。


 小生は背筋を伸ばしてそれを受けた。




『そなたがどのような人間となり、そしてどのように生きてゆくのか。儂はずっとそなたを通して見ているぞ。そしてきっと行きゆきて、儂が極めることが叶わなかった武を極め、今度こそ彼岸へと至れ』




 小生は頷いた。


 そう、彼岸。この只者ならぬ人物すら到達できなかった武人の極点。


 おそらくそれは、今世界を一方的に分割している列強国、その頂点に座す【剣聖】を目指すよりも、遥かに困難なこと。


 


『マリヤの他に、儂の見出した全てを受け継いだのは、他ならぬ儂自身であるそなただけだ。きっとそなたなら儂と違う生き方が出来よう。儂のような孤独な爺ではなく、多くの友を得て、四海を兄弟けいていとする事すら――』




 そう、友。この人が前世で手に入れられなかったもののひとつ。


 あまりに常人ならざる技を極めすぎたせいで、誰も共に並び立つことがなかった孤独。


 小生がこの学園に来た理由が多くの友を得るためでもあるのは、ひとえにこの人が感じていた孤独の記憶が小生にもあるからだ。




 友、か。そう考えた小生の脳裏に、エステラの顔が浮かんだ。


 そう言えば、小生にも一人友が出来ました。


 そう報告しようと口を開きかけた瞬間、老人がふと虚空を見上げ、おや、という風に笑った。




『……おやおや、なんだか知らぬが、なんとも心地よい眺めではないか。そなたも隅に置けぬ男よの――』




 その意味深な言葉に、はて? と小生は首を傾げた。


 心地よい眺め? 隅に置けぬ男? どういう意味だろう。


 小生が口を開きかけると、老人はフッと笑った。




『さぁもう行け、儂のような老骨と会話している場合ではなさそうだからな。幸運を祈るぞ、蜂須賀九曜。そして儂自身よ――』




 それだけ言って、老人は如何にも武人らしい立ち姿で踵を返し、白い背景に溶け込むように歩いて行ってしまう。




「あ! 今しばらく、今しばらくお待ち下さい、師よ――!」




 まだ報告したいことがあります! 


 そう言いかけた小生の顔面が、ボフッ! という感触とともに、なんだか柔らかいものに包まれ、息ができなくなる。




 な、なんだこの柔らかいものは!? 今までこんなものはこの空間になかったではないか――!




 軽くパニックになりかけた小生の意識が、そこからスゥーッと浮上して行って……。






「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。



【VS】

もしよければこちらの連載作品もよろしく。ラブコメです。


『魔族に優しいギャル聖女 ~聖女として異世界召喚された白ギャルJK、ちょっと魔王である俺にも優しすぎると思うんです~』

https://kakuyomu.jp/works/16818093073583844433

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