第16話エトノス①

「む……むが……! えっ、エステラ……!」

「……危なかった、間一髪間に合ったわね」

「え、エステラ、どいてくれまいか! く、苦しッ……!」




 この柔らかさ、芳しい女性の芳香、そして圧倒的な質量感は――。


 きゅぽん、とばかりに、伸し掛かってきていたエステラの胸部から顔を引き抜き、上体を起こした小生の目に。


 惨たらしく黒土を巻き上げながら、焦げ臭く真っ黒く両断された学園の裏庭の光景が飛び込んできた。




「ちっ、逃げたか。一撃で粉微塵にしてやろうと思ったのによ――」




 リューリカの人間は執念深くて残虐――。


 エステラの言うことに、どうやら間違いはないらしい。


 昼間、あのナターシャとかいう女にしたたかに蹴り潰された顔に包帯を巻き付けた陰湿な巨漢――イワンが、妖しく光る大剣をぶら下げながらゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。




「よう、イエロー。リターンマッチをしに来たぜ。昼間は抜かったが、今度は正々堂々、魔剣技アリでの勝負と行こうじゃねぇか。……おっと、テメェは魔力ゼロで魔剣技が使えねぇんだっけ? そりゃ可哀想なこったな」




 人を殺しそうな威圧感とともに小生を睨んだイワンの目が、今度は隣のエステラに移動した。




「おい、エステラ。この猿といつの間にこんな仲良くなった? 婚約者様を差し置いて男と逢引とは――こりゃてめぇにも少しキツいお仕置きが必要だな」




 婚約者、だと? 小生が眉をひそめると、エステラが慌てたように小生の前に立った。




「冗談言わないで! 吐き気がする! 剣を抜いてもない人間相手に斬りかかるアンタみたいなクズ、婚約はしてても婚約者だなんて思ったことはないし、これからだって思わないから!」

「ケッ、口の回るメス犬だぜ。おっと、この言葉は幾らなんでも元お姫様相手にねぇやな。……お前は本当に腹の立つ高貴なメス犬だ」

「お姫様、だと?」




 小生が言うと、おや、という表情になったイワンが、残虐に笑った。




「なんだ、知らねぇのかよ。その女の親父の名前はヨガイラ・マリナウス三世……その女は三年前、俺たちリューリカに侵攻されて滅亡した東の小国、カウナシア王国の第二王女よ」




 第二王女、という言葉に、はっと小生はエステラを振り返った。


 エステラは無言で唇を噛み締め、己の腕で己を抱き締め、例の何かをじっと耐える表情になっている。




「ひでぇ話だよなぁ? 俺たちリューリカ軍相手に必死に戦った王家を裏切り、カウナシアの国民議会は降伏の手土産として、第一王女、第二王女を人質としてリューリカに差し出したんだ。そしてそいつは晴れて伯爵令息である俺の未来の嫁、ってことになったってわけだ」




 イワンの厳つい顔が嘲笑に歪んだ。




「安心しろよ、お前の中に流れる高貴な血筋って奴は、この卑しい俺がしっかりと絶やしてやる。テメェはゆくゆくは何度も俺に孕まされて、リューリカ人のガキをボコボコ産む。――お前らカウナシア王家の高貴な血は、野蛮なリューリカ人の血と混じり合って絶えるんだよ。それがお前らの国の国民が望んでることなんだからなァ――!」




 そのあまりに非人道的な一言に、小生の頭に音を立てて血が上った。


 小生は立ち上がって刀の鯉口を切った。




「貴様……! 乙女に向かってなんという……!」

「いい、クヨウ。コイツは私の獲物よ」




 エステラが覚悟を決めた表情で小生を制した。




「いい、コイツとはここで決着をつける。やっぱりこんな奴と一緒の人生なんて歩むことは出来ない。あいつらに人質にされてる姉さんだって、きっと理解してくれる。私はここでコイツを斬る。それが出来ないなら――今ここで私が腹を切って死んでやる」

「エステラ――!」

「サムライとは、武士道とは、如何に善く死ぬか――でしょ?」




 にっ、と、エステラが随分無理をした表情で微笑んだ。




「面白い発想じゃない。自分ではなく、名誉を守るために死ぬ――そんなの、騎士道だって敵いっこない。死を恐れない相手は誰だって敵わないものだからね」

「エステラ、それは――!」

「――ごめんなさい、クヨウ。やっぱり、さっきあなたが言ってくれたこと、私にはまだほとんど理解できない」




 エステラが瞬時目を伏せてそんなことを言う。




「けれど――少しだけ、理解も出来た。私の祖国はまだ滅んでいない。私が、私という人間がリューリカの支配に抵抗を続ける限り、祖国は私の中にある。だからアイツに、運命に抵抗する。私の祖国を私の中から消さないために……」




 エステラはその言葉を最後に立ち上がると、首飾りを巻き付けた剣の柄に手をかけ、一息に抜き放った。




 身幅は細身の――しかし、鏡のように磨き上げられ、ひと目で大業物と知れる宝剣。


 予想以上に堂に入った構えで剣の鋒をイワンに向けたエステラは、腹の底から声を張り上げた。




「この学園内で許可のない抜剣は重大な規則違反――この場を押さえられればアンタに逃げ場はない! それを知った上での行為でしょうね!」

「けっ、この学園の教授どもがその人間未満の黄色い猿を擁護するとでも思ってんのか? この学園に対するリューリカの影響力もある。どうあっても列強国出身の俺が悪いことにはならねぇのよ」




 イワンは意地悪く嗤った。




「安心しろ、テメェは殺しゃしねぇ。多少未来の旦那様の偉大さを知ってもらうだけさ。その後、そこの魔剣技の使えねぇ魔力ゼロの猿は散々いたぶって八つ裂きにしてやるよ。屈辱の仕打ちには倍以上の屈辱で返す――それがリューリカの鉄則だ」




 支配。そのイワンの言葉に、エステラの殺気が揺らいだ。


 その恐ろしさを知っているためか、心は平静、というわけには行かぬようだ。




「エステラ――」

「黙って。いい? クヨウ。あなたが知らない【エトノス】の力、今から私が精一杯あなたに教える。あなたはそれを見て学んで――そしてなんとしてもこの場を生き延びて」

「エステラ、覚悟の、覚悟の上であるな?」

「えぇ、お願い、武士の情けで私に預けて。――使い方合ってる?」

「合っているとも。ならば預ける。小生があなたの闘争を見届けようぞ」

「ありがとう。さぁ、お喋りは終わりよ――」




 小生はエステラの側を離れ、邪魔にならぬ場所へと離れた。


 それを見たイワンが顔を歪めて小生を睨みつける。




「おい、猿。くれぐれも言っておくが逃げても無駄だぜ。テメェはたとえ地獄の底まで追い回して斬り刻んでやる。そこのメス犬もそれを見せられれば――」

「ふん、外道め。貴公程度の腕前ではエステラの心まで折ることなど到底出来ぬ。再び吠え面を掻くのは貴公の方であるぞ」

「な、何――?」




 小生の言葉に、イワンの厳つい顔が紅潮した。


 小生は堂々と言い放った。




「昼間あれだけ無様を晒して尚、再び恥の上塗りをしに来るとは――貴公が如何にその豪剣を振り回そうとも無駄である。一度死したる覚悟を決めた者には真田の槍も為朝ためともの矢もこれをとおらず――。頭の悪い木偶でくの坊にはどうやらその理屈さえわからぬらしいな? ん?」




 木偶の坊。小生の悪罵に、イワンの魔力と殺気がむんと濃さを増した。


 やれやれ、この程度の安い挑発に乗るとは――本当にこの男の性根は救い難い。




「今の言葉、地獄で百万遍でも後悔しろや……! おいメス犬、後悔するなよ! 本当に俺とやるってんだな!!」

「何度も言わせんな、この木偶の坊ッ! ここで私の魂を折れるもんなら折ってみなさいよ!!」

「上等だ、リューリカの【支配】のエトノスの恐ろしさを魂の底まで刷り込んでやらァ!!」




 【支配】のエトノスだと? 小生が眉を顰めた瞬間、イワンが大剣を大きく振り抜いた。


 瞬間、ドバッという音とともに発光した刀身から紫電が迸り、土煙を巻き上げながらエステラに殺到した。


 エステラは猫科動物の俊敏さでそれを躱し、危うく地面に着地する。




「俺は『ストレングス』のイワン、そしてリューリカが誇る俺の【支配】のエトノスは強力だぜ。俺の《雷撃ライトニング》を喰らえばどんな強情な人間でも地べたにひれ伏して命乞いをするもんさ――」




 自慢気にイワンがそう言い、小生は瞬時考えた。


 魔剣技自体は小生も理解しているが――【エトノス】なるものにはそんな理屈もあるというのか。


 師ですら知らぬだろうその威力の凄まじさに舌を巻いていると、エステラが大声で言った。




「いい、クヨウ? 【エトノス】というのは、それぞれの国家が研究し、専門的に発展させてきた魔術の術式体系のこと――つまりそれぞれの民族に固有の魔剣技ってことよ」






「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。



【VS】

もしよければこちらの連載作品もよろしく。ラブコメです。


『魔族に優しいギャル聖女 ~聖女として異世界召喚された白ギャルJK、ちょっと魔王である俺にも優しすぎると思うんです~』

https://kakuyomu.jp/works/16818093073583844433

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