第12話【女帝】

「ギャ――!!」




 しかし次の瞬間、聞こえてきたのは、肉を打つ鈍い音と、男の野太い悲鳴だった。


 小生が振り返ると――奇妙な光景が飛び込んできた。




「おーおーイワン、随分と無様を晒してくれたな、皆の、そして他ならぬ私の前で……」




 小生は一瞬、目の前で起こっている事態を測りかねた。


 まず目に入ったのは、陽光を受けて妖しく光る、艶やかに波打つ黒髪であった。


 まるで宝冠のような黒髪を振り乱し、女は闘技場に倒れ伏すイワンの顔を、軍靴の踵で真上から蹴り潰していた。




「な、ナターシャ、すまん……! だっ、だが、今のは何かの間違いだ! 俺がイエロー相手に押し負けるなんざ有り得な……ぐえっ!?」




 イワンのその悲鳴は、無慈悲な女の追撃によって終わった。


 女が足を持ち上げ、イワンの口を真上から蹴り潰したのだ。




「言い訳はいいよ、聞きたくはない。それにそのイエロー、お前が言うところの黄色い猿相手に、たった今白旗を上げたのはどこのどいつのどの口だ? お前が、この口で、そう言ったんじゃなかったか?」

「あ、あが……! ご……!!」

「全く、事前に大層並べ立てておいて、まさかあれだけ無様に負けてくれるとは。お前はまさしくバザロフ伯爵家の恥、リューリカの面汚しだよ、イワン」

「そっ、そこの女子生徒! 学園内での生徒間の暴力行為は校則で禁止されていて……!」




 試験官の女性が叫ぶと、女がそちらを振り向いた。


 振り向いて顔を見た瞬間、小生の側を冷気としか言えない風が通り過ぎた。




 この女――只者ではなさそうだ。


 顔の造作の端正なることもそうだが、それ以上に、本人の中に決して融けない氷がある。


 そう思わせるほどに冷え冷えとしていて、しかし反面、雌としての壮絶なまでの色香を漂わせる女。


 ナターシャ、と呼ばれた女は、ニッコリと、完全に作り物の笑みを浮かべた。




「心配いりません、すぐに済みます。それと勘違いしないでほしいのですが――これは暴力行為ではありません、リューリカ流のしつけですよ」




 それだけで一切の言葉を封じ、ナターシャはイワンの顎を踏み潰したままの足に、捻るような動きを与えた。




「とにかく、この件はしっかりと本国に報告させてもらう。二度とこの口で吹くな。ただでさえ私はお前の品性の卑しさが大嫌いなんだ――」




 冷たく言い放ち、女子生徒はイワンの顔から足を上げた。


 それから振り返った女は、小生の隣りにいるエステラを見ると、ツカツカと歩み寄ってきた。


 


 殺気はない、殺気はないが――油断ならない相手に思えた。


 小生が刀の柄に手をかけると、エステラが手でそれを制した。




「久しぶりだな、エステラ。さっきはあのクズが失礼な口を利いた。私が代わりに謝罪する」




 出てきたのは、意外な謝罪のセリフだった。


 小生がエステラとナターシャに視線を往復させると、随分無理をした様子でエステラが何度か頷く。




「もういい。謝罪はいらない。それに今、クヨウが私の恥を雪いでくれた」

「ああ、そのようだな。――クヨウ・ハチースカ、とか言ったな、君」

「あ、ああ、そうだが……」

「君にも謝罪させてくれ。アレは我が国が世界に誇る恥なんだ。私の権限を持ってあの木偶の坊が投げつけた罵詈雑言の全てを撤回させてもらう」

「それはいいが……恐れながら、曲がりなりにも同胞に対して随分な口ではありますまいか。木偶の坊だ国の恥だなどと……おまけにあのように衆目環視の中、無抵抗の男を踏みつけにするなど……」

「今言った通り、アレはしつけだ。リューリカ流のな」




 ナターシャはそこで意味深に微笑んだ。




「だが一度晒した無様を放置するほどリューリカの人間は寛大ではない。それだけは忠告しておくぞ、ハチースカ。我が国はいずれ炎と鉄とを以て世界最強の大国となる国だからな」




 寛大ではない――どういう意味だ、と問うのも野暮な、この一瞬の殺気。


 どうやら、どうあっても、どのような手段を用いてもこの雪辱は晴らす、と言いたいらしい。




「それはお互い様である。大八州もやがては世界に名だたる強国となる国。いずれは刃を交えることもあろう。それがいつ如何なる時であっても小生は受け入れる。サムライとしてな」

「そうか、サムライ……それが君の身分か。そして君のその剣……凄まじいまでに強く、美しい剣だった……」




 ナターシャが小生が腰に帯びた刀を見て、うっとり、としか言いようがない笑みを浮かべた。


 ぞっ……と、なんだか今までで一番、底知れぬ怖気を感じた小生に、ナターシャが蕩けるような微笑みを返した。




「まぁ、後でどんなことがあっても後悔はしてくれるな。リューリカの人間はしつこい。何せ寒い国だからな……」


 


 よくわからないが、なんだか爽やかさに感じさせるほどの捨て台詞を残し、ナターシャは生徒の列に戻っていった。


 それとともに呆気に取られていた様子の同窓たちの空気も元に戻り始め、試験官の女性が正気に戻った顔になった。




「訊くのも異なものだが……あれとも知り合いか?」

「残念ながら、ね。アレはナターシャ・クルニコワ……人呼んで【女帝エンプレス】のナターシャ……」

「【女帝】……なんだそれは?」

「タロット、っていう西洋の占いに用いられるカードの名前。この学園で特に有力な生徒につけられるあだ名みたいなもんね」




 あの美貌には似合わない物々しいとも、ぴったりとも言える二つ名の響きに小生が息を呑むと、エステラが説明を加えた。




「とにかく、あの人が大国・リューリカからの入学生のリーダー、いや、支配者なのは間違いないわ。上級生も彼女の存在には一目置くはずよ。絶対に力ずくでは逆らえないわ、あなたも用心して。何せ彼女の【民族的魔術体系エトノス】は本物だから――」

「ん? えとのす?」




 聞き慣れない言葉に、小生はオウム返しに問うた。




「エステラ。えとのす、とはなんだ?」

「えっ」

「えっ」

「え……? 【エトノス】、わかるでしょ? 【エトノス】って言ったら【エトノス】じゃない。あなたこそ何を言ってるのよ」

「う、うん……? 蜂の巣なら知っておる。小さい頃戯れに木刀で叩き落して偉い目にあったが」




 なんだ、なんなのだ、エトノスとは。


 人生で一度も聞いたことのない単語だったが、エステラの顔はどう見ても戯れを言っている顔ではない。


 そんな重要な単語なのだろうか、と思っていると、エステラの顔からサーッと血の気が引いた。




「えっ……まさかあなた、【エトノス】知らないの? ほ……本気で?」

「知らぬ。なんだそれ? 聞いたこともない。師もそんなこと言っておらなかったが……」

「ほ、本当に――知らないの? そ、それ、かなりヤバいわよ。そっ、そんなレベルの人が一体どうやってこの魔剣士学園に……!?」

「ええー、それでは次は筆記試験の方に移ります! 皆さん、試験会場に移動してください!」




 エステラが引き攣った表情を浮かべた瞬間、試験官の女性が被せるように言った。


 小生は刀を腰に戻して踵を返した。




「まぁ、よくわからぬが――それはそうと、次は筆記だ。実技は出来ても学業が出来ねば話にもならぬ。ここで落ちこぼれぬようにせねばな」




 そう言って、小生はぞろぞろと列を為して移動を始めた学生たちの後を追いかけた。


 ただ――エステラだけは。


 エステラだけは、小生を見つめたまま、何かを思い悩むとも、決意したとも取れる表情で、しばらく動くことはなかった。






「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。

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