悪魔デモニシオの魂の洗濯

ジャック(JTW)

洗濯屋の朝は早い

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 悪魔の世界では、人間の魂が通貨として使われている。悪魔にとって、人間の魂は何よりも価値のあるものだからだ。

 しかし、あまりにも、生前の罪業ざいごうや欲深さで汚濁まみれの魂は悪魔にすら敬遠される。人間が、錆びて汚れた硬貨や、染みのついた札をイヤがるのと同じ心理だ。 


 だからこそ、悪魔デモニシオのような、魂の洗濯屋という職業が必要とされている。

 悪魔デモニシオの仕事は、汚れきった魂を綺麗に洗濯し、ピカピカに仕上げることである。


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 洗濯屋の仕事は、魂の汚れ具合を診断するところから始まる。本日の魂は、〝嫉妬しっとぬめり〟と、頑固な〝憎染にくしみ〟、固形の〝嘘ヘドロ〟がこびりついている。見るからにとびきりしつこい汚れだ。この魂の持ち主は、生前どんな罪を犯したのだろうか。


「今日の仕事は大変だ……いやまあ、いつものことか」


 そう言いながら、悪魔デモニシオは戸棚を開けて、適切な薬剤の選定に移る。戸棚の中には、様々な場所から仕入れた薬剤や石鹸がたくさんある。

 この中から最適な道具を選びぬくのも、洗濯屋の仕事に必要な技能だ。


「〝嫉妬ぬめり〟には、人々の感謝の祈りからできた『人徳重曹じんとくじゅうそう』がよく効く。〝憎染み〟も、『人徳重曹』で浸け置きしておけばある程度は取れるだろうけど、この〝憎染み〟は頑固そうだ」


 悪魔デモニシオは、『天国水てんごくすい』と書かれたタンクのそばにある蛇口を捻り、まず水洗いを始めた。


「〝嘘ヘドロ〟は、天国に流れるせせらぎの水で、丁寧に洗い流す。それでも取れない場合は、天使の涙の結晶から作られた『天使石鹸てんしせっけん』で、擦り落とす。魂専用ブラシがあると、汚れ落ちが良い」


 時間をかけて、『天使石鹸』を使って丹念に擦っていくと、少しずつ魂の元の色が見えてくる。


 人間の魂は、元々本当に綺麗な白をしているのだ。生きていく過程で、汚濁や泥濘に塗れてしまうだけで。


 揉み洗いが終わると、次は浸け置き過程に入る。ぬるま湯くらい温度まで熱した天国水一リットルに対して、『人徳重曹』を大さじ四入れる。


 『人徳重曹』は多ければ多いほどいいと思われがちだが、実はそんなことはない。あまり多くの『人徳重曹』を入れて濃い水溶液にしてしまうと、排水管の目詰まりを起こす可能性があるので、注意が必要だ。


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 半日ほど浸け置きしていた魂を、手でぎゅっと絞る。すると、魂の内部から、〝嘘ヘドロ〟の汚れと〝憎染にくしみ〟の成分が混ざった汚れがこぼれでてくる。


 汚れた水は、排水口に流す。この廃水は、悪魔の世界の毒沼に送られる。毒沼を超強力毒沼クソヤバどくぬまに変貌させる試みに使われるのだそうだ。

 人間の魂の汚れは、無駄がなくて良い。


 人徳重曹の水溶液に浸け込んでおいたお陰で、随分〝嫉妬ぬめり〟は取れた。しかし、しつこいしつこい〝憎染み〟は、まだ大部分が残ってしまっている。


 そんな時には、『業務用魂洗濯機』を使うのだ。禁断の果実エッセンスを使った魂洗濯用薬剤『アッポー洗剤』を規定の量計って入れて、スイッチを押す。


 かつては全て手作業で行っていたが、悪魔社会にも文明開化が起きて、便利な機械がたくさん発明された。その恩恵を、悪魔デモニシオも受けている。


 どうやら、著名な研究者や、職人と取引して、その技術を手に入れた悪魔がいるらしい。いろんな悪魔がいるものだと、悪魔デモニシオは微笑んだ。


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 業務用魂洗濯機が回り終わるまで、悪魔デモニシオは手持ち無沙汰になる。そんなときは、人間の絶叫を録音したレコードを流してリラックスタイムにする。悪魔になってから、人間の叫ぶ声が心地よく感じるようになったのだ。今日のレコードは、『遊園地〜フリーフォールの叫び声を添えて〜』というタイトルだ。


 魔紅茶まこうちゃをのんでまったりしていると、業務用魂洗濯機が、ビービーという蜂の羽音のような音を立てた。洗濯終了の合図だ。


 悪魔デモニシオは、業務用魂洗濯機の蓋を開けて、魂を取り出す作業に移る。たまに、業務用魂洗濯機の内部に落ちて蓋が閉まり、出られなくなる事故が起こるらしい。悪魔デモニシオは、単独行動をする悪魔のため、事故が起こった際にすぐには助けてもらえない。


 底が深い業務用魂洗濯機に落ちないように、悪魔デモニシオは慎重に身を乗り出して魂を取り出した。


 洗濯機にかけた魂は、真っ白になっている。悪魔デモニシオはぴかぴかになった魂を見るのがとても好きだ。


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「さて、次は乾燥だ」

 

 魂を乾燥させる方法には、大きく二種類ある。魂乾燥機に掛ける方法と、魔太陽の光にあてて自然乾燥させる方法だ。悪魔デモニシオは、後者を好んでいる。魔太陽またいようの光をたっぷり浴びた魂は、得も言われぬいい匂いがするのだ。


 幸い、今回の依頼は、急ぎの案件ではない。


 悪魔デモニシオは、洗濯屋に備え付けられた小窓を開けて、戸棚の上に魂を置く。単に魂を置いただけでは、転がり落ちてしまう危険性があるので、特製の固定具付きの棚を作ってある。魂用洗濯バサミで、魂が傷つかないように押さえて、そっと固定する。


 あとは、時間が経って、綺麗に乾燥するのを待つ。今日は、魔太陽燦々の洗濯日和だから、早く乾くだろうと悪魔デモニシオは思った。


 魂の乾燥を待っている間、悪魔デモニシオは、昼食の準備をすることにした。今日のメニューは、バジリスクが生んだ卵とオーク肉のベーコンを使ったベーコンエッグと悪魔レタスのサラダと、黒パンと珈琲。


 悪魔デモニシオは、時止めの倉庫から卵とベーコンを取り出した。ヒワリ油をフライパンに広げ、フライパンを火の精の焔で熱する。

 よく温まったら、オーク肉のベーコンを乗せて、その上にバジリスクの卵を割り入れる。


 絶海氷壁ぜっかいひょうへき付近に降る雪の雪解け水を少量回しかけ、フライパンの蓋を閉じる。弱火で暫く待つと、美味しそうなベーコンエッグが完成した。


 重厚で甘みのあるオーク肉と、滋味のあるバジリスク卵の相性は最高だった。これは、天界では絶対に食べられなかったものだ。悪魔になってよかったと、悪魔デモニシオは微笑んだ。


 悪魔デモニシオが食事と後片付けを終えた頃、魂の乾燥は終わっていた。手袋をしてそっと持ち上げると、自然乾燥させた魂特有の、ほんのりといい香りがする。仕上げた魂の美しく素晴らしい出来栄えに、悪魔デモニシオは思わず息を呑んだ。


 最後に悪魔デモニシオは、魂を静かに台座に置いて、祈りを捧げる。

 

「いと尊き魂よ、現世での穢れを禊ぎ、新たなる旅路に幸多からんことを」

 

 これは、洗濯屋として必要な工程というわけではなく、悪魔デモニシオがまだ清廉なる天使だった頃の習慣の名残であった。


 悪魔デモニシオは、一仕事を終えて、大きく伸びをする。彼の背中には、黒く染まった堕天使だてんしの翼があった。


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 やがて日が暮れ、一日の終りがやってくる。


 悪魔デモニシオは、ピカピカに輝く美しい純白の魂を丁寧に梱包して、依頼主に引き渡す準備をする。


 悪魔デモニシオは、明日も明後日も、こうして、洗濯屋としての業務に励むのだ。そんな日々が愛おしくて、悪魔デモニシオは笑顔を浮かべた。


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