1-2 愛しの毛増神社へGO!(3)

 それから、約3時間が経過するあいだ――房総の運転する真っ赤な車は国道231号線を日本海に沿って北上し、お昼過ぎに毛増町けましまちへとたどり着いた。冬場は日本海から吹き付ける吹雪などで荒れることも実に多いルートなのだが、このときばかりは奇跡的に好天で、トラブルも無くスムーズにドライブができたのだった。

 お正月という特異的な時期の、しかも日本でも有数の人口密度が少ない地域を通る路線である。走行中に出会うのは人間ではなく「アーアー」と鳴きながら海岸線を飛び交うかもめたちばかり。すれ違う車の交通量も少なく、お昼ごはんを食べる店もほとんどない。

 結局三人は、オレンジ色の看板で、お正月も営業している数少ないコンビニでおにぎりやパンを買い、それで昼御飯を済ませることにした。


 走行途中の会話は、当然、同級生としての小、中学時代の思い出話である。

 だがその話も尽きると、今度は蘭が中学生の時に札幌から引っ越してからの、その後の暮らしの話になった。


「ふうん……蘭ちゃんはずっとあれからアメリカにいたんだね……。ご両親は残ったままだけど、自分ひとりだけで最近日本に戻って来た、というわけか。ってことは、蘭ちゃんは今、ひとり住まいってこと?」


 (ほれ、今がチャンスだぞ)とばかりにバックミラー越しに典史へとアイ・コンタクトを送る、房総。典史はそれに気づかないフリをして、左側の窓ガラスに映る冬の白波立つ日本海の景色を眺め続ける。

 房総の質問の後、ちょっとした間があってから、しみじみとした口調で蘭がそれに答えた。


「……ええ、そうよ。アメリカでの生活も良かったけど、日本の生活も恋しくなってね。大学の経済学研究室の助手をやってたんだけど、やめてこっちに来た。今は職を探してる」

「へえ……。すげえな、蘭ちゃん。アメリカの大学の助手なんて。ってことはさ、経済学博士とかそういうやつになったんだべ? 俺なんか、情報関係の専門学校卒業してからプログラマーになったけど、結局今は、職を転々としてコンビニの店員やってるし……。ところでテンシは、東京で何やってるのよ?」


 自分のアイ・コンタクトに応じない典史に、房総は無理矢理、話題を向けた。

 急に自分にスポットライトが当たったことに戸惑いを隠せない、典史。


「ぼ、僕? 僕は、不動産関係の営業さ。東京……といっても本当は埼玉の大学だけど……4年間適当にかよって、適当に学生生活を過ごして、適当に就職活動したよ。それで気付いたら、今の会社に入ってた。地主にその土地活用の企画提案して、物件の運営と管理と任せてもらう、って感じの仕事さ」

「へえ……そんな商売があるんだな――って、もうそろそろ到着だ」


 疾走中の赤い小型車がスピードを緩め、国道から右の脇道へとれてゆく。

 その行く手には、こじんまりとした森に佇む神社のやしろと、地方の神社には不似合いなほど広めな駐車場があった。

 が、すぐに「げっ、ほんとかよ」と声を上げたのは、房総である。神社の用意する駐車場は、今までの道程みちのりですれ違った台数に匹敵、もしくはそれ以上の台数の車で溢れていたからだ。


「いや、すげえな。なんで毛増町にこれほどたくさんの人が――」


 房総が、そう言いかけたときだった。

 駐車場に溢れる人たちに共通する、ある特徴・・・・に、彼は気付いた。ほぼ同時に、欄もそれに気付く。

 二人は、車の後部座席に座る典史の頭部をじっと見入った。

 肩をすくめた典史が、おもむろに口を開いた。


「なんだよ、その目は……。そうだよ、僕がここに来たかったのは、そういうことさ。この毛増神社の、すごい御利益があるという『御守おまもり』が欲しかったんだよ」

「ご利益って、当然、頭部の毛が増すということよね――?」

「蘭ちゃん……他に、何がある?」


 そう言われて、房総と蘭が改めて辺りを見渡す。

 すると、行き交う人々の共通特徴としては、そろいもそろって頭の毛が寂しい、という点だった。もちろん、そのレベル・・・は、人それぞれ、であるけれど――。

 除雪の行き届いた圧雪状態の駐車場で、きゅっきゅと足音を鳴らしながら颯爽と歩く男たち。正月参賀日の神々しいお天道様の光を気前よく乱反射させながら、見る者の眼を眩しくさせている。


「早速、お参りだ!」


 呆然とする房総と蘭を尻目に、ただひとり、典史の気合が入る。

 鼻息も荒くドアを開けると車から降り、ズカズカと神社の社に向かって進んでいく。


「おい、待てってば! そんなに急いだところで、神様は逃げないぜ」

「……典史テンシ君、急に張りきり出したわね」


 慌てて車から降りる、蘭と房総。

 一瞬目を合わせて肩をひそめると、かろやかにステップを踏んで進む典史の後を追った。

 鳥居とりいを過ぎ、境内けいだいに入る。

 するとそこは、冬の北国の小さな町とは思えないほどの熱気で溢れていた。まさに、ギュウギュウ詰めのサウナのような『男祭おとこまつり』状態である。


「今年こそ、ふさふさになれますように」

「ハリネズミのように丈夫な毛が生えてきますように」

「彼女がもふもふしてくれるくらいの頭になれますように」


 20代の若者から50代以上のベテランまで――。

 幅広い年齢層の男たちが、誰はばかることなく、『賽銭箱さいせんばこ』の前で声を上げてお祈りをしていた。当然、周りにいる大勢の人々に聞こえてしまうことなど、気にも留めていない。

 典史はといえば、もう既に、賽銭箱の前に並ぶ行列の末端で自分の順番を待っているところだった。


「……」


 呆気にとられた二人が、賽銭箱のある拝殿へと向かう途中。

 房総と蘭は、悪意のこもった鋭い視線を全身――特に、額の辺りに浴びていることに気付いた。「頭の毛の豊かな人間が、どうしてこんなところにいるんだよ!」という怒気どきを含んだ抗議の視線だ。

 この状況下では、至極当然なことだった。


「なあ、蘭ちゃん。この神社って、増毛ぞうもうの他にも『ご利益りやく』ってあるんだよな? そうでないと俺たち、ここまで何しに来たんだか……」

「さあね……どうなのかな。私、Americaアメーリカでそのことは学んでこなかったから、全然分からない」

「……テンシもさ、あきらめが悪いんだよ。もう多分、手遅れなのにさ……。でも、人間は見た目で決まるわけじゃない。問題は中身なんだし、あんまり気にする必要もないと思うんだよね、俺は。蘭ちゃんも、そう思うだろ?」

「私からは、なんとも……。でも、きっと大丈夫よ、彼なら」


 そう言うと、なぜか蘭は、今日一番のキラキラ笑顔を房総に送った。

 あまりの魅力的な笑顔にくらくらして、一瞬勘違いしそうになる房総。でも、0.5秒で「自信がないときほどいい笑顔をするという、彼女独特なものに違いない」と思い直し、曖昧な相槌を打った。

 そんな間にも、多分人生でこれほどの真剣な顔はしたことはない――というほど真剣な顔つきで勢いよく柏手を打ち、彼にしては奮発したと思われる『千円』を賽銭箱に惜し気もなく投げこんでお祈りのポーズをする典史の姿があった。


「……しますように」


 周りの喧騒に声をかき消されてしまった典史が深くお辞儀をして、境内の隅に佇む二人の連れのもとへと合流する。

 普通だったら「今、何をお願いしたの?」とかいう会話もあるかもしれないが、ここでは特にそれを必要とはしなかった。ここに集まった人々の願いはただひとつ――そんな雰囲気が雪景色に埋もれたこの神社の境内に充満しているからである。


「あれ、二人はお参りしないの? せっかく『聖地』に来たのに」

「うん……まあ、いいかな。俺たちは」

「そうね」

「ふうん……そうなの。もったいないと思うけどなあ。まあ、いいか。ならば、御守おまもりを皆で買って帰ろうよ!」


 車中での雰囲気とは打って変わって饒舌になった典史。

 鼻息も荒く御守売場へと向かう典史の背中に向かって房総が言った。


「なあ、典史テンシ! 俺たちは、あっちの方にあるおみくじを引くことにするわ。蘭ちゃん、それでいいよね?」

「え? まあ、そうね……」

「あ、そう。じゃあ、僕は御守を買ったら、そっちに行くから」


 右手を上げただけで振り返らずそう言った典史の背中を、欄は凝視するように見つめている。

 その視線の熱さに気付いた房総が、茶化すように言った。


「ん? 蘭ちゃん、やっぱりテンシのこと気になるのか?」

「ま、まさかそんなんじゃないわよ。ただ――」

「まあまあ、隠さなくたっていいって。そういえばテンシ、中学の頃はまだ毛もふさふさしててモテてたものな」

「そんなんじゃない!」


 にやつく房総の右足の先を、蘭が勢いよく踏みつけた。

 奇声をあげ、飛び跳ねる房総の横で、それでも視線を彼女は典史から外さない。


「そんなんじゃないんだってば……」



 帰りの車内――。

 おみくじを三本も引いたのにすべて『大凶』だったと落ち込む房総が運転する後ろで、『増毛ぞうもう祈願』と書かれた赤い御守を三つ、髪の毛の寂しい部分に乗っけて有頂天になる典史の姿があった。


「東京のことならさ、何でも聞いてよ。っていうかさ、今度東京に来る機会あったら連絡して。どこでも、案内してあげるよ」


 ほくほく顔で、東京での生活を延々と話し続ける典史に、房総は辟易とする。

 助手席の蘭は、その話を半分聞き流しつつも相槌を打っていたが、あるとき、窓ガラスに向かって、ぽそり、呟いた。


「またいつか、三人で会えたらいいね……」


 時折右手に見える鉛色の日本海を眺めながら、浮かない顔で帰りの車に乗り続ける、蘭なのであった。

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