1-2 愛しの毛増神社へGO!(2)

 ――それから約三十分の後。

 歯磨きや着替え、念入りな頭髪のセットなど、典史が外出準備をようやくひととおり済ませた頃のこと。自分の部屋で一息ついていた彼の耳に飛び込んできたのは、ちまたの噂では聞いたことがある、20世紀の暴走族やんちゃなひとが発するかのような音量の激しい車のクラクションであった。

 しかも、1発だけではない。

 何かのリズムに乗るように、間髪入れず5発も、辺りに鳴り響いたのだ。


(ま、まさか、今のは――)


 部屋の窓を急いで開け、乗り出して外を眺める。

 同時にマイナス気温の風が部屋に吹き込んできたが、気にはならなかった。と言うより、恥ずかしさのあまり気にかけられなかったのだ。

 典史の思った通り――彼の視線のその先にあったのは、道路の向こう側の車線に停めた車の運転席で、日焼けした浅黒い顔をにやつかせる房総の姿だった。

 彼の燃え盛る情熱を具現化したかのような、深紅しんくのコンパクトカー。

 典史の姿を認めた房総は運転席の窓を開けると身を乗り出し、黄色くなった歯を剥き出しにして威勢よく右手をサムアップした。

 数年振りに再会した房総は、まだまだ若いヤングな気持ち充分なのだが、その髭の濃さや態度の大きさが既にオヤジ化しているのは相当な確率で正しかった。本人は、まだそれには気づいていないようではあったが――。


(昔のアメリカンドラマじゃあるまいし……車のクラクション鳴らして呼び出すか?)


 積もる恥ずかしさ満載で外へと出た典史だったが、房総が溢れんばかりの笑顔をこちらに向けて自分を迎えてくれるのを見て恥ずかしさは消え去り、旧交を温めようという気になる。

 小さく右手を上げ、にこやかに挨拶。

 反対側へと回り込み、助手席のドアを開けて席に着く。


「久しぶりだな、フサ。何年振りだろう?」

「テンシが大学生だったときに一緒に遊んだきりだから、七、八年振り……かな」

「……もうそんなに経つのか」

「ところでテンシ、今は東京に住んでるんだべ? 東京なんて牛の数より人間の数の方が多いっていうじゃねえか。そんなところに、よく住めるな。それに、高速道路にクマが歩いていないんだべ? 大丈夫なのか?」

「ああ、東京は人間が住めるし、クマが歩いていなくても十分にやっていけるよ。って、いうか、住んでるのは埼玉だけどな」


 そんなくだらない再会の挨拶の中、不意に房総が前方の景色の中の、ある『1点』に釘付けになる。


「……って、テンシ! あの女子、オレたちの同級生じゃねえべか? 見たことある気がするな」

「え、何だって?」


 房総が指差した右側に顔を向けると、道路を挟んだ向こう側にこちらをじっと見つめながら立つ、一人の若い女性がいるのがわかった。大きめレンズの黒ぶち眼鏡に、灰色を基調とした上着とパンツという地味目の格好、ではあったが。

 と、不意に典史は昨日の父親との会話を思い出す。


「あの子の名前は……欄羅らんら らんだよ。中学の時の同級生さ」

「ふうん……そうだったべか?」

「そうだったって。でも……中3の時に引っ越しちゃったんだ。お父さんの仕事だか何だかで、ね。でも、こっちの家はそのままで、暫く誰も住んでなかったんだけど、最近また戻って来たらしいんだよ。アメリカから」

「おやおや? テンシ君、詳しいね。さては……」

「ち、ちがうちがう! ウチの父さんが何故かその情報を仕入れて来て、昨日の晩、僕にそれを説明してくれたんだよ。ただ、それだけさ」

「ほ、ほう……?」


 房総は意味ありげににやりと笑うと、典史の表情の奥に潜んだ何かを探るように顔をじっと見つめた後、やや髭の濃い顎を撫でながらこう言った。


「そうか、わかった。地味な感じだけど、なかなか可愛い……ならば、早速!」

「おい、フサ! 何がわかったんだよ。そして、何が早速・・なんだよ!」

「まあ、まあ。俺に、任せとけって。親友のために・・・・・・、一肌脱いでやるべさ」

「ちょ、ちょっとぉ!」


 典史の制止も虚しく、車のドアを勢いよく開けて車道に飛び出した房総は真冬というのにアロハみたいな柄シャツを風になびかせ、電柱の横に立つひとりの女性に向かって勢いよく走った。


「え、Excuse、meエクスキューズ・ミー!」


 何故か、英語で彼女に勢いよく声を掛けた房総。

 すると、全体的に灰色の成り服装をした女性が、目をぱちくりさせて答えた。


「な、何よ……。私、日本語は解るわよ。っていうか、純粋な日本人だし。それより、あなた玉生たもう君でしょ? 久しぶりね」

「Oh! ……って、もういいな。俺の事、憶えていてくれてたの!? 嬉しいな! えーっと、蘭ちゃん、だったよね?」

「ええ、そうよ。欄羅 蘭」


 名前を呼ばれ、少し笑顔になった蘭に房総が畳みかける。


「でさぁ、あの車の助手席に座るあいつ、俺たちの同級生だった典史のりふみだけど、憶えてる?」

「典史君……? ああ、典史君ね。もちろん、憶えてるわ」

「そうか、それは良かった。今からオレたち二人で初詣に行こうと思てたんだけど、もしよかったら、君も一緒に行かない? ――って、アイツが言ってる」

「え、これから? 典史君が??」


 首をかしげて右手を口の辺りにあて、蘭が困った顔をする。それから、意味有りげな視線を助手席に座る典史へと向けた。


(フサの野郎……僕をダシに使いやがったな)


 典史が蘭には見えないように器用に左唇だけをぎゅりりと噛んで、房総を細めで睨みつける。

 それから、約1秒の後だった。

 にこやかな表情に変わった蘭が、こくり頷くと、こう言った。


「うん、わかった。いいわよ。ちょうど暇だったし、初詣に行くのもいいかもね!」

「やった! じゃあ、あの車に――もちろん俺の車だけど――乗ってくださいませ」


 まるで王女をエスコートするかのように左手を胸に当てながらお辞儀をした房総は、右手の先を真っ赤な自分の車へと向けた。


「何よそれ、大袈裟ね……。まあ、いいわ。で、この車で初詣に行くわけ?」

「うん、そう。だってこれから行くのは、毛増けましの神社だもん」

「け、毛増――!? 毛増って、北の方にある毛増町けましまちのことだよね??」

「もちろんさ! あいつ……テンシのたっての希望なんでな」

「へえ……。典史のりふみ君……いえ、テンシ君たっての希望……なんだ」


 毛増町けましまちは、ここから一般道を使って車で3時間くらいかかる距離にある町だ。「初詣に行くのにわざわざそんな遠いところに行くの?」という目で驚き呆れる彼女を、車の真横までエスコートした房総。

 助手席に座って不満そうにむくれたまま動かない典史に、彼は怒鳴った。


「おい! テンシ、お前は後ろに座れよ。蘭ちゃんは俺の横に座ってもらうから」

「ん? ああ、うん……」

「あ、蘭ちゃん。家に、一度寄ったほうがいい?」

「このままで大丈夫だよ」


 渋々、車の外へと出てきた典史が、そのまま車の後部座席に乗り込む。

 それを見届けた房総が「さあ、どうぞどうぞ。蘭ちゃん」と、蘭に助手席に座るよう促すと、蘭はドアを開けて車に乗り込んだ。


「さあ、出発だあッ!」


 蘭がシートベルトを締め、房総がシフトをパーキングからドライブに移そうとした、そのときだった。停車場所の道路を挟んで反対側――つまりは典史の実家である『斎藤家』の玄関先から、犬の鳴き声がした。

 斎藤家の飼い犬、黒柴のジョンである。

 普段は家の中で過ごし、どこにいるのかもよくわからないくらいにおとなしいジョンだが、いつの間にか少し開いた玄関扉の向こう側から、三人の乗る車に向かって、しつこく何度もワンワンと吠えている。


「あれ、テンシ――お前んち、犬なんかいたっけ?」

「ああ、最近飼いだしたんだよ、オヤジがね……。ジョンという名前の黒柴さ」

「……」


 なぜか急に押し黙った、蘭。

 そんな彼女に、房総が声を掛ける。


「あれ、犬は嫌い? 顔が固いよ」

「ああ、うん。ちょっと……犬は苦手なの」

「ふうん……じゃあ、あんな犬は放っておいて、出発しちゃいますか」


 房総がアクセルを踏むと車は前へ進み、エンジン音にかき消されるように犬の鳴き声は聞こえなくなった。

 何かに後ろ髪をひかれたかのように、典史が後ろを振り返る。

 すると、車の窓ガラス越しに彼が見たのは、黒い子犬を胸に抱っこした父の知良が道路脇に立ち、典史たちの乗る真っ赤な小型車が走り去るのをやや寂し気な表情とともに見送る姿だった。


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