『第4章 名前(side 壁の外側)』
『第4章 名前(side 壁の外側)』
大人になって、初めてあの人と喧嘩して情けなかった自分を、保育園児に変えられてしまったなんて少しみっともない。だから今から謝ろうと思う。
私は、喧嘩してしまった相手――夫が仕事から帰宅し、家のドアを開けた所で、
「ごめんなさい」
と口を開いた。
たけど、それとほぼ同時に
「ごめんなさい」
を夫も口を開いたのだ。
まるでこのことを決めていたかのように。でも、それぞれの意志で謝ったのだ。
夫婦というのは、どこかでは深く愛し合っているのだ。一生のパートナーと決めたから。
「ほら、お詫びのしるし。マカロン買ってきたぞ。マカロン好きだろ。昼を取る時間を、あの暑い中、全部これに当てたんだから感謝しろよ」
まるで結婚指輪が入っているかのような箱を開けて、夫は誇らしげに私の好きなマカロンを差し出した。今日の夫の仕事先の最高気温は40度を超える中、お昼を抜いてまで私との仲直りのために無理をするのは、夫らしい。怒りたいけれど、もちろん怒れない。
早速食卓を2人で囲む。私もお詫びのしるしにいつもより豪華に夕飯を作ったのだ。夫は子供みたいに喜んでくれて、もう一生喧嘩なんてしないぞと心から誓った。でも、時にはぶつかり合うのも悪くないかもしれない。
「そういえばさ、今日、私にそっくりな絵が描かれたトンネルを見つけたんだよ」
私は夫に話したかった今日の出来事を、食事をしながら話していく。その時に撮った写真を見せると、夫の瞳に眩しい光が差し込んだ。
「確かに、不思議だね」
驚いているようではあったけれど、それ以上の言葉はなかった。ただ、私のチャームポイントと言うのは少し違うのかもしれないけれど、この絵には右のほっぺにほくろがない。私に似せるもであれば、ほくろ、描いてほしかったな……なんて内心思ってしまう。
「あ、そうそう。この絵の近くに四葉のクローバーが落ちてたんだよ」
そういえばと思い出し、四葉のクローバーの話も夫に伝えた。
「んー、あっ! じゃあさ、名前、ここから取らない? これなら喧嘩にならなくていいんじゃない?」
「名前を、ここから取る……?」
夫があっさり言ってしまったけれど、私たちの喧嘩の原因は、まもなく生まれる赤ちゃんの名前についてだった。それぞれ考えた名前にこだわり、譲れなくなった結果として喧嘩が起きてしまったのだ。
「クローバーってさ、シロツメグサとも言うでしょ? シロツメグサは漢字でこう書くんだよ」
夫がタブレット端末にシロツメグサの漢字であるという『白詰草』を書いてみせた。そうなんだ、初めて知った。
「四葉のクローバーって、幸せを運ぶでしょ? だから、お互いが入れたい漢字である❝白❞と❝幸❞が入る。つまり、❝白幸❞とかどうかな。読み方はしらゆき」
夫はタブレットに大きな文字で、『白幸』と書く。これでお互いが特に入れたい漢字であった❝白❞と❝幸❞が入ったことになる。四葉のクローバーから、この世界に生まれる命の名前が決まった。いや、贈られてきた。
「うん、賛成」
私はこれ以上、私たちの子供にふさわしい名前はないんじゃないかと思った。
世界で一番の名前だと思った。
この名前が決まったのは、あそこに幸せを運ぶ四葉のクローバーがあったからだ。
その四葉のクローバーがあった壁。私が描かれたトンネルの壁の向こうには、何が広がっているのだろうか。
私の知らない世界が広がっているのだろうか。うん、きっとそうだ。
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著者より編集者さんへ:ものすごく暑い中、仲直りのために並んでくれるなんてこの夫、いい人すぎるだろ。僕の妻はこういうことしてくれるのかな。
(7月18日午後7時記入)
編集者から著者さんへ:あなたの奥さん、そういうことしてくれないんですか(笑)私が怒っておきますね! こちょこちょとか! ただ、おそらく何かしらはしてると思いますけど! 振り返ってみてくださいね。
(7月20日午後6時記入)
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