第4話 女友達とギャル
花園優佳との初対面は、中学三年生の春だった。
とある
でもそれが塾ではないことは、当時の俺にとっては確かだった。
何故なら、塾はダルい場所だから。
何がダルいかって、全てが。
勉強しなくちゃいけないなんて百も承知。
将来勉強していた方が有利だなんて分かっていたし、それが分かっていない中学三年生なんていない。
それでも将来やりたいことがなければ、別に行きたい高校だってない。
強いて条件を挙げるなら、俺を振って変な噂を流した女と一緒にならないことくらいだ。
そのためには良い高校に進学したい気持ちはあるのに、親は顔を合わせる度に勉強しろとうるさい。
それも親心なんだろうけど、やれと言われたらやりたくなくなるのが子供心。
だけど親に払ってもらったお金を無駄するのは気が引けるし、だからといってお金の分勉強しないといけないという殊勝な意識までには繋げられなかった。
あー、もう。
講義後の自習に全く集中できず、視線を落とした時。
運命的なメッセージが、そこにあった。
「……ん」
長机に、小さな文字が書かれていた。
『ダルい』
可愛い筆跡にナイーブな一言。
そのギャップが面白くて、俺はちょっと口角を上げる。
……奇遇だな。
俺の気持ちを最も端的に表すとこうなる。
学校では人から避けられる。
サブコミュニティの塾だって義務的に通わされているだけで、だけど勉強も重要という理性から逃げられず、甘んじて環境を享受する。
うん、ダルい。
ただの一言に親近感を覚え、矢印を引いてから一言添えた。
『↓わかる』
次の日塾に行くと、なんと返事がきていた。
『↓だよね笑』
返事が来たことに対しての驚きより、顔も知らない誰かと繋がったことへの高揚感があった。
昨日と同じ席ということは、俺の前に座っていた人か。
俺が塾に行くのは週二程度だし、学年すらバラバラの自習室では誰が座っているのかなんて分からない。
学校も年齢もバラバラな人たちが通う塾。
この人は、俺が女子から避けられているなんて知らない。
だからこそ、気が楽だった。
『↓分かるよな。学校もダルいのに、なんでまた塾で勉強しなきゃいけないんだよって笑』
ついつい長文になってしまった。
ウザイか?
こんなに一言で距離が詰まった気がしたのは初めてだ。
返事も来ないかもしれないな。
しかし予想は外れ、文字での会話は毎日続いた。
『↓そうそう。学校だけで何時間もあるのにね』
『↓まあ俺あんまり授業聞いてないけど』
『↓聞いてないんかい! でも私も人のこと言えない笑』
『↓寝ちゃうんだよな……部活で疲れてるし』
『↓部活入ってるんだ。何やってるの? 寝ちゃうのは分かる笑』
『↓ハンドボール部! 寝ちゃうんだな、いつも夜遅いってこと? 俺も部活ない時はゲームとか漫画で夜更かししちゃうわ笑』
『↓ハンドボール! 珍しいよね? うちの中学にはない部活だぁ。でも運動部な気がしてたよ笑 ちなみに私も夜遅くまで小説読んじゃう派』
次第に文章が長くなり、話題も増えていく。
矢印があらぬ方向へ飛んだり、たまにメッセージが全部消えて血の気が引いたり。
一日ごとに交わされるメッセージがいつの間にか楽しみで、なんだか塾に行くのが嫌じゃなくなった。
広々とした自習室の端っこに、わざわざ歩を進めるのも悪くない。
文字から明らかに女子というのが分かるからかもしれないけど。
中学二年生の冬、トラウマ級の振られ方をしてから、俺の学校生活は灰色だ。
マシな時間は部活をしている間だけだったはずなのに、塾にこんな彩りが転がっているなんて。
『←ハンドの試合、今度観にくる?』
顔も分からない相手にそう言った。
多分、学校生活に唯一残ったマシな時間を、新しい彩りをくれた人に共有したかったんだと思う。
次の日、返事はなかった。
その次の日には、今まで溜まったやり取りも消されていた。
……やばい、やらかした。
中学にも部活以外の楽しみがない俺にとって、このダメージは大きい。
講師がこのやり取りに気付いたのか?
塾で誰がメッセージの相手か探し回るわけにもいかない。
連絡先さえ聞かなかった自分を呪った。
だけど、一週間後。
『←ごめん、返事できないまま先週休んでて! 行く行く、どこでやってるの?』
春到来。
モノクロの景色が彩り溢れたものへと変移した。
試合当日。
俺はとんでもなくドキドキしていた。
我ながら、学校生活が狂うくらいの振られ方をしたのによく誘ったなと思う。
相手も筆跡から俺が男子だと分かっているはずだ。
でも、期待されていたら困る。
試合に招待しておいて何だが、顔に自信がある訳じゃない。
お互いそういう目的じゃないにしろ、ガッカリされないだろうか。引かれないだろうか。
様々な思考に囚われていると、ついにその時がきた。
「みっけ。十九番」
背番号を呼ばれて、反射的に振り返る。
春の風が吹いた気がした。
めちゃくちゃ可愛い女子がそこにいた。
「うん、十九番だ。吉木くんだよね?」
「──」
「私、花園優佳です」
言葉を失った。
こ、この人が──
花園さんは目を瞬かせた後、少し慌てたように言った。
「あ、あれ。吉木くんじゃない? もしかして今日の背番号ってランダム?」
「あ、いや、違う違う! 俺、吉木涼太っ」
しどろもどろになって言葉を紡ぐ。
花園さんはちょっと驚いた表情を浮かべてから、ホッとしたように頬を緩めた。
「合ってるじゃん。いじわるした? もぉ」
……待て、待ってくれ。
相手がこんなに可愛い人だって聞いてない。
嬉しい気持ちだってもちろん百あるが、役者不足という気持ちは五百だ。
「は、花園さん」
「うん。花園っていいます」
「ま……えっと、うん。もう試合始まるし、今日は楽しんでくれたら嬉しい」
待て待てこれプロのセリフだろ、たかが中学生が何言ってんだ!
あまりの可愛さに頭が混乱している。
ツッコミどころ満載の言葉にも、花園さんは目尻を下げてくれた。
「うん、今日楽しみにしてたんだ。YouTubeで検索して、試合とか色々見たの。ルールとかはまだ分からないけど、吉木くんの学校を応援しておけば間違いないよね」
中学の練習場合。
三年生とはいえ、応援しに来てくれる異性なんて普通はいない。
なんて声を掛けたらいいか分からずにいると、「集合ー!」と号令がかかる。
──うわ、まだ全然喋れてないのに。
ここで試合後会えず、解散になったら最悪だ。
せっかく会うことができたというのに、ただ気まずさだけが残ってしまう。
どうか帰らないでくれますように。
そう祈りながら号令の方へ向かおうとすると、花園さんが「吉木くんっ」と呼び止めた。
「え?」
振り返ると、花園さんはちょっと迷ったような仕草を見せた後、控えめに掌を掲げた。
「試合頑張って。終わったら……校門の外で待ってていい?」
「お……おう!」
花園さんはニコリと口角を上げる。
ハイタッチすると、女子の感触が伝わってきた。
掌に熱が帯びる。
俺はこの試合、何でもできる気がした。
花園優佳との関係がイイ感じだと思うまで、そう時間はかからなかった。
◇◆◇◆
ただいま一人で下校中。
タケルを始めとした友達は全員部活勢なので仕方ない。
後ろからギャルグループのワイワイ声が聞こえて、振り返った。
…………金髪が猛ダッシュしてきている。
「突撃ーーーー!!!!」
「うぉぉぉおおお!?」
受け止めようと両手を広げたが、時すでに遅し。
鎖骨あたりにとんでもない衝撃がして、それを逃すために必死に一周、二周とグルグル回る。
スケート選手並の回転を決めた後、柚葉を丁寧に地面に下ろした。
ストンと降りた柚葉は、得意気な顔で親指を立てた。
「ディスイズ・ヨッシーアトラクション!」
「あっぶねんだよ何やってんだ頭おかしいのか!?」
「吉木運動得意じゃん、よゆーよゆー!」
柚葉はペシペシ肩を叩いて、振り返りざまに後ろのギャルズ二人へ向かってブンブン手を振った。
「じゃー、今日あたし吉木と帰るから!」
「オイ勝手に決めんなよ!?」
「えっダメ?」
「別にいいけど……」
「いいんじゃーん!」
今度は胸をツンツンついてきて、柚葉は何事もなかったかのように隣を歩き始めた。
このギャル、自由奔放すぎる。
柚葉グループのギャルズの視線を感じて暫く黙っていたが、道を曲がった瞬間言葉を吐き出した。
「お前、こういうことするからすぐ勘違いされるんだぞ!? 皆んなに付き合ってるって思われたのお前のせいだからな!」
「にひひ、満更でもないクセに」
「満更でもないだけで喜んではない! 太陽に巻き込まれる身にもなれ、いつか死ぬぞ!」
「まーまー落ち着きたまえよどーてーくん。中学の時に助けてあげたのは誰だと思ってるー?」
「こいつ……! 俺が強く言えないのを良いことに……!」
柚葉はケラケラと面白そうに肩を揺らす。
クラスの太陽と言われる所以は、この屈託のない笑顔。
愛想笑いではない本気笑いを、至る所で見せるからだ。
柚葉の笑顔に釣られて口角が上がったのを自覚して、俺は内心ちょっと悔しくなった。
「吉木ー」
「なんだよ」
「さっき何か悩んでた?」
思わず目を見開いた。
柚葉はふざけた笑顔ではなく、思慮深い表情になっていた。
中学時代から、柚葉は人の感情には敏感なところがあった。
高校で同じクラスになったことで、より俺の感情が顕著に伝わってしまったのかもしれない。
まあ、柚葉は他人に吹聴するようなやつじゃない。
中学にも助けてもらった恩があるし、教えても構わないだろう。
「まあ、悩んでたな」
「やっぱ? どしたの」
「以前イイ感じになったはずの女子にフら……牽制された気がしたんだよ」
「フーン? 吉木、今までの人生で女子とイイ感じになったことあったんだ」
「あるわ舐めんな!?」
「めっちゃ必死じゃん!」
ニヤニヤ笑いの柚葉に、俺は少し迷いながらも言葉を続けた。
「でも、イイ感じになってもそこから進展したことはないんだよ。今日だって……」
「ナルホド、だから朝真面目に語ってたんだ」
柚葉は合点がいったように、ポンと手のひらに拳を置いた。
……語ってたって思われてたの恥ずかしすぎるんですけど。
ええい、恥ずかしさついでに訊いてやれ。
「柚葉なら、イイ感じだと思った相手に壁感じた時はどうするんだ?」
柚葉は目をパチクリさせて、ニヤリと口角を上げた。
「グモン。そんなの突き破るしかなくない? むしろ燃えるっしょ!」
「あー……だろうな、柚葉ポジティブの塊って感じだし」
「誰が単細胞だって!?」
「言ってねぇだろ!」
柚葉がポジティブな回答をするのは分かっていた。
それでもあえて柚葉から回答を引き出したのは、俺自身が一歩踏み出したいからなのかもしれない。
高校生になって数ヶ月経った。
このまま何の行動も起こさなければ、大学生になっても、社会人になっても、きっとズルズル恋愛できないままだ。
変わるのには勇気がいる。
だけど柚葉と自分が同じ意見と思い込むことができれば、それだけで勇気づけられるから。
「よし。俺も、イイ感じを突破するために頑張ってみようかな」
そう言葉に紡ぎ出した。
何事も、きっかけなんて作為的でいい。
自然に気持ちが湧き上がればそれがベストかもしれない。
だが自分を変えたい時に、タイミング良くきっかけが転がってくれているとは限らない。
だったら自分できっかけを作り出すしかない。
さっきの発言だって、結果的に自分を鼓舞できればそれでいいのだ。
柚葉はキョトンとした表情で言葉を返した。
「フーン。何言ってんのか分かんないけど」
「いいんだよ、俺だけ分かってれば!」
「そっかー。まーあたし、吉木のそーいうとこ嫌いじゃないよ。吉木ってめちゃくちゃ捻くれてるようで実は真っ直ぐだよね。ヘタレと思いきや、勇気のあるヘタレ的な?」
「褒め言葉として受け取っていいよな!?」
柚葉は親指をグッと立てた。
それならありがたき幸せ。
「まあ、誰しもが柚葉みたいに自然に勇気が出るわけじゃないからな。持って生まれたエネルギーの総量が違うとでも思っててくれ」
柚葉は「フーン?」と小首を傾げた。
まあ、柚葉にはピンとこないだろうな。
ゴチャゴチャ考えるのなんて性に合わなさそうだし。
柚葉は側にあった自販機でコーヒーを買って、プシュッと缶を開けた。
「それで、具体的にイイ感じを突破ってどーすんの? もー牽制されたんでしょ?」
「うーん。もう一回その人にいくっていうのじゃなくて、次の恋愛に備えて確かめておきたいんだよな。今日のは別に、今明確に恋心抱いてます!って感じではなかったし」
「ヨッ負け惜しみ!」
「うっせー! メンタルに致命傷は負ってないって話だ!」
本当に花園を好いていたのなら、今の柚葉のテンションについていけるはずもない。
まあ多少落ち込みはするけど、来週には吹っ切れられるレベルだ。
柚葉はひとしきり笑った後、「そんで?」と続きを促してきた。
「そもそもイイ感じって基準は人それぞれだから、感覚擦り合わせるのもむずいんだよ。今日の例もそうだけど、イイ感じイコール"好き"でもないし。タケルから言わせたら俺と柚葉だって未だにイイ感じ見えてるらしいしな」
「へー、やっぱヨッシー私のこと狙ってたんだ。そりゃ牽制されるわ、浮気者!」
「話聞いて?」
「だってー、どーてーの話長いんだよぉ」
「今童貞は関係ありませんよね!?」
柚葉は俺のツッコミに笑ってから、コーヒーをゴクゴク飲んだ。
ダメだこいつ、俺の悩みが大したことないと思うや完全に頭の電源をオフにしてやがる。
まあ、柚葉みたいに恋愛に何の苦労もないトップカーストに理解しろというのが無理な話か。
いやコレに関しては柚葉が特別な気がしなくもないけど。
「つまり、自分にとってのイイ感じがズレてないかを擦り合わせするところから始めたいってことだ。まあ問題はその確かめる相手がいるかなんだけど」
俺が呟くと、柚葉は同意だったようで言葉を放った。
「あたし無理だかんねー。ソッコー告っちゃえって思うタイプだし、繊細そうな考えとかしないモン」
「だろうなぁ。だから柚葉には元々聞けない話だよ」
「アッレー、ナンカそれはムカつくな!?」
柚葉はものすごく不満そうな顔をした。
俺は慌ててかぶりを振った。
「ごめんごめん、そういう意味じゃなくて。俺が過去にイイ感じって思った人に確かめないと、擦り合わせなんてできないだろ?」
「……そーいうコト? 確かに吉木が直接訊ければ話早そーだけど。そーなると実際吉木って過去にイイ感じになった女子どんくらいいんのかが問題だよねー」
「……多分三人。過去にイイ感じだったか、なんて訊けそうなやつは一人しかいない」
「へー、一人いるんだ。マジ?」
「まあな。こっちも完全に主観だし、ぶっちゃけ訊くのにめちゃくちゃ勇気いるけど」
中学の時木っ端微塵に振ってくれた女と、花園の二人を除外すると、イイ感じになったと思えるのはただ一人。
「もしかしていつか話してた、転校していった幼馴染?」
「……そうだ」
「ウワァ、じゃあ詰みじゃん……コーヒー飲む?」
「詰んでない! 訊くだけなら電話とかでいけるだろ!」
唯我独尊の幼馴染。
だけど俺には優しかった幼馴染。
──絶対帰ってくるから。
アイツの言葉が脳裏に過ぎる。
でも、所詮小学生の戯言だ。
「……アイツが帰ってくれば、話は早いんだけどな」
そんなに都合よく、過去にイイ感じだったアイツが帰ってくるはずなんてない。
そう分かっていても、呟いてしまった。
言霊になって、現実に現れてくれないかと祈りながら。
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