第3話 一度疎遠になった女子

 国語の授業が終わると、皆んな一斉に立ち上がった。

 たった十分の休憩時間を余すことなく楽しみたい勢が、ワッと喋り始める。


 目をやると、最も目立つ輪の中には相変わらず柚葉がいる。


 俺には眩しい光景だ。


 そう思った時だった。

 フワリとフローラルな香りがした気がして、そちらに意識が奪われる。


 ──花園優佳が近付いてきていた。


 花園は中学時代から少し大人びて、更に可愛くなった。

 それなのに、同じクラスになってからまだ殆ど言葉を交わせていない。


 花園は俺の方を見ることなく、そのまま通り過ぎた。


 ……ご覧の通り、もう花園も声を掛けてこない。

 いわゆる疎遠というやつだ。


 別に何かトラブルがあって疎遠になった訳じゃない。


 単に塾の自習室の仕様が変わって集まりづらくなったのと、高校受験の忙しさが重なり、気付けば喋らなくなっただけ。


 俺は後ろから声を掛けるか迷った末に、教科書の準備に逃げた。

 目の前で他の男子と喋るタケルに混ざろうかと考えていた時、


「よっしー」


 振り返ると、花園が廊下から顔をヒョコっと出していた。

 両手には何故か沢山の書類が抱えられている。


「ごめんね。よかったら、手伝ってほしいんたけど……」

「あー……おう。おっけー」


 まじか。

 書類は先生からの依頼だろうけど、今は感謝しかない。

 たとえ多少の気まずさがあっても、花園の申し出を断る男子なんていないぜ。

 俺は二つ返事で了承すると、花園はホッとしたように頬を緩ませる。


「ありがと」 

「なんのなんの」


 あー……相変わらず抜群に可愛い。


 柚葉がいわゆるギャル──いや、綺麗系だとするなら、花園の容姿は彼女とは対照的だ。


 柚葉が他人を寄せ付けない雰囲気をつい纏ってしまう中、花園は小柄で小動物を彷彿とさせる。

 犬よりも猫がしっくりくる彼女には、全男子が守りたくなるような愛らしさがあった。


 そんな評判は花園本人の耳に届いているだろうが、全く気取る様子もない。

 周りにどう扱われようが、花園は至ってマイペースに見えるし、時にアンニュイな雰囲気で、だけど冗談も口にする。


 そうした様々な要素も相まって、男子からは学校の"裏天使"だなんだと囃され始めている。

 表の主役は柚葉由衣だけど、実は花園もめちゃくちゃ人気。

 クラスで一番目、二番目と暗にいっているようで、裏天使という呼び名はあまり上品じゃないけれど。


 あっという間に書類を先生に届け終わり、職員室からの帰路。

 花園はふわりと笑みを浮かべた。


「ありがと。一人じゃ重かったから、よっしーが来てくれて助かっちゃった」

「全然大丈夫だぜ。もうガッツリ男子ですから!」

「ふふ、頼りになる男子。これから全部よっしーに頼っちゃおっ」

「それは勘弁してくれ!!」

「えー、残念」

 

 花園はクスクス笑った。

 中学時代から、独特の不思議な空気は変わっていない。

 だけど陽だまりのような暖かさを感じる。

 心穏やかになるこの時間が、かつての俺は好きだった。


 荷物持ちだって本当は全部引き受けたいのだが、ここで馬鹿正直に「これからも全部任せとけ!」と言ったら引かれそうで怖い。

 だからそこそこ笑いもとれてリスクも回避できる答えを選択したのだが、ちょっとだけ後悔した。


「よっしーって柚葉さんと仲良いよね。いいなぁ」

「え? 花園ならすぐ友達になれるだろ」

「うーん、柚葉さんっていつも忙しそうだし」

「色んな人と喋ってるからそう見えるけど、気遣わなくていいって柚葉なら言うと思うぞ。ていうか、めっちゃ喜ぶ」


 柚葉が目をキラキラさせて花園に抱きつく姿が想像できた。


「てか、花園なら誰とでも友達になれるって」


 花園の人柄は、柚葉とはまた違った方向で良い。

 彼女に相談したら自己肯定感が上がると、塾では少し評判だった。

 そう思い返していると、花園は困ったように頬を掻いた。


「嬉しいけど、そんなことないよ。私、女子の友達って少ない方だし」

「そうなのか?」

「うん。でも、よっしーがそう言ってくれるなら楽しみにしちゃおうかな」

「じゃあ骨は拾ってやるぜ!」

「あれ、どっち? 私やっぱ友達になれない?」


 花園は驚いた表情を作り、また相好を崩した。

 クラスでは省エネモードのようにあまり目立とうとしない花園は、話しかければ意外に笑顔を見せてくれる。

 このギャップにオトされた人は、既に何人もいるんじゃないだろうか。

 俺自身、話すだけで心が動いてしまうのが分かる。


「ん? 顔、なにかついてる?」

「いや、ついてない。ごめん」


 慌てて花園から視線を逸らした。

 こんなにマジマジ見てしまうなんて、他の女子なら気持ち悪がってきてもおかしくない。

 "なにかついてる?"は、"何もないならそんなにマジマジと見ないで"という心の苦情といえる。


「じゃあ私に見惚れちゃったんだ」

「そう……じゃない! あぶな、なんてこと言うんだ!?」

「あはは、めちゃくちゃ冗談なのに」

「めちゃくちゃ冗談!? 冗談の前にめちゃくちゃつくのって珍しいな!」


 花園は少し頬を緩めて、すぐに視線を落とした。

 暫く待ったけど何も言われないので、俺から話しかけた。


「……なあ、花園。花園ってたまにそういう冗談言うけど、クラスではあんま知られてないよな」

「ん、知られてないね。人によっては不快に思うだろうし、ちゃんと控えてるよ」

「なんで俺にはそういう冗談言ってくれるんだ?」

「……言ってくれるって面白いね? 言われたいんだ」

「あ、いや……そんなことは」


 花園はまた「冗談だよ」と笑った。


「塾って、共通の友達あんまりいないから。言いやすかったんだ」

「ああ……確かに。塾での噂ってあんまり学校には回らないしな」

「うん。良い環境だった」


 花園は髪を梳いてから、小さく口を開いた。


「私、よっしーのことは友達だと思ってる」

「え。ありがとう」

「うん。だからこういう冗談言っても、また仲良くできるかなって」


 花園は両手を背中に回して、くるりと俺の前に躍り出た。


「吉木くんは、許してくれる?」


 ……なんだ、その質問。

 そんなの答えは決まってる。


「許す許す」

「わーい」


 花園はパチパチ手を叩いた。

 小さな身体が小刻みに揺れて、髪が靡く。

 ……塾だけの付き合いだったし。


 ……そりゃ、知らない一面もあるよな。


 俺はそう納得し、彼女の後を追いかける。


「ところでさ」

「うん」

「よっしーって彼女いるの?」


 急な質問に、俺の足と思考は止まった。

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