第2話 かつてイイ感じになった女子
一時間目の国語の授業は、何となく集中できなかった。
さっきの柚葉との会話が頭に残っているからかもしれない。
──ちなみに私は楽しさ重視ネ。
視線を上げると、柚葉は隣の女子とノート交換して何やら会話している。
……ウン、あいつは楽しさ重視だろうな。
ああいう人気者は、捻くれたように理由なんてイチイチ考えない。
本能のまま楽しい方向に進む柚葉の人となりは、見ていればすぐに伝わってくる。
第二ボタンまで開けたシャツに、薄紫のパーカー。ライトゴールドの髪にネイルなど、"自分の好き"を突き詰めたファッション。
それに柚葉は外見だけじゃなく、内面だってキラキラしている。
誰隔てなく打ち解けていく姿は、いわゆるオタクにも優しい系ギャルそのものだ。
実際柚葉がクラスの中心人物になったお陰で、この教室は明るい空間になっている。
一部の男子に"太陽"なんてあだ名がつけられているのは、その人望の表れだろう。
「今日は九日だから、掛ける三で出席番号二十七番の人!」
先生の一言で現実に引き戻された。
教科書に顔を隠しながら、思わず苦笑いする。
気のせいじゃなかったら、今掛け算したか?
殆ど理不尽にも近い指名をされたのは──
「はい」
静かな声が教室に響いた。
俺はタケルに喋りかけそうになった口を急停止させた。
いつも
柚葉が皆んなの前で喋る時とは、また違った種類。
クラスの日常生活でこの雰囲気を醸成するのは、多分学校で彼女一人だけ。
「花園さんね。じゃ、よろしく」
花園は茶髪ボブを軽く揺らして、立ち上がった。
中学三年生の時、俺がイイ感じだった(はず)の女子。
中学時代、俺と花園は塾が一緒だった。
花園と仲良くなる前にトラウマ級の振られ方をしたせいで、一歩踏み込めず、次第に疎遠になってしまったが。
そもそも俺が花園とイイ感じになったなんて、誰に言ったって信じないだろう。
そんな思考を巡らせていると、花園は静かに言葉を紡ぎ出した。
朗読の内容は、物語文を読み上げるだけの簡単なものだった。
地の文一つ、セリフ一つが歌のように心地いい。
声量自体は静かなのに、不思議と耳によく残る。
喧騒の中でも聞き取れそうな、そんな魅力が花園の声にはあった。
「ありがとうございます。惚れ惚れしますね」
花園の立ち位置を知ってか知らずか、先生は褒め称えた。
花園は頬を緩めて、ペコリとお辞儀する。
男子たちも別の意味で惚れ惚れしたように、花園に熱い視線を送っていた。
……俺、あの子と喋れる仲だったんだよな。
もはや自分でも
花園と同じ高校だと知った時は密かに喜び、小躍りさえした。
こうして同じクラスになれるのも、俺にとっては
それなのに、いざ同じクラスになっても全く話せていない。
予想以上に周りから囃されて、近寄りがたい存在になったから。
……いや、違うか。
同じ高校に入学して、同じクラスになって、花園との本当の距離感を知ってしまったのかもしれない。
"告白さえできれば付き合えるかもしれない"と思えるくらいイイ感じという俺の認識は、今や幻の可能性が高い。
塾は学校とは違うコミュニティで、共通の知り合いがグッと少なくなる。だからこそ喋れていただけ。
それでも──本人に確かめるなんて無粋なことさえしなければ、希望的観測が当たっているという線も少しだけ残る。
だから俺には、想像の世界がお似合いなのだ。
◇◆◇◆
花園優佳との初対面は、中学三年生の春だった。
例の
でもそれが塾ではないことは、当時の俺にとっては確かだった。
何故なら、塾はダルい場所だから。
何がダルいかって、全てが。
勉強しなくちゃいけないなんて百も承知。
将来勉強していた方が有利だなんて分かっていたし、それが分かっていない中学三年生なんていない。
それでも将来やりたいことがなければ、別に行きたい高校だってない。
強いて条件を挙げるなら、俺を振って変な噂を流した女と一緒にならないことくらいだ。
そのためには良い高校に進学したい気持ちはあるのに、親は顔を合わせる度に勉強しろとうるさい。
それも親心なんだろうけど、やれと言われたらやりたくなくなるのが子供心。
だけど親に払ってもらったお金を無駄するのは気が引けるし、だからといってお金の分勉強しないといけないという殊勝な意識までには繋げられなかった。
あー、もう。
講義後の自習に全く集中できず、視線を落とした時。
運命的なメッセージが、そこにあった。
「……ん」
長机に、小さな文字が書かれていた。
『ダルい』
可愛い筆跡にナイーブな一言。
そのギャップが面白くて、俺はちょっと口角を上げる。
……奇遇だな。
俺の気持ちを最も端的に表すとこうなる。
学校では人から避けられる。
サブコミュニティの塾だって義務的に通わされているだけで、だけど勉強も重要という理性から逃げられず、甘んじて環境を享受する。
うん、ダルい。
ただの一言に親近感を覚え、矢印を引いてから一言添えた。
『↓わかる』
次の日塾に行くと、なんと返事がきていた。
『↓だよね笑』
返事が来たことに対しての驚きより、顔も知らない誰かと繋がったことへの高揚感があった。
昨日と同じ席ということは、俺の前に座っていた人か。
俺が塾に行くのは週二程度だし、学年すらバラバラの自習室では誰が座っているのかなんて分からない。
学校も年齢もバラバラな人たちが通う塾。
この人は、俺が女子から避けられているなんて知らない。
だからこそ、気が楽だった。
『↓分かるよな。学校もダルいのに、なんでまた塾で勉強しなきゃいけないんだよって笑』
ついつい長文になってしまった。
ウザイか?
こんなに一言で距離が詰まった気がしたのは初めてだ。
返事も来ないかもしれないな。
しかし予想は外れ、文字での会話は毎日続いた。
『↓そうそう。学校だけで何時間もあるのにね』
『↓まあ俺あんまり授業聞いてないけど』
『↓聞いてないんかい! でも私も人のこと言えない笑』
『↓寝ちゃうんだよな……部活で疲れてるし』
『部活入ってるんだ。何やってるの? 寝ちゃうのは分かる笑』
『↓ハンドボール部! 寝ちゃうんだな、いつも夜遅いってこと? 俺も部活ない時はゲームとか漫画で夜更かししちゃうわ笑』
『↓ハンドボール! 珍しいよね? うちの中学にはない部活だぁ。でも運動部な気がしてたよ笑 ちなみに私も夜遅くまで小説読んじゃう派』
次第に文章が長くなり、話題も増えていく。
矢印があらぬ方向へ飛んだり、たまにメッセージが全部消えて血の気が引いたり。
一日ごとに交わされるメッセージがいつの間にか楽しみで、なんだか塾に行くのが嫌じゃなくなった。
広々とした自習室の端っこに、わざわざ歩を進めるのも悪くない。
文字から明らかに女子というのが分かるからかもしれないけど。
中学二年生の冬、トラウマ級の振られ方をしてから、俺の学校生活は灰色だ。
マシな時間は部活をしている間だけだったはずなのに、塾にこんな彩りが転がっているなんて。
『←ハンドの試合、今度観にくる?』
顔も分からない相手にそう言った。
多分、学校生活に唯一残ったマシな時間を、新しい彩りをくれた人に共有したかったんだと思う。
次の日、返事はなかった。
その次の日には、今まで溜まったやり取りも消されていた。
……やばい、やらかした。
中学にも部活以外の楽しみがない俺にとって、このダメージは大きい。
講師がこのやり取りに気付いたのか?
塾で誰がメッセージの相手か探し回るわけにもいかない。
連絡先さえ聞かなかった自分を呪った。
だけど、一週間後。
『←ごめん、返事できないまま先週休んでて! 行く行く、どこでやってるの?』
春到来。
モノクロの景色が彩り溢れたものへと変移した。
試合当日。
俺はとんでもなくドキドキしていた。
我ながら、学校生活が狂うくらいの振られ方をしたのによく誘ったなと思う。
相手も筆跡から俺が男子だと分かっているはずだ。
でも、期待されていたら困る。
試合に招待しておいて何だが、顔に自信がある訳じゃない。
お互いそういう目的じゃないにしろ、ガッカリされないだろうか。引かれないだろうか。
様々な思考に囚われていると、ついにその時がきた。
「みっけ。十九番」
背番号を呼ばれて、反射的に振り返る。
春の風が吹いた気がした。
めちゃくちゃ可愛い女子がそこにいた。
「うん、十九番だ。吉木くんだよね?」
「──」
「私、花園優佳です」
言葉を失った。
こ、この人が──
花園さんは目を瞬かせた後、少し慌てたように言った。
「あ、あれ。吉木くんじゃない? もしかして今日の背番号ってランダム?」
「あ、いや、違う違う! 俺、吉木涼太っ」
しどろもどろになって言葉を紡ぐ。
花園さんはちょっと驚いた表情を浮かべてから、ホッとしたように頬を緩めた。
「合ってるじゃん。いじわるした? もぉ」
……待て、待ってくれ。
相手がこんなに可愛い人だって聞いてない。
嬉しい気持ちだってもちろん百あるが、役者不足という気持ちは五百だ。
「は、花園さん」
「うん。花園っていいます」
「ま……えっと、うん。もう試合始まるし、今日は楽しんでくれたら嬉しい」
待て待てこれプロのセリフだろ、たかが中学生が何言ってんだ!
あまりの可愛さに頭が混乱している。
ツッコミどころ満載の言葉にも、花園さんは目尻を下げてくれた。
「うん、今日楽しみにしてたんだ。YouTubeで検索して、試合とか色々見たの。ルールとかはまだ分からないけど、吉木くんの学校を応援しておけば間違いないよね」
中学の練習場合。
三年生とはいえ、応援しに来てくれる異性なんて普通はいない。
なんて声を掛けたらいいか分からずにいると、「集合ー!」と号令がかかる。
──うわ、まだ全然喋れてないのに。
ここで試合後会えず、解散になったら最悪だ。
せっかく会うことができたというのに、ただ気まずさだけが残ってしまう。
どうか帰らないでくれますように。
そう祈りながら号令の方へ向かおうとすると、花園さんが「吉木くんっ」と呼び止めた。
「え?」
振り返ると、花園さんはちょっと迷ったような仕草を見せた後、控えめに掌を掲げた。
「試合頑張って。終わったら……校門の外で待ってていい?」
「お……おう!」
花園さんはニコリと口角を上げる。
ハイタッチすると、女子の感触が伝わってきた。
掌に熱が帯びる。
俺はこの試合、何でもできる気がした。
花園優佳との関係がイイ感じだと思うまで、そう時間はかからなかった。
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