第16話 トラウマ
教室に戻ると、既に麗美の発表中だった。
国語の授業で、麗美の朗読に耳を澄ませていた男子たちは若干邪魔そうにジロっと視線を送る。
だが柚葉の姿を見ると、納得したように教科書に視線を落とした。
ニコニコ笑顔の柚葉の登場に、皆んな脳を破壊されたらしい。
俺に向けての視線は普通に棘を感じたのが解せないところだ。
「以上です」
麗美は最後にそう言って、ストンと腰を下ろした。
朗読後に"以上です"なんて、昔の麗美だったら不機嫌と捉えられるセリフかもしれない。
温厚と噂される先生は、麗美に向けて目尻を下げた。
「二階堂さん、ありがとうございます。遅刻した二人はあとでちょっと来てくださいね」
「う……はい」
緩い先生だと鷹を括っていたけど、しっかり怒られそう。
目をつけられたらこの先ずっと苦労しそうだ。
柚葉は気にした様子もなく、「すみません!」と元気に返事した。
元気すぎる返事に、先生は面食らったように「わ、分かればいいの」と声を上擦らせる。
外見派手ギャルでの遅刻なんて、本来ならヤンキーと思われても全くおかしくない行動だ。だけど元気な謝罪でそう思われないのが柚葉由衣の特徴といえる。
普通は元気な謝罪でも、開き直ってると思われかねないのに。
次の休み時間にもなれば柚葉はすぐに調子を取り戻し、クラスに太陽が戻るだろう。
俺が席に座ると、タケルがニヤリとこちらに笑いかけた。
「なあ、余裕で目立つって言ったろ? それで柚葉との仲勘違いされたくないとか──」
「うるさいあっち向け」
「ひどい!」
タケルは小声でシクシク泣きながら黒板に向き直った。
目立つのなんて分かってる。
でも柚葉には借りがあるから、少なくとも留年なんてされる訳にはいかないのだ。
ポケットに入れたスマホが震える。
視線を落とすと、柚葉からだ。
Yui『怒られた笑 巻き込んでゴメンね笑』
……それは同感。
スタンプで返信しようとすると、五月雨式にメッセージが届いた。
Yui『そーいや、イイ感じを突破するために頑張るわって豪語してた意気込みどこいったん?』
……分かってるよ。
そろそろ訊かなきゃ、またズルズル先延ばしになりそうだし。
だけど、少し気になることがある。
俺は溜息を吐いて、麗美に向けて視線を投げた。
◇◆◇◆
恋人を作るって難しい。
何故なら、暗黙の了解とやらが多すぎるから。
女子の感情?
レディーファースト?
そんなの学校で教えてくれてないうちに、皆んなどこから覚えてきたんだ。
女子に興味を持ってもらうには、まず喋れる仲になるところから。
ここまでは大した取り柄がなくても、運が良ければ何とか漕ぎ着けられる。
極端な話、俺と麗美の仲なんて運以外の何物でもない。
でも恋人を作る過程においてはそんな運だけじゃどうにもならない壁がいくつもあるのだ。
それが、"イイ雰囲気"になれるかどうか。
漫画において、一巻を読んでからじゃないと続刊を楽しめないように。
ソシャゲにおいて、チュートリアルをクリアしてからじゃないとガチャを引けないように。
恋人とはこのイイ雰囲気を突破した人間に与えられる報酬なのだ。
しかしこのイイ雰囲気にもまた壁がある。
一、イイ雰囲気を一度逃すと、次があるかはわからない。
二、イイ雰囲気という主観がズレていた場合は致命的。
そして恐ろしいのは、この難関を突破した人が周りに増えてきたこと。
一度も彼女ができたことのない自分の肩身が狭くなっていく感覚さえ出てきた。
周りに「今は彼女とかいいかなー」と誤魔化しているうちに、取り返しのつかない年齢までいってしまいそうな感覚さえもある。
そんなネガティブな感覚たちに抗おうにも、中々イイ雰囲気という壁を突破できない。
二階堂麗美に告白できなかったのは、その一に違反してイイ雰囲気を逃してしまった可能性が高い。
そして花園優花に告白できなかったのは──その二に違反してしまった過去が足枷となった。
つまり、イイ雰囲気という主観がズレていたことでのトラウマだ。
トラウマの相手は、
麗美が転校してから一年経った頃の話だ。
その頃は最も勉強、部活、人付き合いがバランス良く上手くいっていた時期で、異性の友達は顕著な増加傾向にあった。
そこで前から仲良かった女子と、イイ雰囲気になったと思ったのだ。
「──前から思ってたけど、吉木って良いやつだよね」
「──二人で喋ってても、結構落ち着く」
その女子とベンチに隣り合った時、俺は考えた。
──もしかしたら、これってイイ雰囲気かもしれない。
──麗美の時みたいに、もう後悔したくない。
そう思い、ついに俺は行動したのだ。
「なあ、俺と付き合ったり──してくれない?」
そして。
「……は? えっ、やめて? 全くそんなつもりなかったんだけど」
これでもかというくらい、全面的な拒否反応。
そして、相手が悪かった。
瀬戸雅はクラスで幅を利かせていた女子グループの影のリーダー的存在。
そんな存在に派手な失敗をやってしまったのだ。
俺のちっぽけな人間関係なんて、一瞬にして吹き飛んだ。
噂は噂を呼んで、中三の前半は地獄だった。
移動教室で廊下を歩いても女子にクスクス笑われ、帰り道は一人ぼっち。
柚葉由衣の手で救われていなかったら、卒業式までずっと続いていたに違いない。
それでも、救われたのは既に恋愛に対して恐怖心を抱いた後だった。
だから、今でも慎重になってしまう。
恋愛するなら、せめて──自分が"イイ雰囲気"とやらを見極められるようになってから。
それが俺の中の、イイ感じを突破する壁である。
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