第14話 帰宅部エース

 翌朝自宅を出ると、丁度麗美がマンションのロビーから出てくるところだった。

 朝からの遭遇。音速のフラグ回収。

 考えてみれば、朝方の時間は同じだ。即ち登校時間が同じ俺たちのエンカウント率はスライムよりも高い。

 麗美はこちらに気付いていない様子で、転校二日目の学校に向けて歩を進めている。

 声を掛けるため追いかけるか散々迷った末、地面を強く蹴った。


「おはよーっ」

「ん……」


 麗美がめちゃくちゃダルそうに顔を上げて、イヤホンを取った。

 髪で隠れて、振り向いた瞬間の表情が見えなかったのは残念だ。朝から気持ち悪い自覚はある。

 ていうか、改めて麗美の制服姿ってなんか新鮮だな。


「ああ、おはよ。意外と早いのね」


 久しぶりの挨拶。

 これからこの挨拶がまた日常になっていくと思うと、ちょっとワクワクしてくる。


「まあな! こう見えて俺、朝遅刻したことないんだぜ?」

「元気ね……別に昔も遅刻はしないイメージだったわよ」


 ローテンションの麗美は、そう返して肩を竦めた。

 どうやら隣に俺が住んでいるという事実は、一夜で受け入れてくれたらしい。

 まあ受け入れるしかないんだけども。


「そういう麗美は朝苦手だっけか」

「うん、まあ。そこそこに」


 昨日よりもいくらか無愛想な声色だ。

 俺が嫌いという線は消すとすれば、さては相当朝が苦手だな。

 まあ始業十分前には着く時間帯に登校できている分、柚葉よりはマシだろうけど。

 タケルに二階堂麗美は朝が苦手らしいと教えたら、「ソレ親近感あんな!」と喜ぶに違いない。


「小さい頃はそうでもなかったよな? 高校生になってからか」

「うるさい。女子には色々あるのよ」

「ほへー……色々」

「このっ……馬鹿みたいな返事やめてよ、気が抜けちゃう! あー、こっちは今日も転校生らしくしなきゃなんだから!」

「普通は早く馴染もうとするのが転校生な気がするけど」

「うるさい!」


 麗美は気合いを入れるように両頬をパンッと叩いて、咳払いをする。


「あー、あー、マイクテス、マイクテス」

「……なにやってんだ?」

「なにって、練習。今みたいな口調で喋ってると、何かと誤解されやすいから」

「恐ろしい人間って?」

「まあそんな感じ」


 あっさり認めた。本心というより面倒くさがった気がするが。

 麗美は、ある時から急にリーダーになった。

 その時も、もしかしたら都度こうして切り替えていたのだろうか。

 だけど今の麗美は、そのリーダー時代とも違う。

 物腰柔らかく、マドンナのような立ち位置になりそうな振る舞い方だ。

 中学の時はどんな在り方だったんだろう。

 俺は麗美について知っているようで、知らないことが多い。

 花園の時もこの感覚は同じだったけど、彼女と異なるのはそれを直接伝えられるところだ。


「麗美」

「なに?」

「俺、お前のこと全然知らないよな」

「……はい? 当然でしょう、久しぶりなんだし」


 麗美は怪訝な声で答えた。


「だからあえて質問すんだけど、お前も中学の時なんかあったのか?」

「お前もって、涼太は何かあったわけ? 私は全然ないんだけど」

「ぐ……」


 かつては花園と同じく、何でも話せた幼馴染。

 だけど、今は気遣わせたくない気持ちが勝った。

 風向きが芳しくないので、俺は話題を変えることにした。


「俺もねえよ。つーか麗美は部活とか何入るつもりなんだ。うちって一部を除いて原則部活に入らなきゃいけないの知ってるだろ」


 俺の質問に、麗美は眉を僅かに動かす。

 そしてジロッと視線をこちらに飛ばして、すぐに前方に戻した。


「……迷い中よ。元々どこにも入部する気なんてなかったしね」

「そ、そうか」

「涼太は部活何入ってるの? まだハンドボールやってるの」

「俺? 一応帰宅部でエース張ってる」


 麗美は目をパチクリさせた。


「なんの一応なのよ、ちゃんと部活に入ってる人が使う言葉じゃないそれ。ていうか原則はどこいったの? あなたハンド辞めたわけ?」

「それほどでもないなぁ」

「褒めてないわよ! ちゃんと質問に答えなさい、二つとも返事されてないんだけどっ」


 語気を強めた麗美はまた睨んできた。

 だが完全に幼馴染時代を思い出した俺からみれば、美人だとしか思わない。

 美人とスタイルを武器にされない限り俺には響かないのだ。

 麗美は自身の睨みに効力を感じなかったのか、半分諦めたように息を吐き、口を開いた。


「もういいわよ。あなた何も、、言う気ないみたいだし、深くは訊かないでおくわ」

「ちょ、なんで怒ってんだよ」

「怒ってない。次その質問したら殴る」

「怖い!」


 麗美は不機嫌全開な声色で返した。

 他に生徒がいないからか、完全に俺の知ってる幼馴染がそこにいた。


「なら私もしばらく帰宅部でいいかしらね。涼太との時間って、多分登下校くらいになるだろうし」

「おお、今後も一緒に登下校しそうな発言だな」

「そのつもりだけど」


 俺は「え?」と声を漏らす。

 決して嫌なわけじゃない。

 心配事があるだけだ。


「登下校が一緒って、それ麗美は大丈夫なのかよ」

「誰も毎日とは言ってないでしょ。家が隣なんだから、こうやって一緒になることもあると思っただけ。……なに、ご不満?」


 麗美が目を細めたので、俺は慌ててかぶりを振った。


「違う違う、周りに見られたら勘違いされそうって意味だよ! 俺としてはプラスに決まってんだろ!」


 弁解すると、麗美は意外そうな表情を浮かべる。


「なんだ、そこ気にしてくれてるの。全然問題ないでしょそれは。ていうかプラスなんだ」

「そりゃ幼馴染だし……まあ、迷惑にならない程度ならいいか」

「そうじゃかくて。周りから見た私たちって釣り合ってないし、勘違いとかしないでしょ」

「なぁぁぁあ!?」


 思わず声を大きくすると、数メートル先で散歩中の犬が吠えた。

 ごめんて。

 麗美は全く気にした様子もなく続けた。

 絶対に俺をフォローしてくれと言いたい。


「まあ、帰宅部でオッケーなのは助かったわ。部活入れって言われたら私も困るところだったから」

「さっきのはまるで俺が下の方に釣り合ってないみたいな言い方だったな!?」

「周りから見たらそうなるんじゃない?」

「ゴフゥ!」


 話を戻した末のカウンターパンチに、大ダメージを食らう。

 あえて大袈裟な仕草をしてみせたものの、割と胸中の感情をそっくり表したものだ。

 くそ、全部セイラの言う通りかよ。

 俺が落ち込んでいると、麗美はいくらかスッキリしたようにクスリと笑った。


「落ち込まないでよ。昨日一日見てたけど、あなたのクラスでの評判がそこそこ良いのは分かったわ。勘違いされないくらい、私の評判が良くなる予定なだけ。今のところどう、転校生としての私」

「やっぱわざと演じてたのか……良い性格してるわマジで」


 俺の返事に、麗美は「でしょ?」と気取らない笑顔を浮かべた。

 かつてより柔和になった笑顔を目の当たりにしながら、俺は思考を巡らせる。

 ……やっぱり、一日俺を見ててくれたのか。

 昨日柚葉が言ってた通りだ。


 ──二階堂サン、吉木を目で追ってたから。


 でもここでポジティブな反応をしたら一瞬で気持ちを悟られるだろう。

 妙なプライドが邪魔をして、俺はスカした顔をした。


「まーいいわ。じゃあ話戻すけど、なんで麗美は部活に入りたくなかったんだ」


 俺の問いに、麗美は見透かしたように目尻を下げる。

 俺が待機の姿勢を崩さずにいると、麗美はようやく答えてくれた。


「……自分に素直になったら、もっと一人の時間が欲しい気がしただけ。中学は部活入ってたけど、涼太の話信じるなら原則も形ばかりみたいだし。一旦帰宅部で様子見ようかなって」

「ふーん、なるほど。まあ、それもアリかもな」


 実際部活必須という校則は形骸化しているし、一度部活に入って辞めた人は特に何も言われない。

 最初から入部していない俺や柚葉だって咎められたのは仮入部期間が終わった直後だけだし、転校生の麗美は最初から免除されそうだ。


 それから取り留めのない雑談に興じて、麗美との登校はあっという間だった。

 校門を跨ぐとあからさまに視線を感じ、校舎に入るとその数は一気に増加する。

 上履きを靴箱から取り出す際は二階から何人かに見下ろされてたし、廊下を歩くと同学年は必ず振り返る。

 中でも男子はちょっと不服そうな表情だ。


「……ギャラリーの何人かは、俺たち家がほぼ隣同士だなんて言ったら卒倒しそうだな」

「絶対言わないでよね」

「おう、二人だけの秘密だからな」

「気持ち悪い言い方……」

「ひでえな!?」

「あはは」


 麗美の笑い声に、男子が何人か視線を寄越す。

 今日は転校二日目だし、そろそろ男子たちも本気を出す頃だろう。

 下手したら、今日は麗美ともう喋れないかもしれない。

 だから今さっき気になったことを訊いてみた。


「そういやさ。部活に乗り気じゃないのに、なんで部活原則のウチに入ったんだ? 他にも高校とかいくらでもあっただろ」

「……本気で言ってるわけ?」


 麗美はそう言って振り返った。

 情景が脳裏に過ぎる。

 麗美が涙を目にいっぱい溜めて、誓うように放った言葉。


「絶対帰ってくるって言ったでしょ」


 ──あの時の言葉がフラッシュバックする。


「約束を果たしたまでよ」

「……それ冗談?」


 訊くと、麗美は視線を窓の外に投げる。

 そして俺に目をやり、肩を竦めた。


「冗談よ。小学生に親を動かせる発言力なんてないしね」

「くそ! 騙された! 騙されかけた!」

「でも涼太がここにいるっていうのはお母さんから聞いてたし、理由の一つにはちゃんとなってるわ」

「ほんとかよ。それは信じていいんだよな!?」

「ええ。私たち、それくらいには仲良かったじゃない」


 麗美は口元に弧を描いて、先に教室へ入って行った。

 俺は暫く入口に佇み、今しがたの言葉を反芻させる。


 ……麗美、昔と比べると本当に変わったな。


 ストレートに感情をぶつけるのはこれまで通りだけど、今のように好意を口にされたのは記憶にない。

 友達としてが枕詞に入るとはいえ、数年前の俺ならあっさり勘違いしてしまいそうな表情だった。

 小学生の頃なら、ますます好きになってただろうな。

 初めての彼女は初めて好きになった相手だ、なんて思い込んでいたから。

 麗美とイイ感じになった思い出と、麗美が転校した後過ごした思い出。

 どちらも交互に想起した後、かぶりを振る。


 ……そんなに恋愛が甘くないのは、嫌ってほど知ってるだろ。


 そう思い直して、教室へ入った。

 陽だまりに温められた空気が、俺を迎えてくれた。

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