第8話 昔の名残

「え!? な、なにがなにが!?」


 麗美の豹変に、俺は仰天して素っ頓狂な声を上げた。

 目の前にいるのは先ほどの麗美ではなく、記憶の中にいる彼女だった。


「とぼけないで、からかってるんでしょって!」

「か、からかってないわ!? ていうかそんなことする訳ないだろ、めっちゃ久しぶりなのに!」

「はぁぁ!? よく言うわ、小学生の頃なんて散々変なこと言ってきた癖に!」


 その返事を聞いて、今までのゾッするくらいセンスのない冗談が次々脳裏に浮かんだ。

 苦虫を噛み潰したような気持ちになる。

 改めて思い返すと、あの頃の俺はイタすぎだ、いやまじで。


「ご、ごめん。あの頃の言動、まじで悪かったと思ってる」

「……はい? 別に、今更そこを責めるつもりなんてないわよ」


 麗美は怪訝な表情を浮かべて、俺から手を離した。


「思ってたより勢いついちゃった。ごめん、痛くない?」

「い、痛い……かもしれない」

「ほんと? 顔見てたら懐かしくなっちゃって、つい。ごめんなさい」


 麗美は大袈裟に後頭部をさする俺に、再び謝った。

 ……身体の痛みなんて、本当はすぐに引いていた。

 昔のイタさを思い出して気まずくなっただけだ。

 沈黙の時間に、麗美は気まずそうに頬を掻いた。


「えっと……もしかして私、空回りしたかしら」


 サラサラの髪が揺れる。

 俺はかぶりを振った。


「いや、元はといえば俺のせいだからな。とにかく、冗談ならよかったわ」

「そ……よかった。でも、私も半分本気だったわよ? だからまあ、おあいこ。せめてチャラってことにしてもらえれば助かるわね」

「何が違うんだその二つ。てか、やっぱ本気だった?」

「本気よ。昔の私ってほら、あんまり皆んなから好かれる部類じゃなかったし。転校初日から昔の私なんて知られたくないの」

「あー……そういうことか」

「あなたなら喋ってもおかしくないって思ってたけど、やっぱり警戒しててよかったわ。相変わらずね」


 麗美はそう言葉を連ねた。

 今の麗美は転校生。

 もっともな心情を察することができず、俺は「ごめん」と項垂れた。

 返事がなかったので顔を上げると、麗美は何ともいえない表情だった。

 戸惑っていると、麗美はすぐに口元を緩めた。


「……そんなにすぐに謝らないでよ。あなたこそ、なんか雰囲気変わったわ」

「いや、こっちのセリフだよ。そんな──」


 ──"吉木君"。


 先程の対応が脳裏に浮かぶ。


「──丁寧な感じになって。昔はもっと、ぶっきらぼうな対応だったのに」

「……皆んなの前でって言いたいの? この年で無愛想貫く方が骨が折れると思うけど。ていうか最後あたりは愛想良くなってたでしょ、さっきからいつの話しようとしてるのよ」

「それはそうだけど……」


 縦横無尽に天翔けるような、唯我独尊女子。

 あの頃の麗美があまりに強烈なのだ。

 でも確かに、小六の麗美はすっかり物腰も改善されていた。

 そうじゃなければ、いくら小学生といえどクラスのリーダーは務まらないし。

 想起していると、麗美が息を吐いた。


「こっちは転校生だし、無難な高校デビューをさせてもらいたい訳。だから今後も昔の話はしないでもらえたら助かるわ」

「わ、分かったよ」

「復唱して? 皆んなの前で昔の話はしない」

「皆んなの前で昔の話はしない」

「……素直すぎる」

「どうすりゃいいんだ!」


 疑いの目に抗議すると、麗美はこともなげに肩を竦めた。


「まあいいわ。なんでもかんでも本音いえばいいって年じゃないしね」


 廊下にクラスメイトたちの賑やかな声が響いて、麗美は壁の向こうに視線を移す。

 野暮な生徒たちが麗美を探しに来たのかもしれない。


「やば、早速目立っちゃう。早く戻らないと」


 窓から入ってきた風が麗美の髪を靡かせ、シルバーのピアスがキラリと光った。

 周りの反応を気にした発言。

 記憶の中より、中身も外見も大人になってしまった麗美。

 俺はそんな彼女と、かつての空気感に戻れるのだろうか。

 それに──高校生になった麗美は、あの日のことを覚えているのだろうか。

 麗美は俺の視線が変わらないことに気付いて、小首を傾げた。


「……なに? もっと喋りたい感じ?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

「そこを否定されるとなんだか居た堪れないんだけど……」


 麗美が目を細めて、俺は慌てて言葉を続けた。


「いや、その。二階堂が本音で喋らなくなったとしたら、なんかもったいないって思ってさ」


 誰に対しても偽ることなく言葉を紡ぐ。

 たとえ周りから疎まれていようとも、かつての麗美は俺の憧れだったから。

 さっきから昔の麗美を想起してしまうのは、これが理由なのだろう。


「……ごめん。余計なお世話だよな」


 俺の謝罪に、麗美は少し困ったようにしてから、口元に弧を描いた。


「……そうでもないわ。私、さっき一つだけ本音言ってたし」

「え? どこで?」

「うん。涼太、、がいて安心したって」


 俺は目をパチパチさせる。


「そ……そりゃ良かった」

 詰まりながら言葉を返すと、麗美は少し頬を赤らめた。


「ねえ、本音言ったら照れるのやめてくれない? こっちが恥ずかしくなるんだけど」

「普通に恥ずかしいこと言ってましたよ!?」


 麗美は「うるさいわね」とそっぽを向いて、一足先に教室前の廊下へ歩いて行った。

 俺は彼女の背中を眺めながら思案する。


 ──今、名前で呼ばれた。


 こんなことで喜ぶなんて、我ながらなんて本当に現金なやつだ。

 ……だけど。

 あの時、、、、俺と麗美はイイ感じになっていたのか。

 近いうちに、それも確かめられるかもしれない。

 いや、ちゃんと確かめたい。

 そう思うには充分な材料だった。

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