第6話 二階堂麗美という女
縦横無尽に天翔けるような、唯我独尊女。
男子とは殆ど口を聞かず、女子にだって無愛想、行く先々で何かが起こる。
それが二階堂麗美という女だった。
「近寄らないでよ」
「気安くしないで?」
「告白とかほんとに気持ち悪い!」
告白に失敗した男子が逆恨みもできないほど冷徹かつ暴虐な返事。
小学低学年とはいえ、男子が泣かされる光景は中々に衝撃的だった。
当然周りからの評判は良くなかったが、誰も直接言えないのはあまりに麗美という存在があまりに美人で、男女問わずに隠れファンがいる分、嫌うにも勇気のいることだったからだ。
そして二階堂麗美が唯一心を開く男子──それが俺だった。
もちろん、俺に何か力がある訳じゃない。
理由は簡単で、幼馴染だからだ。
「あなたは別よ。だってずっと一緒にいるんだもの」
……ということは、幼馴染じゃなかったら俺なんて見向きもされなかったに違いない。
小学低学年から麗美は美形だったらしいが、それは
人間なんて漏れなく信用できないというスタンスの麗美を、男子の遊びに誘って無理やり連れ回した。
ゲーセンでメダルゲームをしたり、二人でオオクワガタを探す旅に出て、夜道に迷って危うかったこともある。
無謀な遊びも、麗美は非難することなく付いてきてくれた。
「あなた危なっかしいから、親から面倒みろって言われてんの」
麗美は時折そう口にしていたが、それにしてはいつも楽しそうだった。
俺から同性のような扱いを受けるのが、麗美には嬉しかったようだ。
学年を重ねると、麗美はクラスのリーダーになった。
唯我独尊な性格はリーダーシップへと変移し、他人を引っ張り上げることに長けた中心人物になった。
そんな麗美を、俺が明確に女子として認識し始めたのは小学六年生の頃だ。
ショートヘアがセミロングになり、胸も少し膨らんで、スタイルのシルエットも変移した。
麗美の顔立ちに女性の魅力を覚え始めた頃、いつの間にか異性としても好きになっていた。
理由は外見だけじゃない。
多分俺は、身近にいた人間が大人になっていく過程にやられたんだと思う。
目を見張るほどの美人で、クラスのリーダー。
すっかり周りから囃される存在となった麗美が、変わらず接してくれたのも恋を加速させた。
だからといってどうすれば関係を進展させられるかは分からなかった。
というより、当時の現状に満足していたのだ。
同じクラスだった俺たちは放課後も毎日遊び、遠足などのイベントではお弁当のおかずを交換するのも当たり前。
麗美の友達が激増しても、俺は一番仲の良いグループに当然のように入れてもらえた。
麗美の友達は皆んな気さくで、俺よりもコミュニケーション能力に長けていた。
周りについていこうと必死の俺が、場を盛り上げようと「なんか太った?」というデリカシーの欠片もない、今思い返せばゾッとするような冗談でいじっても、麗美は「そうかもね」と済まし顔で対応するだけ。
当然、二人の時に「どういうつもりよこのバカ!」と怒られたのだが。
そんな関係性を周囲の男子から羨まれることも、疎まれることもあった。
他の男子への彼女の対応に、下賎な優越感に浸っていたのは否定できない。
ただ麗美の発言力は既に相当なもので、彼女が懇意にする俺へあからさまな嫌がらせする人は皆無だった。
片想いをし続けて、卒業式が迫ってきた秋頃。
いつまで経っても告白できなかった俺に、とんでもないニュースが舞い込んだ。
「
──麗美が俺のことを好いている。
噂なんて半分以上が早とちりかデタラメだし、特にあの麗美が他人に話すなんて考えづらい。
だけど俺は、あの憧れの的の麗美とダントツの仲。
それはもう本当にダントツに仲良しな男子という自負があったし、その噂を信じたいと思った。
「麗美、今日二人で帰るか?」
噂を聞かされた当日の放課後、俺は改まった誘い方をした。
誘われた時の麗美は、心なしかいつもより頬が赤い気がした。
それは夕陽による錯覚かもしれないし、もしかしたら麗美に熱があっただけかもしれない。
だけどその光景は俺を一層奮い立たせて、告白の二文字が初めて明確に頭に浮かぶ。
「な、帰ろうぜ」
久しぶりの強引な誘いに、麗美は目を瞬かせる。
だけど彼女は、すぐに口元を緩めてくれた。
「いいわよ。二人で帰るのなんて久しぶりね」
「だろ? ほら、最近グループばっかで全然二人にならないし」
「そうね。じゃあ、帰りましょうか」
二階堂麗美は俺が好き。
それにしては、いつも通りすぎる反応だった、
校門から出て、改めて見ても、いつも通りの麗美だった。
……噂は噂か。
落胆した想いが顔に出そうになった時、麗美は薄く口を開いた。
「せっかくだし公園とか寄る?」
驚いてその場で止まる。
何かに誘うのはずっと俺の仕事だったのに。
その誘いを殆ど全てを了承してくれるのが麗美なのだが、そんな彼女から誘ってくれるなんてめちゃくちゃ珍しい。
もしかしたらこれまでに数回しかないかもしれない。
「公園なんか行ってなにすんだよ?」
馬鹿みたいな返事をしてしまったと後悔した。
せっかく誘ってくれたのに、自らケチをつけるなんて。
俺の質問に、麗美は申し訳なくなるくらい真剣に考えてくれた。
「……確かに、何しよ。ブランコでもこぐ? シーソー?」
小学低学年の頃、よく二人で遊んでいた際のものばかりだ。
照れ隠しで思わず「ブランコとかシーソーとかガキの遊びじゃん!」と言うと、麗美はフンッと鼻を鳴らした。
クラスでは見せなくなってきた、ガキ大将の頃の表情。
「ガキで結構よ、今だってまだガキだし。涼太のことだし、久しぶりのブランコにビビってるだけじゃないの」
「なっ、んな訳ねえだろ!」
「久しぶりにやったら絶対楽しいから。……何でもさ」
麗美のムッとした表情は最後に小さく笑顔に変わった。
俺は「んだよ仕方ねえなー」と照れ隠しの返事をしながら、心の中で小躍りした。
何でもって言った。
今、何でもって。
言葉の裏には"二人なら"が隠されてる気がした。
浮き立つ俺にとって、公園までの道のりは一瞬だった。
ブランコを漕ぎながら、麗美が静かに言葉を紡ぐ。
「涼太ってさ、好きな人いるの?」
麗美からその話題になるのは意外だった。
麗美とは何でも喋る。
だけど六年生になる頃から、なぜかその話題はお互いにしなくなっていた。
「…………えっとな。……ちょっと待って、考えるからそっち言って?」
「……ヘタレ」
麗美はそう睨みながらも、次の瞬間には「うーん」と悩んだように空を見上げる。
「……好きな人はいないんだけど。気になる人はいるかも、くらい」
「おー。誰、誰」
胸が高鳴る。
期待か。それとも。
「バカ。名前言うとは言ってないでしょ? ほら、次は涼太の番。言ってみて」
「はー!? なんだよそれ!」
期待をくじかれてガッカリしたけど、追及するにも勇気がいるし、とりあえず返事をすることにした。
「俺かー。俺は……もっと一緒にいたいって思う人はいる」
麗美も答えを濁したし、これくらいの塩梅がいい。
つまんないってツッコまれるかなと思ったけど、麗美は意外にも口元を緩めるだけだった。
やっぱり、麗美の様子がおかしい。
「ふーん、意外。……そうなんだ」
麗美はそう言ってまた空を見上げた後、不意にブランコを軽く漕いだ。
…………あれ、何だこの空気。
鎖が擦れてキィキィ鳴る。
二人きりの公園。
二人きりの時間。
麗美のブランコはすぐに止まって、俺たち二人はその場で前方に視線を泳がす。
木々のさざめく音や、川の音。
沈黙の時間が、とても心地良い。
──イイ雰囲気な気がする。
今なら、いけるかも。
「麗美。俺さ──」
続きの言葉は出なかった。
面と向かう麗美の表情が、あまりにもいつも通りで。
不思議な表情をする麗美に、俺は「卒業、嫌だな」とか続けて、誤魔化した。
すると麗美は寂しそうな笑みを浮かべ、「……そうね」と短く答える。
結局、そのまま麗美に告白できなかった。
一丁前に足がすくんだのだ。
告白に失敗したら、今みたいに喋れなくなる。
そんなありきたりかつ絶大な悩みを抱えて、暫く二人で帰る日が続いたものの、それ以上の進展はなかった。
告白という壁を突破できなかった俺に、麗美も普段通りで──その日がきた。
「転校?」
たった四文字、聞き慣れた単語。
それなのに現実味を感じられないほど、俺の思考は止まってしまった。
「うん。……ごめん。随分前から決まってたのに、結局言うの直前になって」
麗美は目を潤ませる。
その時、俺は理解した。
帰り道に誘った日、放課後の教室。あの時、麗美は泣いていたのだ。
顔が赤く見えたのは、泣いた後だったからだ。
「いや……その」
元気出せよ。また会えるだろ。
それを言ってしまうと、関係が終わるのを認めてしまう気がした。
「──絶対帰ってくるから」
麗美の目から、大粒の涙が溢れる。
それが馴染みの場所から離れる哀しさか、クラスから離れる哀しさか、それとも……自分と会えなくなる哀しさか。
ほんの少しだけでも自分がその涙に含まれている事実だけで、俺は満足できてしまった。
その後暫く、後悔し続けることになるというのに。
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