ギストラロムドの大剣

壱単位

第一部 地の果てには竜が棲む

プロローグ


 あと、二百四十六秒。


 汎事象の再帰スライドオフ、すなわちこの宇宙の消滅まで、そう長い時間は残されていない。


 それでも、ハルトは動かない。

 外宇宙の辺縁、虚無の世界で、色のない色だけが埋める空間で、無限に繰り返される星系の誕生と消滅のひかりに照らされながら、膝に載せたミディアの蒼い髪を撫でながら、ハルトはちいさく囁いているのだ。

 その囁きは、微かな歌、とも聴こえた。


 「……懐かしいな、それ」


 ミディアがゆっくりと瞼を上げた。

 髪と同じ、銀を帯びた蒼の瞳。が、すでに視界はほとんどないだろう。ハルトの顔を本来の機能どおりに捉えているとは思えない。

 それでも彼女の視線はまっすぐ、その生涯を賭けた相手の瞳に向けられている。


 「覚えてたんだね」


 ハルトも同じ温度の視線を返し、微笑んだ。

 ミディアは複雑に構成された頸部の機構を軋ませながら、わずかに顔を逸せてみせた。ふん、と鼻も鳴らしたかったのだろうが、それには失敗した。


 「忘れるわけ、ねえ。あたしの根源再起動ディープリロードの第一コードだ。あああ、あんたに出会って、それさえ聴かなきゃ、こんなハメにはならなかったのになあ」

 「……後悔、してるの……?」


 ハルトの声がわずかに揺れた。それを感じたのか、ミディアはゆっくりと腕をあげ、彼の額を人差し指で軽く突いた。う、とハルトはうめいて口先を尖らせた。


 「……痛いよ」

 「生意気、言ってんじゃねえ」


 言葉とは裏腹に、ミディアの声は穏やかな明るさを含んでいる。


 「……あんたと出会って、あんたとひとつになって、一緒に闘って。短い時間だったけど、あたしの記憶層メモリーにある二百年分のどの記憶より、あたしにとっては大事な想い出だ。後悔なんてするわけがない。でも……な」

 「……うん」

 「怖くなったんだ。初期化されるしぬのが。消えるのが。あんたと出会って、あたしは……変に、なった。弱くなったんだ。おかしいだろ? 竜人形ドラゴノイドのあたしが」


 言葉を途中で遮って、ハルトはミディアの手を両の手のひらで包むように握り、自分の胸に押し付けた。


 「ちがうよ。弱くなったんじゃない。ミディアは……君は、気付いたんだよ。生きているんだって。自分は、生きたいんだ、って」

 「……生きて……あたし、が?」

 「生きている。君は、生きた。僕と一緒に。そして、これからも、ずっと」

 「……あは」


 ミディアの視野機構に透明な保護剤が溢れ、それは彼女のほほを伝い、ハルトの膝に雫となって落ちた。予定されていない動作だが、彼女の処理中枢はそれを停止することができなかった。

 握られていないほうの腕をあげ、ハルトの頬にゆっくりと手を沿わせる。


 「……ほんとうに、生命が、あるなら。生まれ変われるのかな。あんたの創る新しい宇宙で……もう少し背が低くて、もう少し可愛らしい声を出せて、もう少し……あんたに優しくできる、ひとに」

 「……必ず、見つける。今度は僕が訪ねてゆくよ。だから、心配しないで」


 ミディアは微笑みを浮かべてハルトの言葉を聞いていたが、なにも言わず、瞼をゆっくりと開閉することで応えた。


 あと一度、最後の、そして究極の竜鎧変形ドラガルファーゼ

 ギストラロムドの、大剣。

 天孫コズミックチャイルドたちの自壊攻撃によりもたらされた連鎖的な崩壊反応を阻止するためにはそれしか方法が残されていない。そのことを、そしていま彼女に残存する動力のすべてを用いれば辛うじてそれを実行可能であることを、二人ともよく知っている。

 それにより、彼女は自我機構いのちを永遠に失うということも。


 ふたりが出会った頃と少しも変わらない幼さの残る顔にほんの一瞬の迷いを映して、それでもハルトは、穏やかに声を出した。


 「……じゃあ、行くよ」

 「……ああ」


 ゆっくりと顔を近づける。

 近づくにつれ、ふたりの身体が薄い蒼の光に包まれる。

 ハルトもミディアも、ぎりぎりまで目を瞑らない。

 唇が接触するほんの少し前、わずかにミディアが囁いた。


 「……セキニン、とれよな。待ってるぜ」


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