第3話 桜の森 [底]

ヘレナ「アカミネ・アマギ・・・この街の人と近しい感じの名前ですね」

アマギ「・・・そうなの?」


ダイトウ「ああ、この辺の地域は文化が独特らしいな。都会の方へ行くと、ヘレナ嬢ちゃんみたいな名前の子がいっぱいいるぞぉ?」

ヘレナ「フィジーお婆さんもね。私たちは他所から引っ越して来たから」

アマギ「なるほど。俺の出身地と似ているのかもしれませんね」


もちろん日本の事だが、二人はそんなこと知る由もない。


ダイトウ「ま、そのボロボロの服に比べれば気にすることじゃねぇな。お前さん方、気づいとったか?背中とか特に、裂けてるぞ」

ヘレナ「あ、ほんとだ。裾も切れてるし、なんだか浮浪者みたいです・・・」


アマギ「・・・そんな気がしてました。背中がちょっと涼しいなぁと・・・」


ダイトウ「ハハハ!まぁおまけだおまけ、福利厚生って奴?従業員には衣装も居る。奥で腐らしてるハカマがあるから持っていきな」

ヘレナ「腐ってる物を押し付けない」

ダイトウ「ひ、比喩表現だ・・・ほら、入った入った」


アマギ「・・・ありがとうございます」


あまりの気前の良さに、お礼を言う事も忘れそうになる。

当然のように人助けする彼に感心すると同時に、見習うべきと思うアマギだった。


・・・


アマギ「ええと、発泡酒3つですね。少々お待ちください」


その後アマギは、数日間その酒場で働いた。

眉目秀麗で人当たりが良いためか、売り上げは明らかに増えたらしい。

その過程で彼は客との会話により、

この世界についての知識を少しずつ深めていった。


アマギ「(俺が今いるのは、“ハートランド大陸”にあるコランダム王国。この街はこの大陸で最も東にある。一番近い街は北西の“エルフェン”っていう所か・・・エルフが多く住んでいるって聞いたけど、いるんだなエルフとか・・・)」


彼はエルフの姿を想像する。

脳裏に浮かんだのは、金色の長い髪に、尖った耳の女性。


アマギ「(・・・いや、もしかしたら想像とは違うかもしれないな)」


夜遅くまで酒場で働き、診療所に戻って眠りにつく。

彼は始まった新たな生活に、比較的速やかに順応した。

ベッドに腰掛け、既に見知った天井を見上げ、窓の外の夜桜に目を移す。


アマギ「冒険者・・・か」


知らぬ職業と、未だ理解の及ばない世界の在り方。

依然として脳裏に焼き付いた、大蛇と白き少女の鮮烈な強さ。

二十年かけて作られた自らの常識が、真っ向から否定される感覚は、

恐れと少しの期待感を、彼の胸の内に膨らませる。


そんな彼が他に抱くのは、至って自然な迷い。元の世界への帰還についてである。


アマギ「(俺は元の世界に戻れるのだろうか?もしも戻れるとして、戻る事に意味はあるだろうか・・・)」


ヘレナ「アマギさーん、そろそろ消灯ですよー」


一人で思慮に耽っていると、看護師が時間を知らせにやって来た。


アマギ「ああ、分かった・・・それは?」

ヘレナ「お夜食!」


抱えた木箱に詰められているのは、昼間に街で買って来た菓子らしい。


アマギ「・・・医療従事者とは思えない不摂生ぶりだな・・・」

ヘレナ「大丈夫!このためにお夕飯抑えたから!あ、一個食べる?」


勤務時間外の彼女は、かなり砕けた口調をしていた。

彼女は近くの椅子に腰掛けると、スイートポテトのような菓子を一つ食べた。


ヘレナ「ん、美味し!ほら、遠慮しないで食べて良いのよ?」

アマギ「いやそんな・・・自腹だろう?悪いよ・・・と言うか消灯時間なんじゃ?」

ヘレナ「フィジー婆さんは帰ったから。少しくらい時間にルーズでも怒られないわ」


ヘレナ「それより貴方の話を少し聞きたくて。旅人って言ってたけど、この街に住むつもりなの?」

アマギ「・・・まぁ、そうだな。帰る方法も今の所無いし、その理由も無い。他に行くアテも特に無い・・・やる事が無いからさ」


ヘレナ「帰る理由が無い・・・?家族の人とかはいないの?」


彼女は少し心配そうな物言いをしていた。事情を概ね悟ったのだろう。

このアマギという青年に、身寄りはないと言う事を。


アマギ「父も母も既に故人だ。俺には兄弟もいないし、友達も・・・昔はいたんだけど、今となっては疎遠だし。親戚は会った事も無かった」

ヘレナ「さ、寂しいわね・・・恋人もいないの?」

アマギ「・・・はは、いた事も無いな」


軽く笑いながら答えると、彼女はやや棒読みで言葉を返す。


ヘレナ「えー?意外―、座ってるだけで格好良いのにー」

アマギ「それはどうも・・・本気にするからあんまり言わないように」

ヘレナ「えへ。でも意外、本当に一人で旅してたんだ。魔物も出るのに凄いね?」

アマギ「運が良かっただけだよ。でも幸運はいつまでも続く物じゃ無い。まぁ、生活費は何とかなりそうで良かった・・・剣を使えるとは言ったけど、その魔獣に通用するとは限らないからね」


ヘレナ「いざとなったら、冒険者にもなる気はあったんだ」

アマギ「生きるためならな」


置かれた箱から菓子を摘み上げ、一つ口に放り込む。


アマギ「・・・美味しい」

ヘレナ「でしょ?さて!私は明日もあるし、そろそろ戻るけど。何か困ったらまたここに来てね、助けになるから!」


太陽のように明るい笑顔で、彼女は部屋を後にした。


アマギ「(帰宅、か・・・戻るべきなのか、ここにいるべきなのか・・・眠いな、今日はもう寝よう。答えを急ぐ必要はない。どうせ方法も無いのだから)」


闇に包まれた病床の上で、彼は再び眠りに就いた。


数日後の昼下がり。日中も酒場は開いている。

彼は早速店に出ると、昼間から酒に酔う初老の男性を見つけた。


男「倅が帰ってこねぇんだ・・・変だと思ってよぉ・・・ギルドに依頼したんだ、探してくれって・・・何が帰ってきたと思う・・・?」

アマギ「・・・・」


男「腕・・・腕が見つかったって・・・俺は見たんだ、間違いなく俺の倅の腕だった・・・俺が昔、誕生日に贈った腕時計をしていたんだ・・・南東の河原でバラバラになってたって・・・!」


アマギ「・・・!(南東の・・・河原・・・まさかあの時の・・・)」


バジリスクに襲われた時。

彼らはアマギに気を取られたせいで、背後から来た大蛇に気付かなかった。


その男は遺品の腕時計を握りしめ、泣き喚きながら酒を呷る。


アマギはとても優れた頭脳を持っていた。一度見た物を忘れない記憶力があった。

彼の握りしめた遺品の腕時計が、河原の男の左腕にあった物だと一目で分かった。


アマギは言葉を失う。その日の夜は、眠ることさえできなかった。


転機と言う物は唐突に、風が吹くように訪れる。

運び込まれる物が暖かい春風であれ、凍て付くような北風であれ、

その中でどちらに進むのか、人は選ばなければならない。


アマギ「・・・眠い」


翌日。彼は店に向かう前に、眠い目を擦りながら街の外へ出ていた。

とても気分が悪かったので、人のいない場所で落ち着きたかったのだ。

そこへ、ヘレナがやって来る。


ヘレナ「何しているんですか?こんな所で・・・」


アマギ「ヘレナ・・・なんでここに?」

ヘレナ「たまたま歩いていく所を見たので。大丈夫ですか?具合が悪いなら・・・」

アマギ「ああ、大丈夫。ちょっと寝不足なだけだよ」


彼は悩んでいた。それは冒険者となるべきか、であった。


ダイトウに勧められた時は、自分がやる必要性を感じなかった。

身を危険に晒す事が恐ろしかった。

しかし彼は、酒場であの男の話を聞いた。痛ましい悲劇の語りを。


自分のせいであの二人は死に、そしてあの老人は悲しみに明け暮れていた。

彼のように、魔獣の騒動や戦争で心を痛める者は多くいる。

そしてこれからも増えていく事だろう。彼は心の中で嘆いていた。


アマギ「(でも、俺にできるのか・・・?あんな化け物と戦うなんて俺に・・・)」


無理に決まっている。あれほどの怪物に、人間が太刀打ちできる筈がない。

それは分かりきった事であり、彼はその時も冒険者になる選択をしなかった。


彼の思考が変わったのは、その直後の遭遇。

街の外をヘレナと歩いている途中で、猪らしき獣に出くわした時だった。


アマギ「・・・!?」

ヘレナ「ま、魔猪まちょです・・・!」


獣は出会い頭に突進して来た。

自らを狙った突進を回避し、アマギはヘレナを連れて走り出す。


アマギ「(酒場で聞いた話だと、魔獣は人間に対する敵意が強い!普通の獣への対処は意味が無い!逃げないと・・・!)」


魔猪「ゴォォォ!!」


背後から突っ込んでくる猪の魔獣。


ヘレナ「きゃぁっ!」


アマギ「ヘレナ!」


突進を避け切れず、ヘレナが弾き飛ばされた。

彼女は桜の木の根元に転がる。

アマギは彼女に駆け寄った。

大きな怪我はないものの、頭を打ち、気を失っていた。

そのままアマギは彼女を抱き抱える。


アマギ「・・・この・・・コイツ・・・!」


アマギは再び突っ込んできた魔猪を、大きく跳躍して回避すると、

ヘレナを置いて魔獣の目前に、鬼気迫るような表情を露わに立ち塞がる。

心臓が高鳴り、身体中に炎のような熱が巡る。

その感情は、怒りだった。


アマギ「決めたよ。こういう事が至る場所で起きてるって言うなら・・・ここが街を出ただけで人が死ぬような、巫山戯ふざけた世界だと言うなら。俺はお前らから人を守る剣になる!」


突進してくる魔猪を睨みつけ、追突の瞬間に両手で牙を掴み取る。


アマギ「・・・!?・・・行ける・・・!」


獣と人間の力の差では、弾き飛ばされるが席の山。

しかし彼は、荒ぶる四つ脚を、彼自身でも信じられないような膂力で受け止めた。


アマギ「・・・大人しくしてろ・・・!!」


魔獣の筋力に、弾き飛ばされそうになるが、そのまま魔猪を押さえ込む。

彼は体の底から、底知れない凄まじい力が湧き上がってくるのを感じていた。


アマギ「_はァッ!!」


抑え込んだ魔猪の頭部に、全力で手刀を振り下ろす。

魔獣の頭骨の硬さに、逆に手を痛めそうになるが、

彼は構わず更に全力の蹴りを繰り出した。


信じられない力が出た。

人間の脚力で、暴れようとする猪を弾き飛ばしたのだ。


怯んだ魔猪を見ながら、アマギは落ちていた木の枝を拾い上げる。

再び飛び込んで来る魔獣が吠えようと口を開いたその瞬間。

彼は拾い上げた枝を思い切り投擲し、魔獣の体内を串刺しにした。


アマギ「はぁっ・・・はぁっ・・・」


沈黙する魔猪。アマギはヘレナの方へと駆け寄り、彼女を抱え上げて街に戻る。

彼の瞳には、決意の炎。

彼はヘレナを診療所に預けた後、ダイトウの酒場に向かった。



冒険者の店。コランダム王国各地に点在する、冒険者ギルドの活動拠点。

新たな冒険者の加入申請や、クエストの受領と報酬の支払い、

そして連絡に至るまで、冒険者のあらゆる活動の中心となる重要な窓口である。


その形態は実に様々だが、スプリングタウン唯一の“冒険者の店”は、

酒場という姿で街角に居座っている。


ダイトウ「冒険者になる・・・本当か?俺としては、このまま酒場で働いて貰ってもいいんだがな」


アマギ「はい、決めました。例え力不足だとしても・・・魔獣に脅かされる人々を守りたい。少しでも悲しむ人を減らせるなら、そしてその助けになれるのなら」


新たな加入申請に、店主の男は腕を組み、青年の真っ直ぐな瞳に口角を上げた。


ダイトウ「そうかい・・・ああ、そうか!なら良いだろう、男の覚悟に泥塗るほど野暮じゃねぇ!手続きは任せな、なぁにそう難しい書類じゃ無え。それと、奥に刀がある。気に入ったのを持って行くと良い」


気前よくアマギに武器を持たせるダイトウ。

店の奥には、幾つもの刀剣が、台座や箱に置かれていた。

過去の冒険者達の遺失物が大半らしい。


彼はその中から、直感的に刀を選び、着込んだ袴の帯に差す。


冒険者の名簿に登録されたのは、ダイトウが手続きをしたその日の夜。

アマギは正式に冒険者となり、各地を巡りながら戦う旅に臨む。



ヘレナ「・・・あれ?」


翌朝、診療所のベッドでヘレナが目を覚ます。

彼女は記憶を探り、自分の身に何が起きたのか考えた。


ヘレナ「・・・ええっと・・・魔猪に襲われて・・・あ、アマギさん!」


彼女は起きあがろうとして頭痛に苦しむ。


ヘレナ「痛っ・・・」

フィジー「大人しくしてなさいって、怪我してるんだよ。すぐ治してやるからさぁ」

ヘレナ「・・・アマギさんは?」

フィジー「アンタを運びこんでどっか行ったよ。なんでも冒険者になるらしいって」


ヘレナ「・・・!」


フィジー「あ、コラ待ちなって!」


飛び出して行くヘレナ。彼女は街にてアマギを探した。

お礼を言いたい、話がしたい。彼が街を去る前に。


まず駆け込んだのはダイトウの酒場。アマギの行動範囲はそれほど広く無い。


ダイトウ「お?何だヘレナの嬢ちゃん・・・今日はまだ開店してねぇぞ?」

ヘレナ「ダイトウさん、アマギさんは?」

ダイトウ「ああ・・・成程な。アマギは既に街の外に向かった、急げばまだ間に合うかもな」


彼女はそこで、アマギが既に出立した事を知らされる。

軽いお礼の言葉の後、ヘレナは街の出口へと走っていく。


ヘレナ「・・・!」


ヘレナ「アマギさーん!」


そこには、まだアマギがいた。

外へと出ようとしたその瞬間に、ヘレナはギリギリ間に合った。


アマギ「ヘレナ・・・!怪我は?」

ヘレナ「え?あ、いたたた・・・!」


怪我が治っていない事にようやく気が付いたのか。彼女は蹲って腕を押さえる。


ヘレナ「だ、大丈夫です、ありがとう・・・助けてくれたんですよね?アマギさん」

アマギ「・・・ああ。でも・・・ごめん。俺が不用意に街を出たせいで、あんな危ない事に巻き込んだ」


謝るアマギ。彼はこのまま街を出る前に、ヘレナに謝っておくべきか。

それを迷っていまだに街の出口で止まっていたのだ。


ヘレナ「いえ、着いて行ったのは私です。本当にありがとう・・・それで」


彼女は本題を切り出した。


ヘレナ「冒険者になる、って聞きました。嫌がっていたのに・・・何故?」


アマギ「・・・俺は、多分戦える」


彼は左脇に佩いた刀を尻目に見ながら、昨日の魔猪との戦いを思い出す。


アマギ「戦える奴が燻っていたら・・・戦えない人が酷い目に遭う。俺が戦えば、助けられる誰かも・・・きっといる」


思い出していたのは、昨日の事だけではない。

あの酒場で悲しみに打ちのめされていた男と、大蛇に殺された二人。

彼らのことを忘れまいと思い出し、二度と同じ目に会う誰かを出さないと胸に誓う。


アマギ「・・・罪もない人々が踏みつけられて、獣が蔓延るなんて許せない。弱者が負けて強者から奪われるなんて悲劇だ。だから俺は・・・人を守る剣になる」


ヘレナは決意のこもった彼の瞳に、息を呑むような美しさを見る。


ヘレナ「・・・本気なんですね。自分から危ない場所に向かうなんて・・・」


アマギ「ああ。俺は行く。まぁ、死なない程度に頑張るから。また会おう、ヘレナ」

ヘレナ「はい。どうかお元気で。困ったことがあったら、いつでもまたこの街に来てください。私・・・待ってますから」

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