第6話 肥後生まれの研究所長、北里柴三郎

 「このたび政府のつごうで伝染病研究所が文部省の所管に移ることになりました。文部省に行くのはやがて大学へつけられるためと思う。自分は持論として伝染病研究所の大学付属に反対してきたのである。そして内務省衛生局は伝染病研究所を必要とすると信じている。自分は当研究所が日本の衛生行政に相当役に立ってきたと信じてもいます。しかるにこのたびの移管については、自分の意見をも徴されなかった。すなわち北里は伝研所長として信頼もされず、重要視もされておらぬ。こうなっては、自分は所長の椅子にとどまることはできぬ。自分は自分の信念にしたがって辞職するが、前途の長い所員一同は踏みとどまって学術のために献身すべきである」

北里は炯々たる眼光、鳴り響く熊本弁で滔々と語る。雷親父の異名は伊達ではない。還暦を過ぎた男のものとは到底思えない迫力だった。

無視することなど誰も出来ぬ、千両役者。


 「自分は何処までも先生にお供します!」

「私もです!」

所長の演説が終わるや否や、部長以下所員が一斉に声を上げる。

北里の熱と怒りは瞬く間にその場の全員に伝播した。あたかも燎原の火の如く燃え広がり、手の付けようがない。

当の北里を以てしても辞職を翻意するよう説得することは不可能だった。


 大正3(1914)年10月14日、官報に勅令が掲載された。内務省から文部省へ伝染病研究所の所管を移すと。

創設者兼所長である北里はおろか、内務省内でも事前に知らされていた者は皆無に等しいという極秘計画だった。

北里の動きは速かった。翌11月には北里研究所を発足させ、大正4年、白金の地に新しい建屋を構える。

かつて福沢諭吉から北里を支えるために派遣された男、田端の大車輪、その実務と財務の才は圧巻だった。


 移管初日、立つ鳥後を濁さずとばかり整然と片付けられた研究所の建物で、所員が唯一人も出勤していない状況を確認した官吏たちは苦虫を噛み潰した。

誰かが「治世之能臣、乱世之奸雄……」と忌々し気に呟く。

緊急招集された講習生あがりの軍医たちは降ってわいた責任の重さ、職場の前途多難の予感に慄き、顔面蒼白だった。


 志賀と秦は酒を酌み交わしながら語りあう。

「何ともまあ、政府も下手を打ったものだ!!僕や君、所員が皆辞めてしまうとは夢にも思わなかったんだろうが!北里先生あっての伝研で、その逆じゃない。至極当然なことがなぜ分からないんだろう?」

「全く」

「ともかく職員に俸給を払える目途が立って良かった。それに人間万事塞翁が馬、先生は負けん気に火が付いて、見たまえ、明らかに若返られた!あの熊本弁の雷!!あれが轟くと我々も奮い立たざるを得ん!」

「ああ、本当に」

秦は朗らかな笑みを浮かべる。酒に強く、顔色もほとんど変わらないが、旧知の人間が見れば楽しい酒であることが分かる。

「先生の奥方は伝研辞職を曾我兄弟を引用してご子息ご息女に対して伝えられたらしいぞ。たいしたお方だ」

「この夫にしてこの妻ありだな」

二人はまた盃を交わす。


 「ところで、僕の郷里にある東北帝大は昨年文部省の反対を押し切って、初めて女子の入学を認めた。数年後には女性の学士誕生だ。時代は変わるなあ」

「そうだな。女子学生と言えば、エールリヒ先生がアルトホーフ氏の話でそんなことを仰っていた」

急に二人の間を流れる空気がしみじみとしたものに変わる。


 「エールリヒ先生は体調を崩されているようだが……」

「うん、最近いただいた手紙にもそうあった。あのエネルギーの塊のような先生がずいぶん気弱なことばかり書かれていて、心配になった」

「僕の二度目の在外研究時にはもう健康を損なわれていたからな。裁判に巻き込まれたのが返す返す痛かった。欧州の戦争で研究所が徴用されてしまったのも打撃だったようだし」

「戦争で他国の友と連絡も途絶えがちらしい。痛ましくてならん、あの朗らかな優しい先生の老年期に、苦難ばかり振りかかかるとは!」



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