第35話 反撃の狼煙(須藤光視点)

 私は普通が好きだ。


 朝起きて、トーストにバターとジャムを塗って食べて、コーヒー片手にテレビ見て、歯を磨いて、駅まで歩いて、満員電車に揺られながら通勤する。


 そして朝から夜まで会社で働いて、早ければ10時、遅くても12時には帰宅する。


 家に帰ってきたらシャワーを浴びて、パジャマに着替えて、ソファに腰を降ろして、スマホ片手に30分ほど晩酌する。


 そんな代り映えのしない至って普通の毎日を、この上なく愛している。


 須藤光すどうひかり、25歳。


 普通とは縁遠いからこそ、私は普通を愛し続けてきた。少しでも普通に近づけるよう、努力を続けてきた。


 なのに。

 それなのに、その普通が崩れつつある。


 岡田修おかだおさむ

 

 彼がやってきてから、職場の空気は一変してしまった。


 岡田さんは、俗に言うパワハラ上司というヤツだ。


 口は悪いし、声はデカいし、機嫌がそのまま態度に出るタイプだから、周りにいる人は常に気を遣うことになる。


 彼のせいで、私の同期の一人が鬱病を発症し、そのまま退職してしまった。


 他にも何人もの社員が彼にイジメられて、心に深い傷を負わされた。


 でも、誰も彼には逆らえない。

 

 少なくとも職場では――この部署では、彼はリーダーなのだ。


 実際、リーダーとしての素質は持ち合わせていると思う。


 彼の出す指示は的確だし、彼自身も成績がいい。

 

 しかしその実態は、典型的なゴマ擦り人間。

 だから取引先の人間や上司には気に入られる。


 そんなわけで彼はどんどんと増長していって、もはや歯止めが利かなくなってしまった。




 それから2年後。

 一人の女の子が入社した。


 その子は、天海最中と名乗った。


 その名前を聞いた時、私は「世界はなんて狭いのだろうか」と思った。


 天海最中。

 最中ちゃん。

 彼女は、私が通っていた小学校の後輩だった。


 とはいっても、それほど仲が良かったわけじゃない。


 一緒に遊んだのも2~3回程度だったと思う。


 私の名前を聞いても最中ちゃんは特に反応を示さなかった。けれど、それも当然だろう。


 私は、ちょっと残念と思うと同時に、嬉しいとも思った。


 私にとっては大きな出来事。

 それこそ、人生を変えるほどの。 

 でも最中ちゃんにとって、あの出来事は取るに足らない日常の一コマでしか無かった。その事実が、堪らなく嬉しくて愛おしいと思えた。




 その日。

 当時小学5年の私は、帰りの道で男子生徒に取り囲まれた。


 その男子集団はいつも私をイジメてくる。


 なんでも、口数が少なくて読書ばかりしてるのが気に入らないのだとか。


 男子生徒の数は4人。


 私は無視を決め込んでいたけれど、むしろ逆効果だった。無視されて腹立ったのか、男子の一人がこんなことを言い出す。


「なぁ、公園で探索者ごっこしようぜ! もちろん俺たち4人が探索者で、須藤はモンスター役な!」


 嫌だ。

 そう口に出す間もなく、彼らは私の手を引いて無理やり公園に連れ込んだ。


 そして突如として始まる探索者ごっこ。

 正確には、探索者ごっこという名のリンチだ。


 モンスター役だから殴られろ。

 モンスター役だから蹴られろ。

 モンスター役だから歯向かうな。

 モンスター役だから、モンスター役だから、モンスター役だから。


 私は身を丸めて、必死に耐えた。


 だって、私は普通じゃない。

 普通じゃないから、そうするしかなかった。


 でも――。


「へへ、コイツ弱っちいぞ! 全然反撃してこないじゃないか。そう言えば俺の母ちゃんが言ってたな。須藤ンとこの父ちゃんはダンジョンで死んだって。そっか、父ちゃんが弱虫だからコイツも弱虫なんだな、ギャハハッ!!」


 その言葉で私の理性は消し飛んだ。

 気付いたら私は彼らに殴りかかっていた。


 いきなり反撃されたて、彼らは慌てたように身を守りに入る。

 それから数秒後、私に殴られたという屈辱が怒りに転じて、彼らは4人がかりで私を痛めつけた。


 スキルを発動してしまおうか?

 そう思った。


 普通はスキルというのは子供は使えない。

 

 大人でも、力のある人間に目覚めさせてもらわなければスキルは発動できないらしい。


 でも私の場合は違った。


 重力場拡張収縮グラビティ・コントロール

 物体に作用する重力の強さと方向性を自由自在に操作する。

 4歳の頃から、私はこのスキルが発動できた。


 お父さんには「絶対に他人に向けて使うな」と言われていたけれど、コイツらはお父さんをバカにした。


 だから使ってもいいだろう。

 大丈夫、強さの制御はできる。

 ちょっと痛めつけるだけ。

 ちょっとビビらせるだけ。


 私は意を決してスキルを発動しようとした、その時だった。


「ちょっと君たち、なにしてんのさっ!??」


 その子は――最中ちゃんは、正義のヒーローさながらに登場して、私のことを助けてくれた。


 たった一人で4人に立ち向かって、もちろん喧嘩には負けたけど、そしたら最中ちゃんは、


「全部スマホで録画してあるからね! ネットにばら撒いてやるから!!」


 だなんて言い始めて。


「だったらスマホ奪ってやるよ!」

「無駄だよ! もうママのスマホに転送したもんね! 私たちに危害加えたらネットに流すようにお願いしたけど、まだやるの!?」


 ハッタリだ。

 誰が聞いても嘘だと分かる。


 でも、もしかしたら?

 そんな疑念も残る。


 結局その4人組は2歳も年下の女の子一人に折れて、私に謝ってくれた。


 もし最中ちゃんが来てくれなかったら、私はスキルを使っていたかもしれない。そうしたら、彼らを傷つけていたかもしれない。


 そうならなかったのは最中ちゃんのおかげ。


 だから、最中ちゃんは私にとってのヒーローなのだ。


 そんな最中ちゃんのことを、岡田さんは目の敵にしている。


 飲みに誘って断られたからというのがその理由だ。


 本当にくだらない。

 たかがそんな理由で、私の恩人をイジメるだなんて。


 許せない。

 いや、許しちゃいけない。

 そう思った。


 だから私は証拠を集めることにした。

 高性能なカメラ、高性能な録音機材。

 それはペンの形をしていたり眼鏡の形をしていたり、様々。


 高性能ということはお金がかかるということだけど、お金に糸目をつけるつもりは無かった。


 理不尽に心を痛めつけられた同僚のために。そして最中ちゃんのために。


 岡田修という人間を全力で叩き潰すと、そう決めた。


 そして今、私の手には数十枚ものカードが握られている。


 岡田さんが犯してきた数々の罪。


 パワハラ、セクハラ、カスハラ、横領、不倫、そして最も新しいのが個人情報の流出。


 なんと、最中ちゃんの個人情報を流出させたのは岡田さんだったのだ


 調べれば調べるほど、岡田さんからは埃が出てきて、笑ってしまうほどだった。


 もちろん私一人じゃここまで調べることはできない。


 しかし私には協力者がいる。


 須藤光の力は矮小。

 けれど、影乃纏かげのまといとしてなら、私は世界でも戦える。影乃纏になら、力を貸してもいいという人が多くいる。


「私はただ普通に生きたいだけ。その邪魔をするというのなら、容赦はしない」


 明日か明後日か明明後日か。

 近いうちにケリを付けよう。


 そして、岡田さんが来る前までにあった、あの平和な日常を取り戻すんだ。


 

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