第4章 最中と岡田の末路編
第31話 変わる日常
ゴールデンウィークも明けて、いつもの日常が帰ってくる。
「それじゃ仕事行ってくるから、お利口さんにしてるんだよ?」
『きゅぅ……』
今日のライムスはちょっと不機嫌。
ゴールデンウィーク中は私とべったりだったから、離れたくないみたいだね。
私だって気持ちは同じだよ。
本音を言えば、仕事に行かないでライムスと一緒にいたい。
でも、安定した暮らしのためには働くのが一番だからね。
「ライムス、帰ってきたらいっぱいナデナデしてあげるから。ね?」
私が言うと、ライムスはしぶしぶといった様子で納得してくれたよ。
ライムスはいい子だから、こういうときは物分かりが良くて偉いんだよね。
「じゃ、行ってくるね」
『ぴきゅ~っ!』
#
それにしても相変わらずのギュウギュウ具合だよねぇ。
みんな仕事だから仕方ないとはいえ、やっぱり満員電車はイヤになっちゃうよ。
そんなことを思いながらも、吊革を掴みながら窓の外を眺めていると。
ちょんちょん、と肩を小突かれて。
「あの、人違いだったらすみません。もしかして、天海さんですか?」
「? はい、そうですが」
いきなり声を掛けられたけど、その人は知らない人だった。私が応じると、その人は嬉しそうに笑顔になったよ。
「やっぱりそうだ! あ、あの、昨日の配信見てました! えと、レイドクエストのヤツ!」
「わわっ、昨日の見ててくれたんですか? 嬉しいです、ありがとー!」
「いやぁ、驚きましたよ。随分と似てるなーって思って、それで声を掛けて見たら、まさか本人だったなんて」
そんなふうに話していると。
「え、天海さん?」
「ちょっとどいて、見えないよ」
「うわ、ホンモノじゃん」
「すげっ!」
「昨日バズってた人だよね?」
「てかめっちゃ可愛いな」
「彼氏とかいるのかな……」
「サインもらっちゃおうかな」
「てかあの格好、まさか普通に社会人やってるの?」
「え、だとしたら超勿体無くね?」
「スライムくんは?」
「え、えーとっ」
ど、どうしよう。
まさかこんなことになるだなんて考えてもみなかったよ。
私が戸惑っていると、ちょうどそのタイミングで電車が停止した。まだ一駅早いけど、こうなっちゃったら仕方ないよね。
「ご、ごめんなさい! 私ここで降りなきゃなので。それじゃっ!」
そう言い残して、私は逃げるように電車を降りた。
まだまだ実感が湧かないけれど、もう昨日までとは違うんだね。
私もライムスも多くの人の目に触れて、名前まで覚えてもらえた。それはとっても嬉しいことだけど。
「もう、今まで通りの生活というわけにはいかないのかもしれないね……」
私は須藤さんに電話して、事情を説明した。
本当は岡田さんに連絡するべきなんだけど、なんとなく怒鳴られそうで、それが嫌だから須藤さんに連絡したよ。
「そういうわけで、少し遅れちゃいそうなんです。本当にごめんなさい」
「分かりました。ではその旨、岡田さんに伝えておきます。天海さん、あまり急がなくていいですからね。いつものペースで通勤してきてください。事故にでも遭ったら大変ですから」
「お気遣いありがとうございます。なるべく早く行けるようにしますので。本当にすみません」
「そんなに謝らないでください。どうしても申し訳なくて気が収まらないって言うなら、お昼休憩のときにサインでも下さいよ」
「ふへへ、須藤さんも冗談言うんですね」
「いや、冗談なんかじゃありませんよ? 私だって天海さんのチャンネル登録してるんですから」
「……なんかそれ、めっちゃ恥ずいですね」
「会社に来たらもっと恥ずかしい目に遭いますよ。ふふ、覚悟しておいてくださいね?」
うう、なんか須藤さんて……ちょっとSの気があるかもしれないね。
とはいえ、これで一安心だね。
須藤さんはいつもクールで落ち着いた印象だし、仕事も早いよ。
私も含めて、須藤さんみたいな格好良い女性に憧れる人は多くて、つまり須藤さんは人望が厚い。
だから岡田さんも、須藤さんには文句言いづらいでしょ。
「マスクくらいは買っておいたほうが良さそうだね」
私は最寄りのコンビニでマスクを購入して、それからもう一度電車に乗った。
#
会社に着いた頃には、既に始業時間を20分も過ぎていた。
私は小走りでロビーを抜けて、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターを降りて、ツカツカと廊下を早歩き。
そしてオフィスに入場すると。
「うっっ」
まるで時間が止まったかのような静寂。
そして私に向けられる無数の目線。
ヤバい。
めっちゃ気まずいねコレ……。
私はゴクリと息を呑んで、早歩きで岡田さんの席に向かったよ。
何はともあれ、まずは遅れたことを岡田さんに謝罪しないとだからね。
「あの、岡田さん。本日は遅刻してしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「須藤から聞いてるよ。ま、今回だけは大目に見てやる。でも次は無いからな。東京を救った英雄だの、ダンジョン・ブレイクを未然に防いだだの言われてるが、そんなの仕事には一切関係ねぇからな」
「はい、分かっています」
「おう、分かってりゃいいんだよ。それじゃとっとと席に着け。それとタイムカードは9時で切っとけよ」
「はい、分かりました」
今は8時20分だけど、まぁ仕方ないよね。
遅刻したのは私の責任だし。
席に着くと、須藤さんが紙コップにコーヒーを淹れてくれたよ。
「天海さん、大変なのはこれからですよ」
「そう、なんですかね?」
「ええ。だって天海さんはもう有名人なんですから。まあ、昼休憩になったら分かりますよ」
そんな須藤さんの言葉は現実になった。
それと電話で言っていた「会社に来たらもっと恥ずかしい目に遭いますよ」という言葉も。
「天海さん、サインください!」
「配信見ましたよっ!」
「いよっ、英雄!」
「一緒に写真撮って!」
「息子がライムスくんのファンになっちゃってさぁ」
「ねぇ、1枚くらいサインくれたっていいでしょ?」
「う、ぁ、えっと、サインとか書いたこと無くて……」
うう、ホントに恥ずかしいよぉ~~。
英雄とかそんなふうに呼ばないでよ。
サインだって書き方分からないしさ。
写真なんて以ての他だよ、せめてお化粧直させてよ!
ていうか、なんで他の部署の人たちまで来てるのさ!?
私は須藤さんを見つめて助けを求めた。
須藤さんはやれやれと言いたげに溜め息を漏らすと、私の手を引いて。
「天海さん。ちょっとマナー悪いけど、廊下走りますよ」
「え? あっ、ハイ」
まるで王子様に手を引かれるようにして、私はオフィスから飛び出した。
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