閑話① 魔喰いの噂(土門一郎視点)

 この部屋の窓からは、街が一望できる。

 

 街道を縫い行く車両も、まるで蟻のように跋扈ばっこする人の群れも、立ち並ぶビル群も……全てが、我が子のように愛おしい。


 だからこそ、私は僅かな瑕疵かし齟齬そごも見逃したくは無いのだ。


 ほんの少しでも違和感があるのなら、とことん追求せねば気が済まぬのだ。




 コンコン。


 二度のノックの音で、私の意識は現実に引き戻された。


「入れ」


 短く返答すると、ギィ……と扉が開かれ、そこから秘書の相沢あいざわが顔を出した。


 相沢はいつもサイドで結った茶髪を胸元に垂らしていて、たまに、本当にたまにだが、無性にぽふぽふしたくなる。


 一度ぽふぽふしていいかと聞いたら、セクハラで豚箱にブチ込まれてもいいのなら好きにしろと脅され、以降、私は必死に発作を堪えているのだが。


 まぁこの苦労は彼女には伝わらんのだろうな。


「例の件ですが、無事に終了いたしました」

「そうか。して、肝心のステータスは?」


 私と相沢は革張りのローソファに腰を降ろし、丸机を囲った。


 その上に相沢が一枚の書類を置いて、その後は、私をすんと見据えたまま人形のように動かなくなった。


「フム。では、拝見させてもらおうか」


――――――――――――――――――――

 天海最中あまみもなか:Lv3 女 22歳

 HP40

 MP10

 攻撃力10

 防御力9

 魔法攻撃力8

 魔法防御力8

 素早さ25

 職業:無し

 ――――――――――――――――――――


「ふ、普通だな……」

「えぇ。あまりにも普通のステータスです」


 うぅむ、だとすれば私の思い違いだろうか?

 だが、どうにも気になって仕方が無いのだ。

 昏睡の中、伊藤の放ったあの言葉が。


「スライムが、喰った……」


 あれはどういう意味だ。

 字面通りに捕らえれば、スライムがイレギュラーを捕食したと考えられる。


 だがそんなことはあり得ない。

 常識的に考えて、たかがスライムがイレギュラーに勝てるハズがない。


 今回のイレギュラーは双眸そうぼうに赤色光を宿していたと伊藤から聞いている。


 これは暴飢餓バーサク状態だ。

 つまり、最低でもDランク以上の強さはあるということ。


 それをスライムが喰らうなど、そんなことあるわけがない……普通に考えればな。


「土門様。もしや、まだあの寝言を気にしておられるのですか?」

「むぅ……。どうにも気に掛かって仕方が無いのだ。指定番号411ホールに潜った魔物使いは3名。内2名はイレギュラーの出現に伴い第2層へと避難している。伊藤の寝言を真実と仮定した場合、整合性を取れるのは天海最中という存在だけだ」

「ですが、彼女のステータスは至って平凡なものです。しかも、まだスキルが開花していません。土門様、従魔が従魔たる所以をお忘れですか?」

「まさか」


 従魔――それはあくまでも主君に仕えるモンスターのこと。


「主従関係を結ぶという関係上、従魔が主君の能力・・・・・・・・を上回ることは・・・・・・・絶対にあり得ない・・・・・・・・

「ご名答。そして、ステータスの偽装は不可能。となれば、もう答えは出ているではありませんか。伊藤真一の寝言はただの妄言。おそらく、昏睡状態の中で夢でも見ていたのでしょう。もしくは、記憶の混濁が生じていたか」


 むぅ。

 果たして、本当にそうなのだろうか?


「釈然としない――そんな顔をしていますね?」

「まぁ、な。なんというか、どうにもしっくりと来なくてな。今、私の頭の中にはもう一つのストーリーが展開されつつある。非常に馬鹿げた、一笑に付す価値すら無いであろうただの妄想……だが、長年の経験と勘が告げているのだ。その妄想こそが真である、とな」

「…………全く。困った人ですね、アナタは。それで? 私にどうしろと言うのですか。わざわざ呼び出したからには、何か頼みごとがあるのでしょう?」

「ふっ、流石だな。話が早くて助かるよ」

「何年秘書やってると思っているんですか」

「そうだな。――頼みごと、という程のことでもないんだがな。お前、ネットやSNSに関しては中々に詳しかったよな?」

「詳しいという程ではありませんが。まぁ、トレンドには敏感な方だと思いますよ」

「そうか。……なにも難しいことをお願いしようという気は無くてだな。ただ、ある噂を広めて欲しいのだ。なんというかこう、努めて自然な感じで」

「随分とアバウトですね。それで、どんな噂を広めろと?」


 私は一呼吸置いてから、真剣な面持ちで告げた。


 おそらくこれが日常の会話の延長だったのなら、冗談か何かだと思われていただろう。


 そうでないことを強調するために、いつも以上に真剣な目で、相沢を見据えた。


「魔物を喰らうスライムが出たらしい――そんな感じの噂を広めてくれ。フェイク動画や裏アカウント、なんなら金を掴ませて偽証させてもいい。ゆっくりと、だが着実に。いずれ多くの探索者がその疑念を胸に抱くように――そのように仕向けて欲しいのだ。出来るな?」


 あえて、出来るか? ではなく出来るな? と問うのは、少しばかり狡いやり方な気もするが。


 だが、この胸の内に沸く違和感を解消するためには、多少の無理強いは免れない。


 もし勘違いならば、それはそれでいいのだ。

 いらぬ労働を強いた故のそしりはこの身で受ければいいし、損なわせた時間には対価を支払えばいい。


 ただそれだけなのだから。


「アナタの「出来るな?」は「やれ」と同義ですからね。探索者協会副会長の命とあらば、やるしか無いでしょう。では、さっそく作業に取り掛かりますので。私はこれで失礼します」


 そう言って立ち去ろうとする相沢に、私は待ったを掛ける。


「相沢」

「……なんですか」

「いつもすまないな。こう見えても感謝はしてるんだ」

「で? だからなんだというのですか」

「いや、その――だから、ありがとうな。それだけ伝えておきたくてだな。スマン、無駄に呼び止めてしまった」

「…………別に構いませんよ。では、失礼します」


#


「さて、と」


 私は再び、窓の外に広がる景色に視線を落とす。


 やはりそこには、いつもの日常が広がっている。


 私は自分に言い聞かせる。


 この日常を守るため。

 そのためにも、僅かな疑惑も許されないのだ、と。


「相沢。頼んだぞ」


 そんな独り言は、無音の室内に溶けて消えた。

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