閑話① 魔喰いの噂(土門一郎視点)
この部屋の窓からは、街が一望できる。
街道を縫い行く車両も、まるで蟻のように
だからこそ、私は僅かな
ほんの少しでも違和感があるのなら、とことん追求せねば気が済まぬのだ。
コンコン。
二度のノックの音で、私の意識は現実に引き戻された。
「入れ」
短く返答すると、ギィ……と扉が開かれ、そこから秘書の
相沢はいつもサイドで結った茶髪を胸元に垂らしていて、たまに、本当にたまにだが、無性にぽふぽふしたくなる。
一度ぽふぽふしていいかと聞いたら、セクハラで豚箱にブチ込まれてもいいのなら好きにしろと脅され、以降、私は必死に発作を堪えているのだが。
まぁこの苦労は彼女には伝わらんのだろうな。
「例の件ですが、無事に終了いたしました」
「そうか。して、肝心のステータスは?」
私と相沢は革張りのローソファに腰を降ろし、丸机を囲った。
その上に相沢が一枚の書類を置いて、その後は、私をすんと見据えたまま人形のように動かなくなった。
「フム。では、拝見させてもらおうか」
――――――――――――――――――――
HP40
MP10
攻撃力10
防御力9
魔法攻撃力8
魔法防御力8
素早さ25
職業:無し
――――――――――――――――――――
「ふ、普通だな……」
「えぇ。あまりにも普通のステータスです」
うぅむ、だとすれば私の思い違いだろうか?
だが、どうにも気になって仕方が無いのだ。
昏睡の中、伊藤の放ったあの言葉が。
「スライムが、喰った……」
あれはどういう意味だ。
字面通りに捕らえれば、スライムがイレギュラーを捕食したと考えられる。
だがそんなことはあり得ない。
常識的に考えて、たかがスライムがイレギュラーに勝てるハズがない。
今回のイレギュラーは
これは
つまり、最低でもDランク以上の強さはあるということ。
それをスライムが喰らうなど、そんなことあるわけがない……普通に考えればな。
「土門様。もしや、まだあの寝言を気にしておられるのですか?」
「むぅ……。どうにも気に掛かって仕方が無いのだ。指定番号411ホールに潜った魔物使いは3名。内2名はイレギュラーの出現に伴い第2層へと避難している。伊藤の寝言を真実と仮定した場合、整合性を取れるのは天海最中という存在だけだ」
「ですが、彼女のステータスは至って平凡なものです。しかも、まだスキルが開花していません。土門様、従魔が従魔たる所以をお忘れですか?」
「まさか」
従魔――それはあくまでも主君に仕えるモンスターのこと。
「主従関係を結ぶという関係上、
「ご名答。そして、ステータスの偽装は不可能。となれば、もう答えは出ているではありませんか。伊藤真一の寝言はただの妄言。おそらく、昏睡状態の中で夢でも見ていたのでしょう。もしくは、記憶の混濁が生じていたか」
むぅ。
果たして、本当にそうなのだろうか?
「釈然としない――そんな顔をしていますね?」
「まぁ、な。なんというか、どうにもしっくりと来なくてな。今、私の頭の中にはもう一つのストーリーが展開されつつある。非常に馬鹿げた、一笑に付す価値すら無いであろうただの妄想……だが、長年の経験と勘が告げているのだ。その妄想こそが真である、とな」
「…………全く。困った人ですね、アナタは。それで? 私にどうしろと言うのですか。わざわざ呼び出したからには、何か頼みごとがあるのでしょう?」
「ふっ、流石だな。話が早くて助かるよ」
「何年秘書やってると思っているんですか」
「そうだな。――頼みごと、という程のことでもないんだがな。お前、ネットやSNSに関しては中々に詳しかったよな?」
「詳しいという程ではありませんが。まぁ、トレンドには敏感な方だと思いますよ」
「そうか。……なにも難しいことをお願いしようという気は無くてだな。ただ、ある噂を広めて欲しいのだ。なんというかこう、努めて自然な感じで」
「随分とアバウトですね。それで、どんな噂を広めろと?」
私は一呼吸置いてから、真剣な面持ちで告げた。
おそらくこれが日常の会話の延長だったのなら、冗談か何かだと思われていただろう。
そうでないことを強調するために、いつも以上に真剣な目で、相沢を見据えた。
「魔物を喰らうスライムが出たらしい――そんな感じの噂を広めてくれ。フェイク動画や裏アカウント、なんなら金を掴ませて偽証させてもいい。ゆっくりと、だが着実に。いずれ多くの探索者がその疑念を胸に抱くように――そのように仕向けて欲しいのだ。出来るな?」
あえて、出来るか? ではなく出来るな? と問うのは、少しばかり狡いやり方な気もするが。
だが、この胸の内に沸く違和感を解消するためには、多少の無理強いは免れない。
もし勘違いならば、それはそれでいいのだ。
いらぬ労働を強いた故の
ただそれだけなのだから。
「アナタの「出来るな?」は「やれ」と同義ですからね。探索者協会副会長の命とあらば、やるしか無いでしょう。では、さっそく作業に取り掛かりますので。私はこれで失礼します」
そう言って立ち去ろうとする相沢に、私は待ったを掛ける。
「相沢」
「……なんですか」
「いつもすまないな。こう見えても感謝はしてるんだ」
「で? だからなんだというのですか」
「いや、その――だから、ありがとうな。それだけ伝えておきたくてだな。スマン、無駄に呼び止めてしまった」
「…………別に構いませんよ。では、失礼します」
#
「さて、と」
私は再び、窓の外に広がる景色に視線を落とす。
やはりそこには、いつもの日常が広がっている。
私は自分に言い聞かせる。
この日常を守るため。
そのためにも、僅かな疑惑も許されないのだ、と。
「相沢。頼んだぞ」
そんな独り言は、無音の室内に溶けて消えた。
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