第6話月に一度のご褒美デー
今回は『ご褒美デー』と呼ばれる日に起きた事件です。
一年生の雑用に、練習前の飲み物作りがあります。飲み物はパックの麦茶を、ウォータージャグという大きな容器に作ります。そんな中、月に一度だけご褒美デーというポカリスエットを飲める日がありました。月末の金曜日は特別な日で、先輩も楽しみにしています。ハードな練習で身体の水分が枯渇した時に飲むポカリスウェットは格別です。
とはいえ、一年生は作るだけで飲むことはできません。先輩が美味しそうに飲んでいる姿を指をくわえて見ているだけです。
「ヤバイ…ポカリ買い足してなかった…」
ポカリスウェットの箱を見ながら、まっつんが震える声で言いました。お茶やポカリスウェットの在庫管理も一年生の仕事です。定期的に自分たちで購入して、顧問の先生に清算してもらう流れでした。
三人で買い出しの約束をしていましたが、全員が忘れていました。いつもは粉末を三箱分使うのですが、一箱しかありません。必要量の十五リットルに対して、粉末は五リットル分しかないのです。特によくないのが、前日に掃除のことで部長に怒られて、三人で拳立てのペナルティをしたばかりということでした。前日に続いて、「ご褒美デーを台無しにしたら、洒落にならない」と緊張感が一気に高まります。
練習前の忙しい時間に突如ピンチへ陥った三人は取り急ぎ解決策を考えることにしました。会話の中で、チュピくんは何度も「ポカリスウェッツ」と英語っぽく発音します。いつもはノリの良いまっつんが、「その発音やめろ!」とイライラしていました。
話し合いの結果、僕とまっつんで飲み物を対応し、それ以外をチュピくんにお願いするという雑用の分担を決めました。作戦立案後はただちに問題解決に取りかかります。
「一箱見つけたぞ!賞味期限が二年前に切れてるけど…」
男子部室の乱雑に積まれているダンボールの中から、まっつんが湿ってボロボロの箱を見つけました。賞味期限が気になりましたが、緊急事態なので使うことにしました。まっつんは、「”消費”期限じゃないから大丈夫…大丈夫…」と自分自身を納得させるように何度も呟いていました。
これで量は増えましたが、まだ五リットル足りません。残りは自動販売機で調達することにしました。
「嘘だろ…ポカリ売ってない…」
二人の全所持金を合わせた930円を握りしめて、校舎の自動販売機へ直行しました。しかし、残酷にも自動販売機にポカリスウェットはありません。学外へ出ることも考えましたが、最寄りのコンビニでも片道十分はかかるので、もはやそんな時間はありませんでした。
「もう…アクエリアスしか…」
追い詰められた僕たちは、まっつんの提案により、自動販売機で手に入るアクエリアスで代替することにしました。異なる商品ですが、スポーツドリンクという同じジャンルだからバレないだろうと考えました。
所持金で一本百五十円のペットボトルを四本(二リットル)購入した時に、アクエリアスは売り切れになってしまいました。
「なんでこんな時に限って!」
焦りが募ります。僕たちの脳内には、ミスをして先輩にシメられることへの恐怖しかありませんでした。
「まだ慌てるような時間じゃ”まい”!他の飲み物でいこう!」
まっつんは、スラムダンクの仙道彰のセリフを、焦りで噛みながら言いました。”ない”が”まい”になっていました。
とりあえず、その自動販売機の中で一番味と色が似ていそうという理由で、「Qooリンゴ味」を二本(一リットル)買いました。味への不安はありましたが、まっつんは「Qooはできる子だから大丈夫…大丈夫…」とよくわからない言葉を呪文のように繰り返していました。
だいぶ量は増えましたが、まだ容器にスペースがあります。僕は、「水と氷を多くして、薄味でも量を確保しよう」と提案しました。
しかし、まっつんは「ご褒美デーに味が薄い物を出したら、先輩が怒るかもしれない」と諦めずに頭を働かせていました。
「…飲みかけだが、俺はミルクティーを持っている」
少し躊躇しながらまっつんが言いました。ミルクティーは砂糖がたくさん入ってるため、甘味で味を濃くできるだろうと言うのです。普段なら止める所ですが、僕も冷静ではなく、「率先してアイディアを出してくれるこの人についていくしかない」と奇妙な思いにとらわれていました。
「…よし、入れるぞ」
まっつんは走って部室へ取りに戻ると、ウォータージャグへ飲みかけのミルクティーを投入しました。一時的に表面の色が濃く濁りました。
「衛生的によくないこと」や「最善策ではないであろうこと」は二人とも口に出さずとも感じていました。ただ、僕たちは先輩への恐怖で正気を失っていたのだと思います。
「一年!準備が遅いぞ!早く来い!」
先輩から注意の声がかかりました。完成したドリンクはまだ試飲できていません。内心冷や冷やですが、完成した”ポカリスウェットのような何か”を引っ提げて、慌てて練習場へ走ります。
「まずは走り込みいくぞ!!」
練習が始まるとご褒美デーだからか、先輩たちのテンションが普段より高く見えました。走り込みは順調に進みます。校舎周りをいつも通りに走り終えると、いよいよ運命の休憩時間へ突入しました。
例の飲み物をなみなみとコップへ注ぐと学年順に先輩へドキドキしながら配ります。まっつんは先輩が飲み物を口にする様子を固唾を飲んで見つめていました。
「おい!一年!」
鬼嶋部長の大きな声が響きました。
「ちょっと来いや!」
鬼嶋部長からの呼び出しです。心臓がバクバクしてきます。
「やはり味がおかしかったのか?ペナルティの拳立てか?」
不安で悪い妄想が加速します。横を向くと、まっつんは僕と同じように緊張で手が震えています。何も知らないチュピくんは平然としていました。
「なんかいつもよりウメェな!」
部長は上機嫌に言いました。どうやら僕とまっつんの特製ドリンクはお気に召したようです。
「特別にお前らも少し飲んでいいぞ!」
そういって、三人でコップ一杯分だけ回し飲みすることを許されました。怒られずに済んだことに、何よりもホッとしました。
非常に珍しい先輩からの施しですが、僕とまっつんは複雑な気持ちです。隠し味を知っているので、飲まずにチュピくんへあげることにしました。
「いつも雑用とか頑張ってくれているお礼だよ!」
まっつんは笑顔でチュピくんの肩をタッチしながらドリンクを渡しました。事情を知らないチュピくんは、一度僕たちに気を使って遠慮した後、幸せそうにゴクゴク飲んでいました。
こうして、まっつんの機転により、ご褒美デーの危機をなんとか回避したのでした。
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