第7話絶対眠ってはいけない少林寺拳法部
「九段と闘ってみたいなああッ!!!」
ある日、少林寺拳法"九段"の先生が来校して、講話をしていただく機会がありました。ちなみに九段は最高段位です。少林寺拳法は八級から一級、初段以上になると黒帯になります。
その先生は七十五歳ながら現役で、少林寺拳法の教えを広めるために、全国の学校や道場を周って講話をしているそうです。少林寺拳法界で五本の指に入ると言われている高名な先生らしいです。
チュピくんは、そんな七十五歳の後期高齢者にも、その牙を容赦なく剥き出していたのでした。まっつんはちょっと引いていました。
「練習が早く終わるからラッキーだな!」
講話のおかげで練習時間が短くなるので僕とまっつんはご機嫌です。どんな話が聞けるのか楽しみな気持ちもありました。
チュピくんは「ウォーミングアップにはちょうどいいか!」と言っていました。僕は「まさか、九段の先生に挑むんじゃなかろうか?」と少し心配です。
「練習時間が短い分、徹底的にいくぞ!」
鬼嶋部長の一言は、僕とまっつんにとって絶望を与えました。その日は、ランニング・ダッシュ・筋トレの組み合わせを何セットも繰り返しました。一時間の練習でしたが、普段以上に身体が重く感じます。
練習後は、クタクタなままで制服へ着替えて講話の教室へ移動します。
「寝たらヤバイからコーヒー飲もうぜ!」
まっつんの提案で、コーヒーを飲んで眠気対策をすることにしました。部長から事前に、「わざわざ来ていただく先生へ失礼は許されない!講話中は集中して聞くように!」と念押されていました。
つまり、寝たらシメられるということです。
「俺はブラックでいく!」
僕とまっつんが微糖の缶コーヒーを買っていると、チュピくんはブラックコーヒーを選びました。彼は甘党だったので、苦くて飲みにくそうでした。僕たちの前で、恰好をつけたかったのでしょうか。
コーヒーを飲んだ後、教室で待機していると九段の先生が到着しました。先生の頭はスキンヘッドで、立派な白いひげを携えていたので、仙人のようでした。チュピくんに「君は背が高くていいねぇ」と笑顔で話しかけてくれる気さくな一面もありました。
それに対してチュピくんは、獲物を品定めするかのように、先生を頭から足の先まで観察していました。僕は「隙があれば攻撃するんじゃないか?」とドキドキしていました。
「それでは、お座りください」
先生の指示で着席しました。教室の席は学年順で前から並びます。一年生はもちろん最前列です。後ろから先輩に見張られています。僕は真ん中の席で、チュピくんとまっつんに挟まれて座りました。
「少林寺拳法は、1947年に香川県で生まれました」
講話は少林寺拳法の成り立ちから始まりました。姿勢を正してノートへメモをとります。講話中は椅子に背中をつけることを強く注意されていました。
先生は、優しい落ち着いた声で丁寧に話してくれます。しかし、練習で疲労した肉体には、その声が心地の良い子守唄になってしまうのでした。エアコンの効いた教室で、僕は開始十分で睡魔に襲われていました。
「寝たらダメだ!寝たらダメだ!」
頭の中で、『新世紀エヴァンゲリオンのシンジ君』のように、何度も繰り返します。寝たら先輩にシメられるという恐怖心が、かろうじて睡魔と闘っています。「チュピくんのように、ブラックコーヒーを選ぶべきだった…」と思いました。そんな自分の砂糖のように甘い考えを後悔します。
他の二人の様子が気になりました。まずは、右隣のまっつんをちらりと見ました。ペンを手に刺して寝ないように奮闘しています。彼も同じように睡魔と闘っていることに勇気をもらいます。
次に、左隣のチュピくんにゆっくりと視線を向けました。すると、椅子に寄りかかって口を開けて寝ていました。
「僕は何も見ていない・・・」
僕は思わず目をそらし、視線を正面に戻しました。僕はまっつんを真似して、ペンを手に刺して痛みで起きるように気力を振り絞りました。
講話は黙々と進んでいきます。
「修行を通して、社会に役立つ人づくりを目指し、勇気、慈悲心、正義感を育むのです」
先生は『開祖の話』や『本当の強さ』など、少林寺拳法の教えの数々を丁寧に説明してくれました。話を聞けば聞くほど、青少年の育成を目指す少林寺拳法という武道の素晴らしさを再確認でき、「眠くないときに聞きたかった」と思いました。
「チュピくん大丈夫かな?」
なんだかんだ彼のことが気になってしまいます。やっぱり深い眠りについていました。「何とかして起こさなければ!彼を救えるのは僕だけだ!」と謎の使命感が生まれました。
先生が黒板に何かを書き始めたタイミングを見計らい、肘をペンで軽くつつきました。
「起きて!起きて!」
心の中で叫びながらペンでつつきますが、反応がありません。このまま寝ていたら、先輩にシメられるのは確定です。助けられるのは今しかありません。
そこで、心を鬼にしてペン先を容赦なく突き刺しました。
「いたぁ~い」
チュピくんは寝ぼけているのか、オネェ口調で呟き、そのまま寝てしまいました。オネェ口調にも驚きましたが、この状況でこれだけ深く眠れる大胆さには度肝を抜かれました。
もう、事の成り行きを運命に任せるしかありませんでした。
「私からの話は、以上となります」
結局、チュピくんは最後まで起きませんでした。講話の終了に合わせて、後ろの席の先輩たちが拍手をします。それに合わせて僕たち後輩も拍手をしました。
チュピくんは拍手の音で目を覚ますと、慌てて立ち上がり、大きく胸を張って頷きながら拍手していました。それを見て、「こういう人が大物になるんだろうなぁ」と呆れるを通り越して尊敬の感情を抱いていました。
「先生の話を聞いてたか?内容を言ってみろ!」
講話の終了で解散する流れでしたが、チュピくんは部長に問い詰められていました。
「はい!講話が五臓六腑に染み渡りました!でも、ニ年ぐらいしたら先生に勝てると思います!」
チュピくんは、とんでもない回答をしていました。本気なのか、まだ寝ぼけているのか、どちらにせよ、アブノーマルです。
「お前は残れ!」
その後、彼がどうなったのかはご想像にお任せいたします。
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