2.箸の怪

「あぁ、お婆の茶は美味しいね」

「そうだろうとも。ほれ、さっさと食べな」

 お婆は食に頓着しない師走を、時折自身が住まう長屋に呼んでは、味噌汁やら煮つけを作って食べさせていた。

 師走は、境内で暮らしている。

 子供の頃、里村から逃げ、古物屋のお婆に世話になったあと、成人してからは、普段は修繕屋を生業とし、時につくも物の怪異を扱っている。

 特につくも物については、つくも物の悪戯と思われることや自然の怪異に困った人々を手助けし、手間賃を受け取っていた。 中には結果として不要とされるつくも物もあったが、それらは師走が引き取って古物屋のお婆を通し、これぞという持ち主が現れれば売って貰っていた。

 魂の宿った物の声を聴くことが出来る故の生業だという噂もある。

 しかし、とらえどころのない飄々とした雰囲気もあってか、師走の素性は知られておらず、本人も語ろうとはしなかった。


 そんな師走は、放っておくと、客人が差し入れるものしか口にせず、買っても酒くらいしか腹の足しにしようとしない。

 その酒さえ、最近では奉納されたものをちょろまかすことが多い。

「お神酒泥棒。罰当たり。世話の焼ける娘だよ」

 空いた師走の茶碗に白米を押し込みながら、お婆は小言をつぶやく。

「昔は奉ってる神様もいない神社だったんだから、罰も何もないさ。差し入れを貰ったって構いやしないだろう」

「馬鹿を言うでないよ。それに、今はそれらしいのがおろうが」

「多良かい。まぁ神様じゃあないし、猫又だけど、守ってはくれてるみたいね。しかし猫に酒はいかんよ。死んで祟られたら怖い」

 黒猫は師走の小屋に住み着く猫又で、霊感が強く、本堂に来るようになってから邪なものが境内に寄り付かなくなった。

 多良と師走が名付けた猫又は、口は聞けないが、身振り、目つき、鳴き声で師走と意思の疎通が行えた。

 多良が本堂の仮のご神体となったのは、師走の説得あってこそであった。

「それで?最近、古物はどうだい」

「鋏は庭師、硯は看板屋。他もぼちぼちだね。お前さんがつくもさんらを諫めてくれれば年季の入った名品ばかりだからね。評判がいいのも当り前さ」

「それはよかった」

 と、湯気立ちのぼる味噌汁を口元に運ばんとした瞬間。

 甲高い金属音がぶつかりあいながら疾風のごとく向かってきたかと思うと、師走の眼前を通り過ぎ、壁板に派手な音を立てて何かが突き刺さった。

 わずかに瞠目して壁を見やった師走は首をかしげた。

「ありゃあ、私が扱ったものじゃないね」

「まったく子供みたいなつくもさんだよ」

壁板に突き刺さった反動で震えているのは、長い火箸であった。

「今日客から押し付けられたのさ。明日にでもお前さんとこで落ち着かせてもらおうと思ってね」

 お婆はため息をついて、たくあんを噛んだ。

「でも明日でいいのかい?火箸だろう。寝込みに目でも突かれたら痛いよ」

「死んじまうだろうが。そう思って今日は呼んだんだ。お代は今日の飯だよ」

「なら、たんと頂かなきゃあね。おかわり」

「米は?」

「おくれ」

 よく食べるとまた文句を言いながら、お婆は丁寧に椀に米を盛り、味噌汁をよそった。


「厄介になるよ」

 お婆が営む古物屋に件の火箸を持ち込んだのは、役所の役人であった。

 時々、怪異を起こす品を持ち込む馴染の男であったので、お婆は引き受けることにした。

 男は物の溢れる店の一角に腰を下ろし、お婆に語り始めた。

「死罪に処した罪人の遺品で、蔵に入れておいたのだ」

 しかし、昼夜問わず、内側から凄まじくぶつかる音がする。

 しびれを切らせた見張りの一人が蔵の扉を開けたところ、厚い木の扉の内側に火箸がめり込んでいた。

 驚いた見張り役は他の者も呼んで検分した。頑丈な扉には何か所も穴が開いており、火箸が暴れて所構わず刺さったものと思われた。

 役人達は縄で縛って奥にしまってみたが、まるで外に出んとばかりにすぐに飛び出し、扉に突き刺さる。

 まるで生き物のようだと言い出され、これではうっかり死人も出かねないと懸念した上役は、どうにかせよと、先の役人に命じたのであった。

 お婆は役人から処理代を受け取り、役人は逃げるように店を出て行った。


 お婆は食後の茶碗を重ねながら、火箸を見やった。

「その罪人ってのは元は武士の浪人でね。盗賊に襲われたそうだが、刀を抜く前にその火箸が飛んでいって次々と相手の目やら腹やらに突き刺していった、と言っていたそうだ。おおかた、呪いの火箸ってとこかね」

「そうかな。つくもさんは、せいぜい悪戯するくらいのものだよ。何かそうしなきゃいられない事情があったんだろうさ。そのお武家さんはなんで火箸なんて持ってたんだい」

「詳しくは知らんが、飯を食わせてもらった農家で譲り受けたそうだよ」

「農家か」

 師走は床に寝転んで両腕を広げた。

「師走よ。たまには外を歩いて、道すがらうまいものでもお食べ。銭はあるんだから」

「旅はあまり好きじゃないなぁ」

「何、どうせ飛び回るつくもさんだ。行先は教えてくれるだろうからついて行きゃいいんだよ。分かってるだろうに、この無精者」

「まぁね」

 しばらく思案してから、師走は立ち上がって火箸の刺さる壁に向かい、髪紐をほどいて縛った後、何か気づいたようにお婆を振り返った。

「こりゃ、いつごろのものか分かるかい。凝った作りしてるよ」

「そんなら爺だね」

 お婆が大声で襖向こうのお爺を呼ぶと、細面でお婆のように皺に目鼻口が隠れたお爺が姿を見せた。

「爺殿、世話になってるよ」

「そのようだ。旨かったか」

 落ち着いた声色で、お爺は師走に問うた。

「うん。まだ食べるよ」

 師走が木箸を握り目の前にかざす。

 青筋を立てるお婆をよそに爺は穏やかに笑った。

「なぁ爺殿。この火箸、どれくらい前のものか教えてくれるかい」

 爺は黙って火箸のそばまで来ると、頭の方を覗き込んで少し口をすぼめた。

「驚いたな、こりゃ戦国のころのもんだ。茶の湯で使われていたんだろう。いい品だ」

「そうか。ありがとう」

 師走は火箸に再び向き合うと、目を閉ざして耳を澄ました。

「師走」

 集中する師走に、お爺は孫に話しかけるような口調で言った。

「うん?」

「つくもさんにあまり根掘り葉掘り聞くんじゃないよ。語りたいときに語らせなさい。お前さんに悪戯心起こされてはいかん」

 師走は目を閉ざしまま微笑んだ。

「心得ているよ、爺殿。今、爺殿に褒められて嬉しがってるんじゃないかと思ってね」

「そうか。ならよい。己を大事にな」

 お爺は師走のぼさぼさ頭に掌を載せて撫でた。

 その様子を見て、お婆は、色ボケ爺め、とこぼすのだった。


 火箸を受け取り、持ち帰った翌朝、師走は縛ったままの火箸の紐の端を持って外に出た。

 秋空を仰ぐと、高く伸びた木々が紅葉を始めているのが視界に入った。

 師走は深く大気を吸い込んだ。

「いい天気だ」

 そうして、人、猫、火箸はゆっくりと道を進み始めた。

 多良も一緒についてきたからか、火箸はお婆の予想通り、空に浮いて真っ直ぐ行先に向かうものの、昨晩のように暴れたりはしなかった。

 境内を離れ、木立を抜け、小川のせせらぎが聞こえた頃、火箸は一軒の農家で動きを止め、支えを失くしたように地面に落ちた。

 師走はしゃがんで火箸を拾うと、再び赤い紙紐で結んで風呂敷でくるんだ。

「申し訳ありません。どなたかおられませんか」

 戸口を叩いて尋ねると、室内から、へぇと言う声が聞こえた。

「何か御用ですか?」

 玄関先に現れた女房らしきふっくらした女は、他人より上背のある猫背の師走を見上げて不審そうな表情をした。

「怪しい者ですみません。ちょっとお聞きしたいことがありまして」

「へぇ」

 師走は家に招き入れられた。

 家の中には、主人や子供などがおり、中心には火鉢が音を立てて室内を温めている。

 爆ぜる火鉢に手のひらをかざしていた男の童が、師走を見て気まずそうに片足を隠した。

「これ、お客さんに失礼だよ」

 女房が一喝すると、童は首を垂れて師走に謝った。

「悪かった」

「いいや。それより、足は大丈夫かい。腫れているなら、薬をいくつか持っているから母様にお渡ししておこう」

 今度は女房が頭を下げた。

「そりゃありがたいですが、もう治りかけなもんでご心配には及びません。この子、春の田植えの時あそこの田んぼに埋まってた鉄のもんで足の裏を突いてしもうて」

「鉄ですか」

「怪我は大したことなかったのですよ。ただ布を巻いておかないと悪くなるってお医者が言うんで、それを恥ずかしがって」

 童は黙ってふてくされている。

 すると、不意に多良が玄関を越えて童にゆっくり近づいていった。

 漆黒の瞳で童を眺めてから、怪我をした足あたりにうずくまった。

 童は師走を見た。

「いいよ。おとなしいから」

 童はむずがゆそうに瞳を控えめに輝かせ、恐る恐る多良の背を撫でた。

「気持ちいいだろ。あったかくて」

「ん」

 多良の背の毛並みをすっかり気に入った童は機嫌を直して夢中になって撫で続けた。

「気が利くねぇ」

「はい?」

「いえいえ」

 師走は猫又が場を取りなしてくれたことに感謝して、女房に向き直った。

「本日伺ったのは、その鉄の物ことなのですよ。何があったかお話をお聞かせ願えませんか」

「ですかぁ。んなら」

 女房は語った。


「いってぇ!かあちゃん!」

「何さ、噛まれたのかい」

「違う!何か刺さっちまったんだよ」

 今年の春、田植えを手伝ったとき童が畔から転び田んぼに落ちた際、埋まっていた火箸を思い切り踏んで足の裏を怪我してしまった。

 医者が怪我を清めて、刺さった泥だらけの鉄の棒を引き抜くと、火箸であることが分かった。

「なしてこんなとこに」

 不思議ではあったが、見た目はしっかりしているので、なにやら哀れな気持ちになった女房は、水で泥を綺麗におとして乾かしてやった。

 ちょうど火鉢が家にあるからと室内に入れた途端。

「わぁ!」

 例のごとく玄関戸に飛び刺さったという。

 恐ろしくなった女房は、しばらく家の裏に放り出しておいた。

「ご免、何か食べるものはないだろうか…」

 そんなある日、腹をすかせた浪人が飯をせがんで訪ねてきた。

 一家は一汁一菜のもてなしをした。

 一晩宿も提供し、休みを得て翌朝にはいくらか元気を取り戻した。

「大変お世話になりもうした。何か礼をさせてはくれまいか」

「礼ですかぁ」

 そこで、いつまでも近くにあると気味が悪いと思っていた火箸を貰ってはくれまいか、と駄目を承知で女房が提案した。

 しかし浪人は胸を叩き喜んで引き取ると言い出した。

「魔は魔を退けると言います。何、腕に自信はあれども悪事から守ってもらう事はありがたい」

 浪人は火箸を荷袋に入れて家を去っていった。


「ふむ。つかぬことをうかがいますが、この辺りは昔戦があった城に続く、大通りではありませんか?」

「はい。祖父が当時その様子を知っていて、恐ろし気な侍さんたちが戦利品をたくさん持って道を練り歩いたとよく言っとりました。私、あの火箸を洗って使おうかと思ったのも、たぶんその時分盗まれて運んでいる途中で落ちたものだと思ったからなんですよ。それが哀れでねぇ。だってそうでしょう。持ち主から奪われてあげく長いこと泥に埋まっていたなんて」

「そうですね。拾って下さった方が優しい方でよかった」

 師走は火箸をくるんだ風呂敷を膝の上において瞼を閉ざした。

 女房は突然黙り込んだ師走に首を傾げた。

「どうかなすったんで?」

「いや、お話していた火箸ですが、実は縁あって私に預けられているのです。もう暴れたりしないようにと」

 聞いた途端、女房は後ずさって顔を青くした。

「い、今そこにあるのですか」

 師走は首をもたげた。

「大丈夫です。怖がりなだけで、私が言い聞かせている間は何もせんでしょうから」

しかし、なおも着物の袖を握りしめて怖がる女房に、師走は安心させるように笑みを浮かべて続けた。

「つくもの師なんて、この頃は呼ばれているようで。ま、ご体験なさったような物の怪異を扱ってる者です」

「そんな職が…。そうですかぁ」

 女房は少し安心したようで、顔の強張りも徐々に解けていった。

 実際、持ってきたという火箸が動いている様子はない。

「それで、見立てとしては、お爺様のお話にあった通りのようで。この火箸どのが暴れたのは、戦の時の恐ろしい記憶が染みついてしまって、逃げ込んだ田んぼの泥の中、つまりは安全な場所に戻ろうと一生懸命なだけだったんです。どうか、許してやってください」

 師走が頭を下げると、女房は慌てて面を上げるように言った。

「悪い事したねぇ、お前。この人に怖い事忘れさせてもらうんだよ」

 女房は師走の膝の火箸に向かって優しく声を掛けたのだった。


 師走は、女房一家に別れを告げたあと、火箸を埋まっていた田んぼの泥に再び浸からせておいた。

 夕暮れまであぜ道のそばにいた師走と多良は、日が沈み始めた頃になると、荷袋を風呂敷を取り出して、叢に広げた。

「さ、帰ろう。私が守ってあげるから」

 泥に深々と浸かった火箸は微動だにしない。

 師走は頬杖をついて続けた。

「つれないね。お侍さんはそりゃ強いしお前さんを大事にしてくれただろう。だから、昔負けた盗賊を今度は倒してやったんだね。私はお侍さんほど強くないけど、もう怖い思いはさせないと誓うよ。だから一緒について来ておくれ。私が信用ならんのなら、多良に聴いてみるといい」

 多良は耳を震わせると、立ち上がって畔と田んぼの境まで近づくと、再び寝そべり、黒い眼で火箸を見つめ、ひと鳴きした。

 そうして、しばらくの後、火箸が泥から浮き出し、やがて倒れるように畔に転がった。

 師走は立ち上がって、広げた風呂敷で優しく引き抜き包むと、荷袋に入れてもと来た道を引き返していった。


 翌日、陽が登りきらない頃から起き出した師走は、たらいに湯を張って外に持ち出し、同じく小さな火鉢に火を起こして傍に置いた。

 湯の中で泥を手洗いすると清潔な布で水気をふき取り、火鉢の上にかざして残りの水分を飛ばし乾かした後、指先でつまんだ灰を端に少しかけ様子を見、何事も無いことがわかると、また灰をかけるという工程を繰り返した。

 そうして十分灰に慣れたと思えた頃、今後はゆっくりと火鉢の中の炭を火箸で転がした。

 煙立ち上る火鉢は、足から這い上がってくる秋の冷気を柔らかく溶かす。

 師走は炭を転がしながら、静かに語りかけた。

「爺殿と呼んでいる人がいてね。お前さんはとてもよい所で、よい扱いを受けた品のある物だと教えてもらった。主人はどうなったかは聞かないが、さぞつらかったろうね。怖かったろう」

 労わるように言い聞かせていると、火箸は急に重さを増した。

 師走は持っていられなくなり、仕方なく両手で持って火鉢に突き立てることにした。

「火箸って、泣くものなのかい」

 苦笑した師走は、火鉢を抱え、小屋に戻っていった。


 そうして、数日の間、毎朝火鉢に火をつけ、その火箸で転がすことを繰り返した。

 ずいぶん重かった火箸はだんだんと軽くなっていき、ついに他の火箸と同じほどの軽さになった。

 問題は収まったと判断した師走は、灰を軽く落とすと、風呂敷に包んだ。

「話した爺様はね、茶を嗜むんだ。お婆より苦いけど、旨い茶なんだよ」

 そうして古物屋で出向くと、珍しくお爺が出迎えた。

「待っとったよ」

「爺殿。お茶、入れてくれるかい」

「いいとも」

 柔和な声色で答えたお爺に、師走は荷袋から風呂敷でくるんでいた火箸を取り出した。

「できればお爺の苦い茶がいいな。この子が早く灰に埋まりたいらしくてね」

「そりゃ愛らしいな。どれ」

 お爺は風呂敷ごと火箸を受け取ると、奥へと運んだ。

 火箸が暴れる様子はなく、程なくして、苦い抹茶と練菓子が師走に振る舞われた。


 その後、火箸は古物屋の家財具となり、店に出されることはなかったという。

 師走はたまにお爺が煎じた抹茶を飲ませてもらう。

 そして、今ではお婆も居間の火鉢で炭をつつくのにその火箸を使っているのであった。

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