1.風鈴の怪

「これ、なんとかならんかね」

「いらっしゃい」

 境内の一角に小屋を構え、寝泊まりをしている師走は、夕暮れ時に困り顔の男の客人の来訪に眠たげな面持ちながら、薄ら笑みを湛えて出迎えた。

「これって、それかい」

 小袖から指先だけを出して、指し示す。

「あぁ。まぁみてくれ」

「いいとも」

 男は両手に押し抱いていた紫の風呂敷包みを上り口に恐々置くと、布の端を広げて見せた。

 しゃがみこんで師走は中のものをみとめた。

 そうして、首を伸ばして布の中央にある風鈴を矯めつ眇めつする。

 風鈴は最近では気かけない古い型をしており、硝子に内側から簡単な金魚が絵付けさえていた。

 楕円の硝子は、夕陽を透かして、床板に丸い影を淡く浮かばせていた。

 観察はそのままに、師走は男に問うた。

「これに何か悩まされてなさるので?」

「あぁ。商売が立ち行かなくて困っているんだ。呪いでも掛かってるのかね?だったら祓ってくれないか」

「まぁまぁ。見たところ、直しは入ってるが相当古いね。お前様の親からの受け継ぎものかな」

「いや、昔世話になった親爺さんから譲ってもらったんだ」

「なるほど。興味深いね。ちょっと話を聞かせてくれないか。憑き物にしても成り行きを聞かんとね。今、茶を入れるよ。時間はあるかな?」

 流れるように言われた言葉は耳に心地よく、男はほぼ無意識に答えていた。

「あ、あぁ」

 戸惑いがちな返事を待って、師走は緩い笑みを浮かべた。

 そして、風呂敷を再び風鈴に被せて労わるように胸に抱きながら、居間へと男を誘った。

 男は不信感を拭えないながら、履物を脱いで床板に上がった。 

 だらしなく白い小袖を来た師走の後ろについていきながら、男はたぶらかされている気になってきた。

 ここを訪ねたのは古くなった物の不思議や怪異を扱う女主人が居ると聞いてのことだったが、当の本人の成りは綺麗とは言い難い上に、髪は灰色で腰まで伸ばしている。ろくに手入れもしていないようだが、妙に艶はあり、老けて色が落ちたそれとは違っているのが不思議であった。瞳も先ほど一瞬見た限りでは、目に病でもあるのかと思われる灰色をしていた。

 歩を進めるうちに、もしや女こそ妖しではなかろうかと無遠慮に目の前の背中に目を凝らしていると、やがて師走が立ち止まり、襖の取っ手を横に引いた。

「どうぞ。風を通してあるから涼しいと思うよ」

「じゃ、遠慮なく」

 男は言われるまま、中に足を踏み入れた。

 そして、そのあまりに簡素な室内に拍子抜けした。

 呪具や玉やら絵やらが飾られた陰気な場所を想像していたのだが、長火鉢と箪笥、それにいくつか葛篭の類があるだけで、威圧感もなければ緊張感もまるでない。

 加えて、どこか懐かしい感じのする場所のようにも思える。

 やがて盆に湯吞茶碗を載せて戻ってきた師走は小机に盆を置くと、ゆっくりと長火鉢の傍に腰を下ろした。

 師走が落ち着いた途端、見計らったように膝の上に足音もなく黒猫が滑り込んで体を丸めた。

 師走はその背を大きく優しく撫でた。

「風鈴を使う商いとは、変わってるね」

 視線を猫に落とす面持ちは穏やかである。

 先ほどの長い髪は赤い髪紐で後ろに結われていた。

 身構える気が失せた男は、胡坐をかいて肩を落とした。

「まぁな。長いこと行商をしてるんだが、竿にその風鈴を吊るしておくと音で来たと知ったお客が集まってくるんだ」

「そりゃ風流だ」

 師走は笑みを浮かべて男を一瞥してから、机の上に置かれた風鈴を見つめた。

 ただの物に向かって慈愛のような笑みを浮かべている。

 やはりただの変人ではなかろうかと男は訝しむ心を蒸し返しながら、語調を強めた。

「あんた、つくもの師とかいうんだな。本当になんとかできるのかい」

 妙に雰囲気があって聞きにくかったが、男は思い切って聞いてみた。

 すると、師走はわずかにくちびるを一文字に引き結んで目を見開いたが、すぐに元の湖面のような空気を取り戻すと、首の後ろ掻いて相好を崩した。

 男は一瞬間、師走が先より年若く見えた。しかしすでに気だるい面持ちになったので、気のせいかと眉間の間に力を入れなおした。

「へぇ。最近はそんな立派な呼び方されてるのか。私も出世したもんだね」

「本当の事なのか?」

「そうだよ。安心おしよ、取って食いやしないさ。普段は壊れ物の修繕をしてるんだが、こっちの職もたまに引き受けるんだ。つくもさんとは付き合いだけは長くてね。色々都合がいいのさ。お前様の風鈴、これもつくもさんだね。だったら私の範疇だ。黙っちゃいるが思うところあるようだね。まぁとりあえず話してみてくれるかい。任せるかはお前様にまかせますよ」

 それらしい事を言われて、男は唸ったがひとまず話すだけなら損はなかろうと意を決した。

「そうか。なら、話はこうだ」

 男は語った。


「売れ残っちまったな」

 風鈴は、先の親爺が若い頃、縁日の出店で風鈴売りをしていた時に売れ残ったものだった。

 よく見ると、絵付けの時に失敗したのか金魚模様に赤い色のはみだしがある。

「可哀そうにな。なんといっても綺麗なもんを人は欲しがるもんだ」

 哀れに思った親爺だったが、他の品と一緒に家に持ち帰りそのまま処分しようと思って木箱に入れておいた。

「あら、愛らしい」

「何がだい」

「この風鈴、尾っぽから紅がはみ出してますよ」

「職人が見逃しちまったんだな。可哀そうだが焼き場で溶かしてもらおうと思っていたんだ」

「何をいうんですか。こういう物こそ、どこかけなげでいいんですよ。下さいな」

「そうか。そうするか」

 親爺の妻が木箱を覗いた時に見つけた風鈴は、色のはみだしを気にいられて妻が手元に残すことにした。

 それから軒下に飾られたるようになった風鈴は、夏は涼やかな音色を響かせ、季節が過ぎれば妻の小机に置かれ、手入れも毎晩布で丁寧に施された。

 花のように枯れることもなく場所も取らないということで、妻はもちろん、物心ついたばかりの娘も何かとその風鈴を気にかけて、たまに手入れを交代することもあった。

「ふうりんさん、いい子、いい子」

「優しく拭いてあげるんだよ。硝子は壊れやすいからね」

「ん」

 娘は人形や玩具と同じように、綺麗な音を出す風鈴を大事にした。

 そんなある日、町の大火事に巻き込まれ、家が全焼した。

 家の者たちは着の身着のまま外に逃げ出し命に別状はなかったものの、風鈴は割れたか溶けたかしたと思われた。

「父さま、父さま。ふうりんさん、助けて。熱くて苦しいよ」

 鎮火が終わり呆然と家を眺めていると、煤だらけの面を上げて、親爺の裾を必死に引っ張る娘の姿に、両親は顔を見合わせた。

 無駄と思いながらも、親爺が妻の仕事部屋あたりを掘り起こしてみたところ、幸いにも木箱にしまわれたまま床下の木材に囲まれ守られるようにして風鈴は残っていた。

「なんてこったい。こりゃあお前、運が良かったな」

 多少の煤汚れはあったが、ゆがみもなく音も鳴る。

 火事場から風鈴を持ち帰った親爺は、妻と娘にたいそう喜ばれた。

 やがて新居が建つと、風鈴は以前にも増して可愛がられ、朝夕、声を掛けられるようになった。

 死人が出なかったのもこれのおかげとばかりに、風鈴はお守りのようにして家族から扱われた。

 そうして時は経ち、妻が病気で先立ち、娘も嫁に行ってしまうと、親爺だけが家に残された。

「お前さんと儂だけになってしもうたなぁ」

 親爺は、すっかり老け込んで、風鈴に話しかける時間が多くなった。

 しかし、このまま家に置いておくと、家族の面影が傍にいて蘇るようでなお寂しくなった親爺は、考えた末、当時、家に様々な商品を持ち込み始めた若い商いの男に縁起物だからとその風鈴を譲ることにした。

「大事にしてやっておくれ」

 風鈴と家族の思い出を一通り伝えると、男は快くそれを引き受けた。

 その翌月、親爺は亡くなった。

 男は、風流な客寄せ道具になりそうだと商いの最中はずっと何処かに吊るしておくことにした。

 すると、不思議なことに瞬く間に客足が増え、商売はこれまでになく繁盛した。男はやる気を起こして何年も各地を飛び回った。


「おい、兄さん。これそろそろ替え時でないかい」

「そうですかい?言われてみりゃ、確かになぁ」

 数か月前、男は客にずいぶんと風鈴が汚れたり欠けたりしていることを指摘された。

 男は、風鈴を新調することにした。

 だが、変えた途端に以前ほど売れなくなってしまった。

「困ったな」

 馴染の客にあの風鈴の方が良かったのかと聞いてみた。

「いやぁ音色は特別美しいというほどでもないんだ。ただ遠く町の端まで凛と響いて、また来たかって皆呼ばれたような気がして集まってたんだな」

「そうだったのかい」

 ならばと、男は大きな風鈴、複数の風鈴、果ては鐘まで試したが、どれも煩がられたりして元の風鈴のようにはいかず、逆に変わり者の商い人と噂されて商売は上がったりとなってしまった。

 観念した男は、古びた風鈴を修繕屋で綺麗に直してもらうことにした。

「これでいいや。親方ありがとう」

 そして、数日前ようやく修繕が終わり手元に帰ってきた風鈴を心躍らせながら吊るしたところ、風鈴はいくら風に吹かれても、音を響かせなくなっていた。

 見た目には何の問題もなく、むしろ以前より状態はいい。挽回をかけて腕のいい職人に銭を積んで頼んだので親方が修繕に失敗したわけではなさそうである。

 そこで、以前お客の一人が怪異を起こした日常品を見てくれた女がいるというのを思い出し、藁にもすがる思いで師走を探し訪ねたのだった。


 話を聞き終えた師走は、湯飲み茶碗を取ると一口すすって、男に半開きの目を向けた。

「その親爺殿の娘さんのところ、場所わかるかい?」

 唐突な質問であったが、男は素直に答えた。

「いや。俺があそこに行きはじめた時、親爺さんからは、娘さんはずいぶん前に嫁に出ていったって聞いただけでどこの家に嫁いだかまでは聞かなかった。不思議なんだが、売れるようになってからこっち、ここらのほとんどの町や村を売り歩いて来たっていうのに、その娘さんらしいのに遭ったことがない。親爺さんは娘さんがこの風鈴をひどく大事にしてたって言っていたし、気づかないはずはないんだが」

「ふむ。そりゃこの子、義理堅いか拗ねたか。いずれにしよ、困った子だね」

「なに?」

「まぁ、どんなものにも気性ってのがあるってことさね」

「はぁ」

「じゃあ、これ、7日間預からせておくれ。それと、その娘さんの住まいを探してきておくれ」

「しかし…」

「大丈夫、じきに見つかるよ。この子がいないなら、もしかしたら明日にでもね」

「さっきから”この子”って、まるで生き物みたいに言うが、物の怪か何かなのかい。だったらいっそ貰って欲しいんだが」

「けど、これがなきゃ変わり者の汚名もそそげまいよ。何か他に策があるなら貰ってもいいけどね」

 押し黙った男は、図星とばかりに肩をすくめ顔をしかめていたが、決心がついたのか、やがて娘を探すと約束し、依頼料を師走に渡して小屋を出て行った。

 静かになったところで、師走は頬杖をついて風呂敷の上の風鈴を改めて見つめた。

「さて、お前さんの言い分を聞こうかね。今日は満月だ。あそこがよかろうか」

 風鈴に取り付けられた真新しい吊り下げ紐を持って軒先に吊るすと、風に吹かれた紙片が中の硝子玉を揺らして内側から外の薄い硝子を叩いた。

 しかし、鈍いこすれた音がするだけである。

 腕組をして風鈴から月を透かし見ていたところへ、黒猫の多良が身軽に窓辺に飛び乗って腰を落ち着けた。

「お前さん、綺麗なもの好きだものね」

 師走は風鈴を指先で持つと月光にかざして角度を変えて反射する光があちこちに映るようにして動かした。

 多良は前足で空をかいてひとしきり戯れると、ひと鳴きして、風鈴の真下に寝そべった。

「おや、おふたりさんで月見はずるいよ。私も混ぜとくれな」

 師走は風鈴を放すと、小袖に両腕を通して、多良と共に窓辺に腕を掛けた。


 こうして、師走は響かない風鈴を7日間軒下に吊るした。

 寝る前には清潔な布で丁寧に埃をぬぐい、雑事をしている時は何ともなく話かけ、夜には黙って風鈴のそばで目を閉じ、耳をそばだてていた。


「見つかったぞ」

 男が奇妙な顔をして再び小屋を訪れたのは約束した7日後のことであった。

「いつ見つかりました?」

「行った翌日だ」

 男はいかにも気味が悪いというように顔を更にしかめた。

 出迎えた師走は、小袖に両腕を通して柔らかい笑みを浮かべると、男の斜め後ろに立つ盛り過ぎの女に声を掛けた。

「お初にお目にかかります。この方からお話をうかがいまして、ぜひお越しいただきたいと思っておりました。ご足労いただきありがとうございます」

 丁寧な物言いに、女は男を見上げてから一歩前に踏み出すと、真っすぐ師走を見た。

「こちらこそ。あの、それで例の風鈴は?」

「案内しましょう。いや、頑固者で困りました」

「はぁ」

「いや、こちらの話」

 歩き出す師走の背に続きながら、男は目をむいて師走の袖を引っ張った。

「頑固って、まだ鳴らないのか?おい、まさか騙したのか」

「準備を整えていたんですよ。安心なさいな。年寄りの相手は慣れてますからね」

 とらえどころのない笑みを浮かべ、師走は客人達を部屋に通した。

 最後に入った女は、風鈴を見るや、駆け寄って目を凝らして食い入るように見つめた。

 そして、悲しそうに目元に涙を湛え始めた。

「…色が、なくなって」

 言葉尻が消えるような悲しみを堪える女の横に、師走は横に立ち並んだ。

 そうして、風鈴を優しく左右に回して見せた。

「その金魚の色のはみ出したところというのは、どの模様でしょう」

「それが、分からなくなってしまって」

「では、舌はどんなものでしたか」

「舌?」

「風鈴に下がる紙片のことです。絵や文字の類を覚えていますか」

「えぇ」

「では、少しお時間をいただいて、あちらの文机で簡単に描いてもらいたいのですが」

 女は不安げながら、文机に置かれた長方形の紙に三本の青い線を引いた。

「なるほど、川ですね。美しい」

「そんな。でも、確かこのような。けれど、そっくりしのままでなくて良いのですか?」

「はい。ではもう一つ、この川の描きはじめあたりにその色じみを思い浮かべながら描き足して下さい」

「それなら」

 女は瞳を輝かせて紙に向かった。生き生きと懐かしむように、筆は静かに遊ぶように紙面を滑った。

 やがて、薄紅のゆがんだ円のようなものが川の上流に描かれた。

 乾くのを待って、師走は先の舌と取替えて軒下に吊るした。

 一陣の風が頬を撫でたとき、男は顎が外れるほど口を開け、女は感極まって口元を着物の裾で隠した。

 涼やかな音が、日光を硝子に反射しながら室内に響き始めたのである。

「あぁ。あの頃の音」

「たまげた。こりゃ一体」

 師走は肩の荷が下りたとばかりにため息をついて、事情を話し始めた。

「この子は本当なら作りの親の風鈴職人に捨てられるべきものだったが、作り手が駆け出しの職人で丹精込めて作った一品だったものだから、捨てられきれず、わざと他の風鈴の中に隠して出荷されたんです。出した先でも売れはしなかったがまた持ち主に捨てられず、親爺殿の奥方や娘さんに愛されるようになった。いつか恩返しがしたいと思っていたそうです。けれど、まだまだ若かった。親爺殿に手放された頃になって、ようやく力を持つことができたから、せめて次の持ち主の役に立つよう客を呼び込んだ。娘さんが見つからなかったのは、自分を見ても、すっかり忘れていたら悲しいからだったそうだですよ。それで見た目のせいで用なしと思われたことで、すっかり魂おいて逝くつもりになっちまった。お前様が雇った職人が本来の間違いを正して絵を整えのは親切心だったんだろうが、愛された自分の魅力を奪われた気がして、今度は拗ねた。多良も説得してたようだけど、聞く耳もたなくてね。これだから年寄りは頑固で困るよ」

 最後の一言にいつの間にか傍にいた黒猫の多良が低い唸り声をあげたので、師走は振り返って可笑しな顔でしばらく多良とにらみ合っていた。

 その様子を見た女は目元の皺を深め、おかしそうに笑った。

 男は帰り際、毎晩磨くよ、と頭の後ろを掻いて申し訳なさげに師走に言ったのだった。


 やがて、その風鈴は男の商いを再び大いに繁盛させ、師走の元にも時々商いにやって来るようになった。

 一方の女は、時折、自分の子供を連れ他の客と混じって男を訪ね風鈴に声をかけたという。

 いつしか不思議の風鈴の話は人情噺となり、風鈴は各地で愛される特別な風鈴と評されることになった。

 男の商いは小間物だったが、師走だけには特別に猫の餌を用意したという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る