第11章 転機 その1 息子
同じ夜、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は播磨への帰還の途上にあり、地面が短い時間であったが光ったのに驚かされていた。
「なんじゃ、今のは!」とササモリヒコ(楽々森彦)を起こしに行ったが、既に同行者達は異変に大騒ぎになっていた。
ササモリヒコ(楽々森彦)もまだ寝入っておらず、地面が光るのを目にしていたが「このようなことは見るのはもちろん初めてですが、聞いたこともありません」と途方に暮れるばかりであった。
比婆山が光の発生源であることは知る由もないイサセリヒコ(五十狭芹彦)であったが、播磨に戻ってから寄せられていた報告からすると、どうやら光の帯のようなものが西から伝わってきて東へ去って行ったらしいことが判明した。
特筆すべき点は、地面が光った瞬間に死体が身もだえするように動いたという報告が幾つも寄せられていたことだった。
なにか怪異が始まろうとしているのではないか、と朝廷にも報告を上げてみると、同じ現象が播磨どころか、大和から丹波・伊勢にも及んでいるということが分かった。
「これは只ならぬことが起こったのではないか」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は危ぶんだが、その懸念に解答を示せる者は誰もいなかった。
そのまま普段通りの日常が過ぎるうちに、いつしかその怪異は忘れ去られていく・・・・・・
ただし、人里離れた山奥では別であった。
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三上山の谷底にはクガ王の死体が転がっている。とどめを刺した太郎の矢が護符を貫き、クガ王は絶命したはずだった。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)が懸念した光の帯が過ぎ去っていった瞬間、矢を刺し貫かれていた護符が異様な光を持って輝き出したのである。
輝きは茜色から黄白色へと色を変え、遂には護符が燃え上がり、それと同時に刺し貫く矢が砕け散った。
護符の文字はまぶしいほどの輝きを発し、クガ王の皮膚に刻印を焼き付けたかのように浮かび上がり、そのまま染み込むように消えていった・・・・・・・・
それほど時間を経ずしてクガ王の容貌は熊へと変貌を遂げ、それからむっくりと起き上がる。
熊の思念に最初に思い浮かんだのは太郎の姿であった。
「あいつは敵だ!敵だ!」という思念とともに浮かび上がったのだ。
なによりも「あいつ」が憎い。
そんな憎悪の感情であった。
熊はその鼻をヒクヒクと蠢かすと、確かに「あいつ」の匂いがしてくるではないか。
大熊は憎しみに衝き動かされながら、その匂いをたどるようにして山の中をさまよい歩いて行く・・・・・・・
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猟師のヤマガは年の頃でいえば四十過ぎである。
日々山野を駆け巡り、猟を生業とするその身体は、二十代の頃と比べてもいささかの衰えも感じさせない。
見た目には筋骨隆々とした体つきではないが、精悍で強靱な肢体を備え、今もなおそれを維持し続けている。
自慢の弓の腕前にしても、かつて競射会で大王自慢の勇者達を軽々と退けた頃と比べて、劣るところはない。
顔中を覆う髭に隠れているが、日焼けしきった顔には太陽光線と年輪によって皺が深く刻まれているが、眼光は鋭く、遙か遠くの物までハッキリと見える。
自分の能力が衰えれば、猟を続けることはできなくなるだろうと予感し、覚悟をしていたが、その覚悟も息子のことに考えが及ぶと曖昧になってしまう。
僅か十歳の太郎は、ヤマガからすれば発育途上の子供のはずだった。
ところが、これと一緒に猟に出向こうものなら、その成長ぶりは常識の範疇を超えていた。
山野を歩けば、その健脚はヤマガを遙かに凌ぐ。
ヤマガが気づきもしない位置に身を潜めている獣を教えてくる。
弓を扱っても、大八洲一と謳われたはずのヤマガ以上の腕前を当然のように披露する。
どちらが足手まといなのか分からないではないか。
自分が年を取るとはこういうことか、と情けない気持ちになってくる。
それでも一人で猟に出る段となれば、まだまだ自分が少しも衰えていないと確信し、自信を取り戻すのだ。
これは太郎が並々外れた腕前であるということか。
そんなふうに考えると、我が子ながら行く末が恐ろしくなる。
この日は早朝から幾ら山野を駆け回っても、なかなか獲物が捕らえられない。
ほんの少し前に何かを恐れるが如く一心不乱に駆けて行く野ウサギを射止めることができて、胸をなでおろしたところだった。
というのも、これから太郎と待ち合わせているからだ。
太郎が手ぶらで約束の場所に姿を現すことはない。
それどころか、いつもたくさんの獲物を捕らえてくるのだ。
息子の成長を見るのは嬉しいのだが、父親の威厳もある程度は保ちたい。
獲物の多寡で太郎が父親への尊敬を計ることはないとは承知しているが、それくらいは自分に課して置きたかった。
そういう訳もあって、野ウサギ一羽であってもヤマガは嬉しかった。
まだ待ち合わせまでは時間に余裕がある。
ちょうど天然の温泉場の近くを通ったので、ヤマガは一風呂浴びたくなった。
「そういえば」と太郎の不思議さが思い出された。
いくら野を駆けずり回り、泥や埃まみれになるような作業をした後でも、太郎は小ぎれいなままなのだ。
何日も着っぱなしの服なのに、垢じみたり真っ黒けになったりしたことがない。
洗濯したてとは違うのだが、さしたる汚れも付かない。
山の中で何日も野宿をすれば、汗臭くなり、体臭もきつくなってくのが普通だ。
それを獲物に嗅ぎつけられないようにと泥をすり込んだり、川や水たまりで一泳ぎしたりの繰り返しになるものだが、太郎からはいつも木の香りや草の香りのような匂いが醸し出されてくるかのようなのだ。
時には桃の果実のような香りが漂ってくることもあった。
つくづく我が子の不思議さを考えているうちに温泉場に到着してしまったので、ヤマガは素早く服を脱ぎ、次いで湯に浸かった。
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桃の香りのことで思い出すのは桃太郎の母「マミ」のことである。
彼女との出会いは播磨の里に近い山間だった。
ヤマガが水を飲みに山を下りてきた時、行く手から女の叫び声が聞こえてきたのだ。
「これは一大事!」とばかりにヤマガが山を駆け下りていくと、声の主は川の畔にいた。
辺りに他の人間の姿はなく、怪しい気配も感じられない。
それでも女は叫び続けていた。
「何があった!助けに参ったぞ」とヤマガは大声を張った。
ヤマガの声に女は振り返る。
その若い女が快活な笑顔を見せてくるので、ヤマガは少々気を削がれた。
そんなことには構わず、女は「あれ!あれ!あれ!」と叫びながら川面に指を差す。
その指先を目で追っていくと、水面に三―四個の熟れた大きな桃が浮いているではないか。
「早くしないと流れてっちゃう!」
その言葉でヤマガの足は止まり、呆れ返る。
「なんだ、そんなことで!」
そんなヤマガに女はすがるような目を向けてくる。
女にそんな目をされれば「ええい、これも何かの巡り合わせか」と仕方なしにヤマガは川に飛び込んだ。
川の流れは穏やかだったし、その日は暑いくらいの陽気であったから、水浴び代わりに丁度良い一泳ぎだった。
桃は浮いたり沈んだりしながら流れていたが、ヤマガは難なく追いつき、大ぶりの桃三個を掴み取った。
それを抱えると泳ぎにくいことこの上なかったが、ヤマガは横泳ぎのようにして三つとも抱え込んだまま岸に辿り着いた。
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