第10章 新世界 その2 崖

失敗による結果で、大王から恩賞をもらったり、覚えめでたくされたりするようでは、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)に申し訳が立たぬし、何よりも自分で自分を許すことができぬ。

失敗により、名誉が増したり恩賞をもらったりするのは本意ではない。


そこまで考えたところでササモリヒコ(楽々森彦)を呼んだ。

いつもの癖で迷った時にはその意見を聞きたくなってしまう。

「なんでもかんでも、わしがあいつに相談しすぎるのがいけなかったか」とためらいもあったが、それでも取り返しの付かない失敗をしてしまった知恵者の考えを知りたくなった。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)の前に来たササモリヒコ(楽々森彦)は沈んでいるようであった。

彼はイリネを目の前で殺されてから口数が少なくなっていた。


「ササモリヒコ(楽々森彦)よ。まだしばらく大和に帰れそうにない」


そう彼が声をかけると、ササモリヒコ(楽々森彦)は一息すってから意を決したようにイサセリヒコ(五十狭芹彦)の目の前に座り込み頭を深々と下げてくる。


「イサセリヒコ(五十狭芹彦)様、この私めの拙い策にてご迷惑をおかけしております。

拙者、どのような償いもさせていただく覚悟にございます。

我が首を落とすなり、我が身をヨモロヅミコト(世毛呂須命)様に差し出すなり、好きなようにして下され。このように役立たずの頭など、コロリと落とされてしまった方が清々いたします。

申し訳ございません。ササモリヒコ(楽々森彦)、一生の不覚でございました」


「お主は自信満々で、私の心配などどこ吹く風という態度であったな。

だが、最終的には失策というものはそれを採用した側に責任があるのだ。おまえの首を落としたら、わしも償いに腹を切らねばならぬ」


「そのようなへ理屈で私のようなつまらぬ者を困らせないで下さい。

いつでも償いをする覚悟に存じます」


イサセリヒコ(五十狭芹彦)は逡巡する。

もう一度、このササモリヒコ(楽々森彦)に相談してみて良いものかどうか、と。


ヨモロヅミコト(世毛呂須命)からの申し出について、その内容を説明するとササモリヒコ(楽々森彦)はなぜか目を輝かせた。


「それは難しい状況でございますな。もちろん、イサセリヒコ(五十狭芹彦)様のお気持ちはお察しいたします」


「わしの立場は微妙ながら、責任ある対応をしなくては、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)様の互角後に対し失礼になるであろう。

どのように大王にご報告するか、思案するところだ」


「案ずるより産むが易し、という言葉もございます」


「また、おまえはそのようなことを言い出すのか!」


「・・・・恐縮にございます。ですが、これでも大真面目に考えているところでございます」


「ならばおまえを大王への使者として大和に送り出すから、道中よくよく考えるのだぞ」


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出雲の側は教団が滅んだことで一段落というところであったから、追っ手については真面目に検討しようという機運はなかった。

ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は総神官が逃げおおせなかったのなら、ローマ兵が一人だけ逃げたとしても、大したことにはならないと予想していた。

そんなことよりも国譲りのことで頭が一杯だったのだ。

それはヨモロズミコト(世毛呂須命)だけでなく、イサセリヒコ(五十狭芹彦)にしても同じことだった。


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そんなこととは知らないトーニオ達は必死の思いで大岩が剥き出しとなった谷を降りきり、谷底から反対側の崖を見上げていた。

追っ手のことも気になるが、オーラが『黄泉の川』を下りきる前に儀式を始めなければならないという時間的制約が焦りを生む。

一刻も早く谷を越え、比婆山の山頂を目指さなければならないというのに。


「良いか、崖を登って一休みしたら今日中にあの山の麓まで向かうぞ。明日の夜までに『死者の儀』を執り行えないというのなら、全員の命はないと思え」


ミリウスはオーラの死体から発される腐臭が気になりだしているようであったがトーニオには少しも気にならない。

いかに死臭がひどいものになろうとも、明日の夜までに比婆山にたどり着けばオーラは甦るのだから、と。


彼らはただひたすらに崖を登り続けるしかない。


オーラを背負ったトーニオが必死の思いで崖の上に手を掛け、上にたどり着く。

彼が一番乗りであったが、後続の二人に手を貸す気にもなれない。

それほどに息が切れ、疲労がたまっていたのだ。

それでもオーラと葛籠を降ろし、なんとか息を整えると、葛籠から縄を探し出す。

それを肩に掛けると、崖の中腹で難儀する阿曽を助けに戻る。

ミリウスも近くで動きを止めていたが、オーラが復活するには欠かせないミリウスよりも先に彼女を本能的に選んでいた。

阿曽とトーニオはお互いを縄で結んで繋ぐと、オーラが先導するように崖を登り出す。

彼が選ぶ登り筋を彼女が習って登っていくのだ。

何度か彼女は手足を滑らせたようであったが、その都度二人を結びつける縄が救いになった。

こうしてトーニオが崖を登り切ると、少しして阿曽も崖の上にたどり着く。

残るはミリウスであったが、もはや彼を助けに行く余裕はトーニオに残っていなかった。


そのトーニオが放心したように身を横たえ、どれほど時間が過ぎたであろうか、ようやく男の呻くような声と崖を登るために岩に手を掛け足を掛ける音が聞こえてきた。

それでもトーニオは身体を起こす気になれなかった。


ようやくそのミリウスが崖の縁から姿を現し、悲鳴とも呻きとも付かぬ声を上げて、崖の上に身を横たえた。


横になったままそれを見届けると「ようやく儀式が行える」という安心がトーニオの心に広がる――ふと、「いや、これは安堵感なのだろうか」と疑問が湧く。

普通に生きていれば「甦りの儀式」などとは無縁であろう。

こんなことを執り行うというのは「神をも恐れぬ所業」ではないのだろうか。

自分の心に生じているのは恐怖心ではないのだろうか――トーニオは迷いを振り払うかのように首を振り、目を閉じる。


「オーラをここで諦めるわけにはいかない。この異国の地で生き延びるには兄弟で力を合わせていくしかないではないか」


心を決めたトーニオは半身を起こし、疲労困憊の態の二人を観察する。


明日の夕刻までに比婆山へ到達するためには、このまま無理を続けるのは良くない選択に感じられた。

暗くなる前に休めそうな場所を見つけられたら早めに休息を取らなければ、と考え直す。


ここまで来たら、明日の一日に掛けるしかない。


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偶然ではあったがちょうど同じ頃、太郎は山の中で父との待ち合わせ場所へと急いでいた。

父との待ち合わせは三上山の近くであった。


腰には罠猟で捕らえたウサギが何羽かぶら下がっている。


獲物が多かったおかげで待ち合わせの日から遅れそうだった。

とはいえ、それはお互いに良くあることだったし、待ち合わせのために獲物を逃すようでは本末転倒と父からは教えられている。


山中を闊歩する太郎の姿はといえば、背中には弓と矢筒を背負い、腰には鉈をぶら下げていた。

身体も大人と見まごうほど大きくなり、外見上は立派な猟師のようである。


父は播磨の山中より西へ分け入った地点で太郎を待っているはずだった。


「数日前に、大熊と出くわした場所から遠くないな」と太郎は誰に言うともなく呟いた。

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