第10章 新世界 その1 伊邪那岐命と伊邪那美命
太古の昔、男神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と女神である伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神が契り、八百万の神々を成し、国造りを成されたと伝わる。
その途上、火の神を成したところで、伊邪那美命(女神)は神避りなされた(かみさる=神様が亡くなること)。
伊邪那岐命(男神)はたいそう悲しまれたが諦めきれず、遂には黄泉の国へ伊邪那美命(女神)を探しに行った。
だが、迎えに行ってみると伊邪那美命(女神)は既に黄泉の国のものを口にしたため帰れないと答える。
更に、どうにか出来ないものか他の者に相談に行くから待っていて欲しいと頼み込みなさる。
しかも「待っている間、決して覗かないように」と条件をおつけになる・・・・
言われるままに伊邪那岐命(男神)は待つことにするのだが、幾ら待っても誰も返事を持ってこない。
不審に思った伊邪那岐命(男神)が覗いてみると、そこには腐った身体に蛆が湧き、穢れたものを口にする伊邪那美命(女神)の姿があった。
伊邪那美命(女神)は伊邪那岐命(男神)に気づくと「見たな!」と恐ろしい形相を向ける。
その上「よくも恥をかかせたな」と襲いかかってきた。
伊邪那岐命(男神)はあまりの恐ろしさに逃げ出し、それを追いかけてくる伊邪那美命(女神)が黄泉の国から出てこられないようにと出口の黄泉比良坂(よみひらざか)に千曳(ちびき)の岩を置き、その道を完全に塞いでしまった・・・・・・・
「共に国造りのために契りあった仲だというのに、その私にあなたはこのような仕打ちをするのか」と伊邪那美命(女神)は千曳の岩の反対側でお嘆きになり、お恨みになり、伊邪那岐命(男神)の国の民を毎日死なせてやろうと誓うのであった・・・・・・・
比婆山は、その伊邪那美命(女神)が葬られたと伝わる山なのである。
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そんなこととは知らない一行は夜明けと共に進み始める。
追っ手は掛けられていないか、掛けていたとしてもこんな山奥まで彼らが進んでいるとは思ってもいないのか、追われている気配は皆無であった。
「我々のことには気づいていないかも知れない」というミリウスが安心したいがために発せられた言葉を、トーニオが言下に否定する。
「オーラの遺体がなくなっている以上、教団の包囲網から逃げ出した者がいるということ知れてしまっているはずだ」
「確かに、死んだ人間が自力で立ち去るはずないからな。ならば誰かが運び出したという推測が成り立つ。それぐらいは出雲の奴らにも分かると考えなければならないな。
そうだとしても、まさか亡くなった人間を背負って逃亡するとは、とても想像できないだろう。ましてやその目的は知りようもあるまい。
普通に考えれば、死体をどこかに葬り、その上で逃げたと考えるはずだ」
「出雲を追われたら普通はどこへ逃げる」
「大和は同盟相手であるから、東は危険であろう。
やはり西方の熊襲か、山を越えての南の吉備になるであろう」
「つまり追っ手が掛からないとは限らない訳だ」
その言葉に思わずミリウスは後ろを振り返った。
「先を急ぐ訳が分かるであろう。我々はこの倭国にあってはどうしても目立つ存在だ。人目を避け、人気のない場所を探しながら、しかも先を急がなければならない。
足場が悪かろうが、道がなかろうが、グズグズしている余裕はない」
言い終わらないうちに目の前に深い谷が広がった。
谷底の川の周りには巨大な岩が剥き出しになり、斜面は切り立ちそこかしこで巨石が露わになっている。
それは異教徒を拒絶するかのような絶望的な景色だった。
「これを越すのは無理だぞ」とミリウスは呻いた。
「いや、谷底に降りる道を探すのだ。なくても崖を降りるしかない」
そう言うとトーニオはミリウスが背負っていた葛籠を受け取り、それをオーラの遺体に括り付け、更にそれを自らで背負う。
トーニオの顔からは並々ならぬ決意が窺える。
「泣き言を言っている暇はないぞ」
そう言って阿曽の方を見たが、その女は首を振って自分に預けられた荷物をしっかりと握った。
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トーニオとミリウス達一行が崖で悪戦苦闘している頃、ようやく出雲ではオーラの死体が消えていることと、もう一人のローマ兵の死体も焼け跡から見つからないことに気づいた。
それでもヨモロヅミコト(世毛呂須命)は「捨て置け」と言ったきり追っ手を掛けようとはしなかった。
総神官が教団内にいたはずだということと、誰も逃げ出せずに死んだことで十分だった。
「しかし」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は懸念を伝える。
ローマ兵の兄弟が片割れでも生き残っているならば、仇を討とうとヨモロズミコト(世毛呂須命)の命を付け狙うかもしれない、と。
「たとえ、ローマ兵が復讐に来ようと、それはわし個人の問題でしかなかろう。出雲の国を挙げてどうこうということにはなるまい」とヨモロヅミコト(世毛呂須命)が返事をしてきた。
「どういうことです?
現状では国主様には跡継ぎがおられない。国主様の危険は出雲国の危機を意味しますぞ」
「わしは国内にこのような乱の芽を育つに任せ、息子のことも好きにさせてきた。
その結果がこれだ。
罪もなく、ただ異教の神を信じただけの出雲の住民を殺すことになり、二人の息子も失うことになった。これでは先祖に顔向けも出来ない。
スサノオノミコト(素戔嗚尊)に始まる偉大な祖先に対し申し訳が立たぬ。
そこでだ、出雲の統治は大和の方々にお任せしようかと思う。スサノオノミコト(素戔嗚尊)の姉でいらっしゃるアマテラスオオミカミ(天照大御神)にこの先のことはお任せしたい」
あまりに意外な申し出に「早まったことを申されるな」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は諫めようとする。
「いや、これはよくよく考えてのことじゃ。昨日のミトラ教団攻めは自らの最後の務めと覚悟の上で指揮を執ったのじゃ。この決心を変える気はない。
ただ一つの願いは、出雲の民に大国主神を始めとした先祖への信仰を許していただき、祖先を祀り続けられるようにしていただきたい。それさえ叶うのならば、出雲のことは天照大御神の御子孫にお任せしたい。
かつて道を分かった神が再び協力し合うということじゃ。我が望みは大国主神を信仰することを出雲の民にお許しいただくことだけ。我が身の残りの時間は祖先を祀ることだけに捧げたい」
大変なことになった、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は悟る。
慌てて「私の一存ではかようなことを了承することは出来ませんぞ。大王に急ぎの使者を立てます故、今しばらくお待ちいただきたい」と答えるのが精一杯であった。
早々に国主からあてがわれた部屋に戻ると、一人で考え込む。
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)に依頼されて、異教徒から息子を取り戻す手伝いに来たはずだった。
計画ではローマ兵の殺害こそ必須であったが、少ない死者しか出さないつもりでいた。
ところが、異教徒の方でもヨモロヅミコト(世毛呂須命)の跡取りを殺害する計画を立てていたため、イリネを守れなかった。
結果としてヨモロヅミコト(世毛呂須命)は二人の息子を失うことになり、しかも教団総攻撃の指揮まで執り、多くの死傷者を出した・・・・・・
そのあげくがこの結果だ。このイサセリヒコ(五十狭芹彦)が大王に出雲を差し出すことになろうとは・・・・・
大王は、イサセリヒコ(五十狭芹彦)が大和の勢力圏を再び広げたことに感心するであろうか。
それは失敗による成果に過ぎないというのに・・・・・・
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