第9章 出雲の変 その4 逃亡
オーラの見通しでは、国主の跡取りとしてフリネを確保しておけば、イリネ亡き後は一気に国主の禅譲までを迫ることも可能なはずであった。
そうなれば出雲の祖先神・大国主とミトラ神を入れ替えて、出雲をミトラ教国家に生まれ変わらせてしまえるだろう、と。
トーニオも兄の考えに同意していた。
ただし、それには穏便に事を運ぶことが必要なはずだった・・・・・・・ましてや、国内に動員された兵が解散されもせずに溢れている状況では事を荒立てはいけなかった。
せめて、出雲兵が解散した後であれば、兵力の観点から向こうも手出しできなかったかもしれない、と総神官ミリウスは悔やんでいた。
出雲兵の接近の報に接し、トーニオは計画の失敗を悟った。
彼は即座に逃げ出す決心をする。
ローマ帝国であれ、晋帝国であれ、権力簒奪の企みが首尾良く行かなかった時に逃げ遅れることは即座に死を意味する。
それは古今東西変わらない。
オーラの安否は不明だったが、それを確かめている余裕はない。
同志である技術官などは施設の外に出払っていたが、彼らを呼び戻している暇もない。
さらには知らせをもたらしてくれた阿曽の父親も、その技術官に同行しているはずだった。
トーニオは大きな葛籠に荷物を入れると、補強用にと外側に幾重にも綱を巻いた。
それを背負い込むと、何も言わずに内通者・阿曽とともに外に出た。
普段から信者とそれほど会話をしてこなかったことが幸いしたのか、大荷物を背負っていても誰も尋ねてこなかった。
トーニオはそのまま外に出ると、阿曽の案内で山の中へと分け入る。
一刻もしないうちに出雲の軍勢が出雲の宮の方向から姿を現した。
二千の兵は問答無用とばかりに教団の建物を取り囲み、すぐに火矢を放ち始めた、中から逃れようとする者は次々と矢を射かけられ、信者も兵もことごとく討ち取っていく。
そこには老若男女の区別もない。
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ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は鬼の形相でその様を見守っていた・・・・・
トーニオもまた、同じ炎を山の中の茂みに隠れて見ていた。
と、脇に降ろした葛籠がひとりでに動き出す。
しかしトーニオは気に掛けずに案内人の娘の方を向き直った。
「オーラが向かった斐伊川の淵の場所は分かるか」
「分かります。そこから二人の遺骸が運び出されたと聞いています」
そんな話の最中、葛籠からはミリウスが出て来た。
総神官ミリウスが教団の建物から脱出するとなれば、どうしても目立つし、既に脱出したと分かればこのような包囲攻撃よりもまず追っ手が掛けられたことだろう。
「オーラがどうなったか聞いているか?」
「出雲兵に刺し殺された、と」
トーニオには信じられなかった。
ローマの重装歩兵が軽武装しか持たない出雲兵に倒されるだろうか、と。
「案内しろ」
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「オーラ!」
トーニオは川辺の地べたに裸で横たわる兄の姿が見えると叫びながら駆け寄った。
膝を付いて裸で冷え切った身体の兄を抱き起こすと涙を流しながら「オーラ」と叫ぶ。
「トッ・・・・・・・・・ニ!」
既に事切れたと思っていた兄が、ため息とも呻きともつかぬ声で応えてきた。
「オーラ!」
「・・・・・・・」
声にならぬ吐息が漏れ出る。
「まだ息がある」
歓喜するトーニオに対し、ミリウスも阿曽も反応は鈍い。
助かる見込みはない。
そうとあらばオーラを捨て置いて、一刻も早く逃げ出さなければならない。
ところがトーニオはなおも叫んだ。
「総神官、なんとかしろ。オーラは我らになくてはならない人間だぞ」
「今までに倒れた多くの仲間も、誰一人として必要のない人間はいなかったではないか。
先ほども仲間の技術神官を呼び出す余裕がなく、置いてくる他なかった。阿曽にも父を諦めさせた。
残念なことだが、我々は生き残った者だけで、また新たにやり直さなければならない」
最後の言葉は総神官が口ごもったせいで阿曽には聞き取れなかった。
ミリウスを見るトーニオの目に恐ろしい光が宿っていたせいだ。
トーニオが恐ろしい形相で総神官に詰め寄るようにして口にした言葉は、まさしくミリウスの心臓を止めるほど衝撃的だった。
「おれは知っている、貴様が秘薬『ハオマ』を懐中に隠し持ち、『イムホテプの秘術』を修めていることを!なぜ、オーラにその秘術を使わない!
今使わずしていつ使う気だ。どうせ自分には使うことのできない秘術ではないか」
ミリウスは一気に青ざめた。
なぜ知っているのだ、いつから知っているのだ・・・・・・
そのまま彼は立ち尽くしていたが、それを見てトーニオは怒鳴りつける。
「もしもオーラを救わないというのなら、おれは貴様をここで殺して逃げる。生き延びるだけならば、身一つの方が遙かにたやすいからな。
さぁ、どうする!この期に及んでも宗教的大儀とやらに殉ずるのか、それとも生き永らえるために我らと共に力を尽くすのか!」
ミリウスはその全身が震えるのを抑えられない。
自分はその命を賭して東の果てに信仰を広めるはずだった。
今、自分の教団が滅びるのを目にし、それでもなお逃げ延びてきたのは・・・・・・・世界を滅亡から救うためのはず。
目的に殉じるのはたやすいが、それでは世界を救えない。
大儀を果たすためにはトーニオの言うことを聞かなくてはならないのか。
そんなことをすれば、もはや武装兵兄弟の言うままにしか行動できなくなってしまう。
世界救済のためにはそれもやむを得ないのか。
ここを乗り切らなければ結局は破滅が待ち受けることになる。
生き存えさえすれば、また失地を挽回する機会は巡ってくるかも知れない・・・・・・・などとミリウス総神官は逡巡する。
考えに考えを重ねた末に遂には自分を納得させる。
「良いだろう。その秘術を試してみよう。
だが、ここでは出来ぬ。施術の間に邪魔者が入ったり、ヨソ者に覗かれたりする訳にも行かない。邪魔者のいない静かな暗闇が必要だ」
トーニオはオーラの身体に布を巻き、自分の鎧は捨て置く。
雑荷が入った葛籠をミリウスに背負わせると、自らは兄オーラを担ぐ。娘には道案内を命じる。
各自が準備を整えるとトーニオが号令する。
「付いて来い」と。
彼らは斐伊川に沿って遡っていき、そこから更に山奥に分け入る。
深い森の中を上へと登っていく。
いつの間にかオーラは事切れていたが、トーニオはもう気にしない。
秘術を施せるのだから。
兄を蘇らせる、の一念が彼を勇気づけていた。
夕闇の中を進み、更に夜になっても一行の歩みを止めさせない。
夜も更けた頃、総神官はそれ以上一歩も動くことができずに地面に身を横たえた。
案内の娘・阿曽も疲れ切っていた。
トーニオは仕方なしに休む。
森の木々の間からは夜空が微かに見え、星が瞬いていた。
森に覆われた山の中の暗闇にはそんな明かりも差し込んでは来ない。
月明かりまでもが木々に遮られている。
闇はひたすら深く感じられる。
出雲の騒乱の気配は既に遙か遠く、周囲に人の気配は全く感じられない。
「ここでも良いのではないか」とトーニオが尋ねてみるが、総神官は首を横に振った。
「このような場所では祈りは伝わらず、術も効果が期待できない」
「どのような場所が良いのだ」
「高く、周囲に開け、それでいて邪魔者の入らない静かな場所だ」
「いつまでなら効果があるのだ」
「死者の魂が黄泉の川を下り終える前に、施術を終えなければならない」
「そう遠くまで行く余裕はないな」
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翌朝になると、森の切れ目から南の方角に高い山が見えた。
「あれならばどうだろう」
「大丈夫だと思う」
そう答えながら、そこまでの距離とその高さを思うと、ミリウスは音を上げたくなる。
そんな彼らが知る由もなかったが、その山は名を比婆山という。
今の高さに換算すれば千二百メートル級の山であったが、問題はその高さではない。
それは遙かなる太古の昔に伊邪那美命(いざなみのみこと)が葬られたと伝わる山なのである。
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建国神話と桃太郎伝説 紗窓ともえ @dantess
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