第9章 出雲の変 その1 準備

時を下って、西暦で数えるならば310年、丹波の宮津に戻る。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)がヨモロヅミコト(世毛呂須命)と話し合いをもった翌日、知恵袋のササモリヒコ(楽々森彦)だけを残して、イサセリヒコ(五十狭芹彦)はその兵を播磨と大和への帰路につかせた。

ただ一人、イマスの王(彦坐王)の息子タタスヒコだけは早馬で大和の磯城瑞籬宮へと急がせる。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)が「出雲の件」について大王から許可を得るための密使役であった。


出雲との協議内容は極秘なだけに、知っている人間を最小限に止めたかった。

そうなると密使を立てるにしても王族が相応しいだろう。

そこで白羽の矢を立てたのがイマスの王(彦坐王)の息子タタスヒコなのである。


「ここからヨモロヅミコト(世毛呂須命)様と出雲の兵にはゆるりとご帰還遊ばし、その間に我らはこの件に関わる許可を大王からいただかなくてはなりませぬ。

ミトラ教団に不自然と気づかれぬ程度にゆっくりと行軍していただき、米子に着くまでに返事をいただけると良いのですが。・・・・・・もし、使者が間に合わない場合には、忌み事などの理由を付けて少々時間を稼がなくてはなりませんなあ。

教団から怪しまれないうちに出発しなければなりませんから、大王から返事が届かない場合には・・・・お互いに相応の覚悟が必要かも知れません」


敢えて、その覚悟の内容をヨモロヅミコト(世毛呂須命)からは問われなかったが、全てを口にしなくても通じ合える信頼がお互いに醸成されつつあった。


出雲の国主はただ頭を下げて「よろしく頼みましたぞ」と返事を返した。


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「それは、さしたる問題ではありませんね」とササモリヒコ(楽々森彦)は即座に答えてきた。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)が出雲での計画の難点を相談した時のことである。

「一人の人間の鎧を脱がすことぐらい、造作もありません」


「だが、奴らにとってフリネ様は掌中の珠だぞ。警護は厳重なはずだ。そう簡単に目を放してくれるはずないだろう」


「そこは頭の使いようです」と得意気なササモリヒコ(楽々森彦)の様子はさすがにイサセリヒコ(五十狭芹彦)であっても気に障った。

「任務のためには逆に鎧を脱がねばならないこともございましょう。イリネ様にご協力を願う必要はございますが」


「嫡男たるイリネ様を危険な目に遭わせる訳にはいかぬのだぞ」


「その点は、このササモリヒコ(楽々森彦)が責任を持ちましょう」と涼しい顔である。


青葉山で一緒に戦って以来、イサセリヒコ(五十狭芹彦)はイリネに好感を抱くようになっていた。

将来は出雲を治める立派な国主になるべき人物と見て取れた。

そんな未来ある若者を危険な目に遭わせるようなら計画は見直さなければならないとイサセリヒコ(五十狭芹彦)は考えている。


ササモリヒコ(楽々森彦)は確かに知恵があるが、ややもすると自信過剰なところが欠点である。

その彼が自信満々であっても必ずしも安心材料とはならないのだ。

その点はイサセリヒコ(五十狭芹彦)も重々承知している。


それに何といっても、この度の丹波攻略はことごとくササモリヒコ(楽々森彦)の策が当たっての大勝利であったから、本人は一層自信を深めている。

だからこそイサセリヒコ(五十狭芹彦)は心配になるのだ。


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十日後の出雲のこと。


「腹を割って話したいことがある」


前触れなく教団を訪問してきたイリネに対し、ミトラ教団の幹部は警戒感を抱く。


取り次ぎ役が事の次第を伝えるとフリネは二つ返事で応じようとしたが、総神官ミリウス――かつての副神官は、出雲に来てからそう自称するようになっていた――はそれを押しとどめた。


「イリネは国主と遠征に行っていたはずです。それが帰国早々に前ぶれなくこんなことを申し出てくるとは、何か良からぬ事を企んでいる可能性があります」とオーラの方を窺い見た。


「警戒する必要があります。

国主やその後継者たるイリネにとって、教団は目障りな存在なのですから」と軍神官オーラ――彼もまた出雲に来て新たな肩書きを名乗るようになっていた――も助言する。「フリネは我らにとって大事な手札です。ここで拉致されたり殺されたりすることは未然に防がなくてはなりません」


「では拒否させるか」


少し考えた末に「私がお供することを条件にしましょう」とオーラは答えた。


総神官は通訳にそのように伝えさせたが、取り次ぎ役は驚きながらも「そのようにイリネ様にお伝えします」と出て行った。


「さて、これがイリネの独断か、それとも国主も了解していることなのか」


フリネは即答する。


「総神官、イリネが我が父に黙って勝手なことをするはずがない。これは国主の差し金に決まっている。兄弟の情に訴えて、信仰を改めるようにとでも説教しに来たのだ」


「他の場合ならそれも考えられる。だが、戦の最中か或いは戦の直後か、というタイミングではないか。二人は心を通わせながらじっくりと話す時間を設けられた訳だ。そんな後での変わった申し出には十分に注意しなくてはならない。

それに別の可能性も考えておかなければ。例えば、戦で国主の身に何かあったとか――」


「あ」とフリネはその言葉に驚き、突如として心配げな表情になる。

「だとすると、跡目のことか。腹を割るとは、そういう意味か・・・・・」と急にそわそわとその場を行ったり来たりし始めた。

フリネは不自由なくラテン語を話せるが、このつぶやきは大和言葉だった。


「フリネ、何を言っているのだ」と総神官ミリウスは咎めるように注意する。


「申し訳ありません。少し父のことが心配になって・・・・」


「そうした気持ちは総神官であっても理解できる。

国主もミトラの神の恩寵をお受けになれば勝利の恵みを受けられることだろう」


フリネは総神官の言葉に感謝し、深々と頭を下げた。


オーラは少し考えていたようだったが総神官に近づき彼の耳元に何事か囁いた。


それを聞くと総神官は顔色を変えた。


「いや、そのようなことを・・・・・」


だが重ねてオーラは耳打ちする。


「・・・・・・・うむ、それが神の定めならば」と総神官は渋々頷き、それっきり黙だこんでしまった。


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フリネがオーラを伴って教団の敷地の外に出ると、そこにはイリネが一人で待っていた。


本当に一人であるのは意外だった。


「イリネ、戦に出かけたと聞いていたが、無事だったか。

父上のご様子はどうだ。何かあったのか」


「戦は大勝利。父上もご無事だ」


「良かった、心配したぞ」と彼はイリネを抱擁した。


イリネも抱擁を返しながらチラリとオーラの方を見た。


「あいつの居る所でなければ、兄弟だというのに、こうして会うこともままならない」


「仕方がない。教団はこの先、出雲の地で迫害を受けるのではないかと危惧している。

特にこうした急な訪問には警戒を抱かざるを得ないのだ」


「急と言っても、我らは兄弟ではないか。会うのに誰の許可が要るというのだ。

信仰なんぞ関係ないではないか」


「うむ、・・・・・・・・・時に今日は何の用で参った」


「用がなければ来ることも許されないのか。おれは別にフリネがどの神を信じようとも構いはしない。ただ、血を分けた兄弟の繋がりを大事にしたいだけだ」


「神への信心は大事だぞ」


フリネの言葉にイリネはふぅっとため息をついた。

「森羅万象全てに宿る神々の優劣を競ったところで意味はあるまい。大国主神とて、その一つ」


「ミトラ神は違う。勝利によって人々を正しき世界に導いて下さるのだ」


「わかった、わかった、ミトラ神の偉大さはよく聞かされている」とイリネは耳を塞ぐような素振りをした。

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