第7章 出雲 その1 出雲の事情
与謝の森に消えたクガ王の行方は杳として知れぬまま――それがイサセリヒコ(五十狭芹彦)には不満でならなかった。
画竜点睛を欠くとはまさにこのこと、と彼は考えていた。
丹波の民を心服させるには、クガ王を討ち取ったという事績が欲しかった。
そんな彼の気持ちとは関係なく、由良川で戦わずして敵軍を霧散霧消させるという壮挙の後に、一同は舞鶴で会することとなる。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)にワカタケル(稚武彦)の播磨勢、イマスの王(彦坐王)とタタスヒコの大和勢、そしてヨモロヅミコト(世毛呂須命)とイリネの出雲勢という面々が兵とともに顔を合わせた。
祝勝の宴が催され、大和勢は協力してくれた出雲勢をねぎらう。
儀式めいた挨拶や口上、賑やかな上も下も関係のない交歓や歓談、騒がしい飲み食いなどがひとしきり交わされた後、イサセリヒコ(五十狭芹彦)とヨモロヅミコト(世毛呂須命)はどちらともなく声を掛け合い、二人だけで話し合う場を持った。
「この見事な勝利は軍略の見事さのせいであろうな。イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿の働きによる戦果と言っても良いであろうな」とヨモロヅミコト(世毛呂須命)はイサセリヒコ(五十狭芹彦)を讃える。
「滅相もござらん。出雲のご助力があったればこそ。それを抜きにしては軍略もなにもございません。もちろん、天と人にも恵まれた結果ではございます。
何と申しましても、クガ王の所業に対する報いという面は否めないでしょう」
「まさにそれ。治める民に見放されれば為政者は憐れなもの。
政を司る者として、考えさせられることが多い戦でもあった」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)はその言葉に対し考え深げに答える。
「クガ王は自らの方術に頼りすぎていたということでしょう。
その力さえあれば、丹波の住人は否も応もなく従わざるを得ず、もし敵がやって来たとしても勝利は間違いないと信じ切っていたのでしょう。自らの行いを省みることもなく、民の為に尽くすことを知らぬ為政者は滅びるほかないのではありませんか」
「過分な力は誤った方策でも正しいと盲信させてしまうということじゃな」とはヨモロヅミコト(世毛呂須命)は相づちを打つ。
ヨモロズミコト(世毛呂須命)自身もこの度の戦で天叢雲剣の偉大な力を知ったが、過信の恐ろしさを見て学ばされていたことになる。
「スサノオノミコト(素戔嗚尊)より伝わりし神剣の力をクガ王は知らなかった。盲点でしたな」
「いや」とヨモロヅミコト(世毛呂須命)は遮る。
「丹波の住民がクガ王の統治に心服していれば、たとえ術が敗れたとしても、我らが簡単に勝てたかどうか。
此度の戦でわしも天叢雲剣の力の一端を知ったわけだが、そのせいでクガ王と同じ轍を踏まぬように子供たちだけではなく、わし自身にも戒めておかねばならぬと身に滲みて感じたわい」
しみじみとヨモロズミコト(世毛呂須命)が答えるのにはイサセリヒコ(五十狭芹彦)は感心した。
実直なのはもちろんだが、その謙虚で向上心を忘れない姿勢はイサセリヒコ(五十狭芹彦)にも自らを省みる気にさせてくれる。
それでもイサセリヒコ(五十狭芹彦)は言葉を継ぐ。
「イリネ様の戦いぶりだけではなく、その勇敢さ・聡明さ、決断力はそのどれを取っても国主様とともに出雲を治めていくのに相応しいと感じさせてくれました。この先、末永く出雲は安泰でしょう」
イリネを褒められてヨモロズミコト(世毛呂須命)は相好を崩す。
「大和のタタスヒコ様の戦いっぷりも見事でしたな。クガ王の祈祷所だった三上山襲撃などは大胆不敵にして、この一連の戦いの中で特筆すべきものであった。大和に暮らす王子達も立派な方々が多いと聞いている。この先が楽しみなことじゃな」
言い終わるとヨモロズミコト(世毛呂須命)は浮かぬ顔をして息を吐き出した。
「・・・・・・出雲の将来と言われたが、実を言えば心配の種ばかり。悩みは尽きぬ。
祖先を祭る信心も今ではすっかり忘れ去られつつある。天叢雲剣に対する畏敬の念など、持ち合わせる人は少なくなる一方じゃ」
「そうおっしゃられるが、スサノオノミコト(素戔嗚尊)から伝わり、大国主神(おおくにぬしのみこと)以来代々が受け継いだ神剣ではありませんか。此度の戦においても、その強大なる力をお示ししたばかりではありませんか。
聞くところでは出雲の方々は祖先を大切にして、その霊を敬い奉り申し上げているとか。ヨモロヅミコト(世毛呂須命)様を始めとした歴代の国主様によって、国土も住民の暮らしも繁栄に導かれていると誰もが口にします。まさしく安寧の地を地上に実現されているのが出雲ではありませんか。
大和も手本としなければなりません」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)の口調はいつしか熱を帯びだした真剣なものとなっていったが、それを聞くヨモロズミコト(世毛呂須命)は苦笑いを浮かべるばかり。
「さてさて、それは褒めすぎじゃ。
住民達が心を一つとして祖先の神々を敬い、我ら統率者に敬服しているのか、と問われれば、疑問を抱くほかない。天叢雲剣の力を目の当たりにした今となっても、我が身に照らしてみれば、これは過分な力であるのかも知れない。
そう、わしにも息子にも偉大な祖先からの歴史や宝なんて言うものは、ちと荷が勝ち過ぎるのだ」
そう言うとヨモロズミコト(世毛呂須命)は考えあぐねるように星が輝く天を仰いだ。
「思い切ったやり方での対処が必要になっても、結果の辛さを考えると何もしないで手をこまねいてしまう。特に肉親に対する処断は、情が邪魔をするものじゃ」
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は悲しみと苦渋に顔を曇らせながら、諦めようにも諦めきれないといった苦悩がにじんでいるように見える。
しばしの間の後にヨモロズミコト(世毛呂須命)が大きくため息をつくのが聞こえ、それから渋々というように出雲の国主は自分の治める国の問題を語り始めた。
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「十年前に、異国から出雲に漂着した者達があった。
彼らは見るからに大八洲の住人や大陸の住人とは違う風体をしていたが、出雲では外見や風習で彼らを差別することはなかった。地元の住民がこぞって彼らを助けたのだ。
彼らが落ち着くと、行く当てもないということで、国主であるわしのほうから新しい耕作地や住居をあてがうことにした。
彼らは概ね真面目で勤勉で、出雲の言葉や習慣も早くから覚え、数年のうちには地元の住人とも溶け込んだように見えた。それと同時に田畑からの収穫も安定するようになった。
だが次に彼らがしたことは、出雲へ新しい技術や知識を伝搬することではなく、新たな神ミトラへの信仰を布教することであった」
「ミトラ?」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は初めて聞く神の名を口に出し、確認しようとした。
ヨモロズミコト(世毛呂須命)は深く頷き返す。
「そうじゃ。大秦国と大陸では呼ばれていたそうだが、ローマという国の神だそうだ。
大陸より遙か西に位置する国だそうだ。
戦いに勝つことで悪を滅ぼし、地上に正義をもたらす神なのだそうじゃ」
「それは結構な神ですな」
「まぁ、そうだな。
生け贄の儀式にしても、人を犠牲にする訳でもないし、奴らの近隣だけで信じる分には構わないと黙認することにした。
ところが、イリネの兄であるフリネの奴がいつの間にか信者になってしまった」
ヨモロズミコト(世毛呂須命)は苦々しげ表情を浮かべた。
「フリネだけが信者になったのならまだしも、気が付いた時にはあやつの取り巻きや兵士までの全員が入信していた。わしがもっと注意して見守っていなければいけなかった」と首を振る。
「フリネが入信すれば、その歓心を買うために周りの者は入信するに決まっておった」
言われてみればその通りである。
「悪を倒して勝利する神を信じる、ということは、言い換えれば勝てば相手を悪と見做すことができると言う意味にもなる。そうなれば先祖伝来の神々を信じる必要もない。それはスサノオノミコト(素戔嗚尊)に始まり、大国主神から連綿と続く国治めの事績を否定することにもなりかねない。先祖を祭ることは拒絶され、これまでの先人の功績は葬り去られ、これから国を治める際の中心となるべき者のありようまで今までの価値観を認めないというのだ。
しかも、その信仰がフリネを中心に拡がりだしている。これを憂慮すべき事態と言わずしてなにを憂れうべきなのか」
厄介なことだ、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)にしても同感であった。
多くの神々が国づくりにおいては生み出されてきた。
そうした八百万の神々は同じ世界の中に共存してきたはずである。
どのような信仰を持とうと、それは他の祖先神をないがしろにするものではなかったのだ。
だというのに大秦国から伝わろうとしている神は異質である。
・・・・・・・ここでイサセリヒコ(五十狭芹彦)はハッとする。
異質な神なのではなく、その信仰を利用して自分に都合の良い状況を生み出そうとしている者がいるだけかも知れない、と気づいたのだ。
「わしはフリネを取り除きたい。廃嫡したいのだ」
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)の言葉にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は愕然とする。
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