第6章 丹波の山奥 その2 敗軍の将
「戦の前に、仲間同士で何をやっているのだ」と仲裁に入った部隊長が叫んだ。
リョウが一旦は引き下がって冷静になってやろうかとしていると、取りなしてくれていた部隊長までが言い募ってきた。
「とはいえリョウ様、彼の言うことにも一理ありますぞ。
この戦は我らが望んで戦うのではありません。
クガ王や道士達に強いられている戦なのです。だからこそ、無駄死にはしたくないのです。そこのところをご理解いただきたい」
「何をくだらないこと言っているのだ。
我らには高邁な理想がある。それのために尽くすことがおまえ等の務めだ。
ゴタゴタと世迷い言を言う暇などないぞ!言う通りに戦えば良いのだ。それの是非は我らやクガ王様が判断することだ。
おまえ等は言われたとおりに黙って戦えば良いのだ。分かったか!」
クガ王に指揮官まで任されたリョウには普通に丹波で暮らす住民の気持ちなど理解する気もないのだ。
それに気づいた各部隊長の面々はさすがに頭にきた。
彼らはお互いに目配せをしあう。
その時である、「何を騒いでいる!」とクガ王が姿を現した。
予想もしないクガ王の出現に部隊長達は驚き、慌てたように膝を屈する。
リョウごときはどうにでも料理できるであろうが、法術を操るクガ王は恐ろしいのだ。
リョウにしても、クガ王の出現に焦り驚き、慌てたように跪くと、深々と頭を下げた。
「何を騒いでおった」とクガ王はしらばっくれて聞いた。
「本日、青葉山の山塞から煙が上がっていたので、みなが動揺いたしまして」
「あれはボヤだ。気にするようなものではない。
そのようなことにいちいち気を回すことは許さんぞ。おまえ等は忠実にこのクガ王とクガ王に指揮を任されたリョウに従っていれば良いのだ。
逆らう者は家族共々厳罰に処すことを肝に銘じておけ。わしの目から逃れることはできんぞ」
そう言い放つとクガ王は高らかに笑った。
暗闇の中に響く笑い声はどこか恐ろしくもあった。
「くだらない詮索は止めて、明日に備えよ。
如何なる命令にも従えるように準備をするのがお前たちの務めだ。こんな所に集まってクダを巻いている暇はないぞ。さっさと所定の持ち場に戻れ、バカどもが!」
部隊長達はブツブツと不満らしいことを言い合いながら退いていく。
「無駄話を止めて、さっさと戻れ!」と怒鳴ると、再びクガ大生は高笑いをした。
彼らが立ち去ると、辺りは静まりかえった。
幕営にはクガ王とリョウの二人っきりである。
「クガ王様、こんな夜更けにこのような場所に来られたのは、いかがご用件でしょうか」
「うむ。夜明けと共に綾部の丘に向かい、そこで祈祷を上げて、方術により一気に丹波に侵入した大和と出雲の軍勢を蹴散らしてしまおうと考えている」
「出雲の兵でございますか」
リョウには意外な話であった。
「そうだ。出雲の兵が丹後から侵入し、宮津まで進出してきておる。
当然、大和と示し合わせての進軍であろう。
明日にも由良川沿いにこちらの背後まで進出して来るであろう」
「我が方の援軍はどこまで来ているのですか」
「宮津にて壊滅した」
リョウには淡々と話すクガ王の言葉が信じられない。
平静を装っているが、クガ王の言葉が真実ならば、福知山にて陣を張っていても袋のネズミの運命は避けられないということを意味する。
勝機は殆どない。
それを知りながら、兵達を罵倒し、高笑いしていたのか。
「宮津では方術は使わなかったのですか」
「三上山に登り、祭壇を築き、水の術を使って連中を驚かしてやった。それだけではなく、出雲の祟り神・八岐大蛇の幻を見せてやったわい。出雲の奴らは溺れながら驚き慌てていたぞ!
ところがだ、奴らの指揮官が剣を抜いた途端に稲妻に打たれたような閃光がほとばしってきた。その衝撃で術が破れただけでなく、この身体にも打撃を被ったらしく、わしまでが昏倒してしまったのだ」
「それでは術が通じないと言うことではないですか」と驚きながらリョウは聞き返した。
「相手の出方が分かれば、こちらも対応のしようがある。明日こそは完膚なきまでに打ちのめしてやる」
その王の様子を見ながらリョウは考え込んでしまう。
クガ王の法力を信じていたからこそ、自分はこれまで忠実に付き従ってきた。
その忠誠ぶりはクガ王からも認められ、こうして丹波の主力軍を預けられるまでになった。
だが法力が効かないのならどうする。
法力が当てにならないのに、これまで通りに忠誠を尽くし続けるのは愚の骨頂ではないか。
負け戦になりそうだというのに、いちかばちかの命を賭けるのはバカバカしいとしか言いようがないではないか。
自分の考えがクガ王の発した告白でガラリと変わってしまったのには驚くべきものがあったが、それもクガ王の法力を絶対的に信じていたからこそ。
すべての前提が変わってしまったのだ。
戦いの方策に疑念を抱く部隊長を「考え違いも甚だしい」と言い聞かせていた自分はもはや存在しないのだ――そうリョウは結論づける。
明日の手はずについての虚しい話し合いの後、クガ王が去ると身の処し方を改めて考える。
そこへ「逃亡した部隊長がいます」と急の報せが届いた。
「すぐに引っ捕らえねば」とリョウは手勢を率いて飛び出した。
これこそが天の助けとばかりに、リョウはそれっきり姿をくらましてしまった。
軍司令官リョウの逃亡はすぐに兵達の知れるところとなる。
その話を耳にした者は「これは勝ち目がない」とこぞって逃亡を始めた。
クガ王が潔斎を終えて、夜明け前の出陣をしようかという時には、福知山の陣はもぬけの空になっていた。
「バカどもめ、どこへ逃げた。裏切り者がどうなるか、目に物見せてくれるぞ!」と幾ら叫んでも、逃げた兵は戻らない。
百人に満たない数が残っただけである。
クガ王から見たら、彼らは忠実なのではなく、逃げ出すだけの分別を持ち合わせないか、思いついても行動に移すこともできないような愚鈍な連中でしかない。
事実、残りの連中は翌日になって宮津から出雲軍が進出して来るのを目の当たりにすると、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。
そうした経過は出雲側にも大和側にもほどなくして伝わった。
戦わずして勝てたことにイサセリヒコ(五十狭芹彦)もヨモロズミコト(世毛呂須命)も大いに安堵して戦勝を素直に喜んだ。
結果的に、青葉山でこそ屍山血河の戦いが生じたが、他はまともな戦闘は行われずに戦は終わった。
残る課題は福知山の大和軍と丹後の出雲軍で、どこかに落ち延びようとしているクガ王を狩り出すことだけである。
敗軍の将・クガ王は鷹に姿を変じると、空高く舞い上がり、そのまま南にある与謝の森に逃げ込んでいた。
「勝敗は兵家の常」と自らを慰めつつ、いよいよ進退窮まったことに驚いていた。
山塞は落ち、主力軍は戦わずして霧散霧消。
再起を図ろうにも拠り所となる場所も人もいないのである。
何をどこで間違えたのか、昨日までの丹波の支配者がこれはどうしたことか。
栄耀栄華を誇った山塞での暮らしを思うと、今の境遇が惨めでしかない。
だが、もたもたと栄光を懐かしんでいる暇はない。
いつ山狩りが始まるかも知れないのだ。
彼は更に山を奥へ奥へと入っていった。
疲労と不安がいっそう焦りを募らせていた。
山を登り、谷を下り、すっかり人気が消え、ここまで来ればよもや、と言うところでようやく一息つく。
近くに丁度良い茂みを見つけたので、その中に入って一眠りすることにした。
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