第6章 丹波の山奥 その1 勝った側と負けた側
イサセリヒコ(五十狭芹彦)が青葉山の山塞から下界を見ると、既に霧は晴れつつあり、峰山までが見晴らせる様になっていた。
宮津に陣を構える出雲の軍勢が旗や幟を立ち並べている様がはっきりと見て取れる。
整然と軍が建ち並ぶ姿から、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)が勝利を収めたらしい、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は安堵した。
霧に紛れて宮津まで進出してくるとはヨモロズミコト(世毛呂須命)はなかなかどうして「機を見るに敏」「臨機応変」な戦上手ではないか、と見直しながら左手の方角を眺めた。
そこには福知山の陣が霞の中に見えるのだ。
向こうからも青葉山に火の手が上がったのが見えたことであろう。
何が起こったのかと敵軍はさぞ浮き足立っているであろう。
もはや勝利は間違いない。
ならば、双方の損害を最小限にしたい、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は考えるのだ。
日の傾いた西の空を見上げ、「今夜から雨になりそうだな」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は呟く。
青葉山での事後処理はイリネに任せることにし、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は下山すると馬を調達した。
一刻も早くヨモロヅミコト(世毛呂須命)と次の策の打ち合わせをしたかった。
途中で馬を乗り継ぎ急いだが、それでも宮津に着いた頃にはとっぷりと日が暮れていた。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)が急ぎ、ヨモロヅミコト(世毛呂須命の幕営に辿り着くと、そこでは一人ヨモロヅミコト(世毛呂須命)が静かにかがり火を眺めていた。
何か深く物思いに耽っているのが窺える。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)はその前に進み出ると膝を屈し「此度の戦勝、お祝い申し上げます」と口上を述べながら深々と頭を下げた。
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)はチラリとイサセリヒコ(五十狭芹彦)の姿を認めると「大仰なことよのう」とだけ呟く。
「申し遅れましたが、イリネ様も存分のご活躍。もちろん息災にございます」と慌てて言い足す。
その知らせには微かに笑みを浮かべ「うむ、それは祝着至極」と答えてきた。
それでもヨモロヅミコト(世毛呂須命)はどこか心ここにあらずに見える。
「わしからもイサセリヒコ(五十狭芹彦)殿に、タタスヒコ殿が大江山にクガ王を急襲し、その妖術を打ち破ったことを伝えておかなくてはならぬな」
「誠でございますか」
「残念ながら、クガ王は逃がしてしまったそうだ。あの道士、霧の中で我らを水攻めにし、そのうえヤマタノオロチ(八岐大蛇)まで出現させおったわ。しかも、逃げる時には鷹に変化して飛び去ったそうだ。
全てが簡単にはいかぬものじゃ」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は黙って控えていた。
「明日は由良川まで出て、そこから南下するのだな」
「仰せの通りでございます」
「これっきりで、敵も味方も被害は少なくしたいものじゃな」
その言葉はイサセリヒコ(五十狭芹彦)の願いでもあった。
彼は深く頷き、そのような明日になるように祈りたかった。
そんなイサセリヒコ(五十狭芹彦)の様子をヨモロヅミコト(世毛呂須命)がじっと窺っているのに気づく。
二人の目が合うと、ヨモロズミコト(世毛呂須命)は気まずそうに口を開いた。
「明日、無事に戦が片付いたら、イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿とは折り入って話したいことがある」
「どんな話でございましょう」
「それは明日、事が済んでからのこと。先ずは明日の準備に専念するとしよう」
それっきりヨモロヅミコト(世毛呂須命)が黙り込んでしまったで、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は仕方なしに幕営から引き下がった。
気になるとはいえ、国主が口を開かない以上はどうにもならないではないか、と思案しながら幕営を出たところにササモリヒコ(楽々森彦)が待ち構えていた。
気を取り直してイサセリヒコ(五十狭芹彦)は軍師に問うた。
「どうした、タタスヒコは無事か」
「ご無事です」
「クガ王は逃げたそうだな。おまえがいながら手抜かりであったな」
「お許し下さい。
よもや目の前であのような変化の術を見せられるとは思いませんでした」
「しかし、おまえ達が襲撃したおかげで奴の妖術が破られたのであろう?」
「ヨモロヅミコト(世毛呂須命)様がそのようにおっしゃいましたか?」
「いや、明言はしなかったな」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)の返事にササモリヒコ(楽々森彦)は意外そうな顔つきをする。
「それに関して私は疑問に思っております。
私どもが大江山の山頂に辿り着いた頃には、既に霧は薄れ始めておりましたし、むしろクガ王に異変があったらしく、道士達が介抱している様が見えました。
こちらにいた兵から話を聞くと、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)様がヤマタノオロチ(八岐大蛇)と対峙して天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を抜き放った時に、青白い閃光がほとばしったと言うのです。その直後に巨大なヤマタノオロチ(八岐大蛇)は、かき消えるように姿が見えなくなったとか。しかも、霧の中にあっても天叢雲剣はその光によって正しき進むべき方向を照らし続けたというのです」
ササモリヒコ(楽々森彦)から聞く話にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は畏れ入るしかなかった。
凄まじいまでの神剣の威力を聞かされれば、いかに出雲がその祖先神に守られた地であるかを思い知らされるしかない。
出雲の神剣・天叢雲剣の持つ力は世迷い言や迷信ではないということか、と。
「ならば雨になりそうなこの空模様も伝説のままということか」と思わず口走るとササモリヒコ(楽々森彦)は黙って頷いた。
その姿を見るうちにますます先ほどのヨモロヅミコト(世毛呂須命)の態度が奇妙に思えてきた。
どう判断してら良いのだろうか・・・・・・・・
天叢雲剣の畏るべき霊力、それこそがヨモロヅミコト(世毛呂須命)にとって、大和の人間に聞かせたい話のはずである。
出雲の力を見せつけるのにうってつけの話ではないか。
だというのにヨモロヅミコト(世毛呂須命)はそれを吹聴しようとはしなかった。
ただ、深い思索に囚われているかのようなヨモロズミコト(世毛呂須命)の姿が思い返されるばかりだ。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は頭を振って余計なことを考えるのを止めた。
確かになにか訳がある。
折り入っての話というのはそのことであろうが、それも明日の戦で勝ってからのこと、と。
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さて、タタスヒコ等の襲撃を逃れたクガ王であるが、自分が引き連れてきた兵達が戦う気力も見せないうちに逃げ散ったのを宮津の上空からなす術なく見届けた。
仕方なしに青葉山の山塞に逃げ戻ろうとしたが、そこも既に敵によって占拠されていた。
となると残る当ては福知山の主力軍しかない。
彼にとってはもっとも信頼できる男、リョウに指揮を任せている。
それを信頼と呼ぶかどうかは捉え方によるが。
クガ王が幕営のそばに舞い降りると、各部隊の長とリョウが討議をしているところであった。
「青葉山から火の手が上がっていたのは、既に本拠地が敵の手に落ちたということではありませんか」
「その点は偵察要員を出して確認しているところだ」
「もしも、本拠が落ちているようであれば、ここで戦う意味はありません。
被害の出ぬうちに敵に恭順の意を示さなければなりません」
「まだ分からぬ事を決定できないではないか」
「分からないうちに敵が攻撃してきたらいかがする」
「敵の攻撃を、ここで食い止めるようにとクガ王から命令を受けている」
「その王が既に降伏か討ち死にしているのなら、命令を頑なに守り続けるのは無駄死にではないか」
その言葉にリョウは怒りを露わにした。
「王が降伏だと!討ち死にだと!不敬にもほどがあるぞ!
臆病風にでも吹かれたか!自らの命が惜しいだけの言い草ではないか!
そのような言葉、口にするのも憚れるぞ!」
「そっちこそ命令されたことしか出来ぬ大バカ者だろうが!」
「なに!そのような口の利き方、後でクガ王直々から罰が下されるぞ!」
「子供の使いじゃあるまいし、指揮官が何も考えていないなら、そんなお前は最初から必要ないわ!」
「なにをぅ!言わせておけばいい気になりおって」
「ほう、だったらどうする気だ。クガ王がいなければ何も出来ない腰抜けのくせに。
おまえのような奴こそ、虎の威を借る狐と言うのだ。いや、キツネにも劣るろくでなしだ」
「何を!」とリョウが剣を抜くと、相手も負けじと鞘を払ったが、他の部隊長達が割って入り、双方を力尽くで押さえ込んだ。
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