第5章 丹波道の戦い その4 妖術
クガ王は強行させた軍に宮津で陣構えの触れを出した後、各兵に警戒を厳重にするようにと命じたきり、本営を設けた幕の中に引き籠もった。
そのまま何事もなく時が過ぎるのみで、これではなんのために強行軍で宮津まで来たのかも分からない。
それでも命令に逆らった時のクガ王の恐ろしさは知れ渡っていたせいで、誰一人としてこれからどうすればいいのかを聞きに行けずにいた。
それもクガ王の計算の内であった。
クガ王自身は誰にも伝えずに供回りの者達だけを引き連れて三上山へと向かっていたのだ。
三上山は磯砂山や青葉山よりも高い森深き山である。
クガ王とその一行は日が高くなり出した頃にようやく山頂と思われる藪に辿り着いた。
休むことなく、家来に藪を払うようにとクガ王が命じる。
そうしておいて彼自身は背の高い木を見つけて、するすると登り始めた。
その見事な身軽さと登りっぷりに家来たちは命令を忘れてクガ王を見上げていたが、直ぐにその姿は木々の間に見えなくなってしまった。
クガ王はそのまま木の天辺近くから横に伸びる枝に飛び移ると、峰山の方を眺める。
峰山の敵軍に動きらしい動きが見えないのはクガ王にとっては良い兆しに思えた。
宮津にいる自分の兵も静かに陣を構えているのが見える。
「良かろう」と満足したクガ王は登って来たと同じようにするすると木を下り、地上に降り立った。
既に藪が払われて地表が露わになった場所に祭壇が築かれている。
そこには大きな座布団が敷かれており、その四方で香が焚かれていた。
命令通りに作業してくれた部下には一瞥もくれずに、クガ王はおもむろに地面に跪いた。
そこで深々と頭を下げ、その姿勢のままで何やら呪文をつぶやき始め、祈りを捧げていく。
すると、彼はそのまま地表から浮かび上がる。
その光景に家来たちは仰天し、慌てたように膝を付き、手を合わせてクガ王を拝みだした。
クガ王はというと、その頭を下げた姿勢で宙に浮いたまま、得体の知れない力に引かれていくかのように祭壇の階段を滑るように登りだす。
一同はただ驚きくほかなく、クガ王のすることを恐れおののきながら見つめている。
そんな家来の様子には目もくれずにクガ王は祭壇の座布団上に座った姿勢のままで到着した。
そこでおもむろに懐から叩き鉦を取り出すと、撞木でゆっくりと打ち鳴らし始める。
音はピンと張り詰めたように響き渡り、その音響に絡みつくように香の煙が立ち上り広がっていく。
クガ王が叩き鉦を打ち鳴らす度に煙は怪しく立ちこめだし、さらにモクモクと立ち上っていくのである。
煙が濃くなり、視界が遮られ出すにつれ、もやの中に怪しく紫の光が煌めきだす。
日は高くなってきているはずだというのに、辺りは暗くなりだし、生暖かい風までが吹き始めた。
声を出さぬまま「いいぞ」とクガ王は尊大な笑みを浮かべた。
吹き付けてくる生暖かな風に家来たちはゾクリと気味の悪さを感じ取り、背筋に震えが走るのを止められない。
いつの間にか全身から玉のような汗が吹き出し、風も煙も体中にべったりとまとわり付いてくるのを感じる・・・・・・・
「王よ、我々は大丈夫なんでしょうか」と恐怖に耐えきれずに声を上げた者は次の瞬間、もやの中から突き出てきた巨大な蛇の頭に咥えられ、声を出す暇もなく姿を消した。
冷たい笑いを湛えてクガ王が注意の言葉を告げる。
「声を発するな。みだりに騒ぐと命取りになるぞ!
まだ、時間が掛かる。そこで静かに見ておれ」
再び叩き鉦がチーンと鳴り響くと、その怪しげな煙は三上山の頂から高く湧き上がり始め、さらには山頂から山裾へと溢れ流れていく。
いや、三上山の周囲は晴れ渡り、雲一つない天気なのに、である。
磯砂山の物見はいうに及ばず、峰山の出雲軍も宮津の丹波軍にしても、まだ少しも異変には気づいていない。
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鷲崎を朝に発ったイサセリヒコ(五十狭芹彦)の小船団は、日が南中する頃に舞鶴湾を目前としていた。
先頭の船はイサセリヒコ(五十狭芹彦)が乗っている船である。
彼が後ろを振り返って確認すると、漕ぐ速度を抑えて合わせるようにしたはずなのに、各船は海原にまき散らされたかの如く離ればなれに見える。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は顔をしかめた。
これでは上陸後にも全ての船が横着けされるまで随分と待つことになりそうだ、と。
だが気を紛らわすために考え直す。
船団が列を成して一路舞鶴湾に向かって南下していたら見張りに怪しまれてしまうではないか。
船がばらばらで進んでいるからこそ、海に漁船が出ているとしか見えないのだ。
怪我の功名ではないか、と。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は舟を接岸させると、一緒の舟にいた者に命じて、青葉山への道筋を偵察させた。
その間に上陸してくる兵たちを同乗していた舟ごとに小隊とした。
偵察が戻ってきて、登り口までの道筋には敵の伏兵がないと確認が取れると、各小隊を青葉山の西側にある登り口、松尾口へと出発させる。
イリネとその兵には打ち合わせておいた通りに東側の登り口・高野口へ向かうように伝え、次いで先に部下たちが向かっている松尾口へと後を急ぐ。
青葉山は舞鶴側から見ると二峰に分かれている。
松尾口からだと西峰まで約一時(一時間)、東側の高野口からだと東峰までやはり小一時なのだ。
舞鶴からだと高野口までは松尾口よりも遠く、余計に半時以上掛かる勘定だった。
彼らは剣と弓以外の鎧や楯を持たない軽装部隊なので、舞鶴から青葉山までの二里半ほどの距離を一刻(二時間)足らずで走り抜けた。
青葉山の山頂に火を放つのを合図に出雲軍はクガ王率いる丹波軍に襲いかかる手はずなのだ。
丹波軍もまた青葉山に上がる火の手を目にすることであろうが、それは彼らの士気を著しく損なうことになるはずだった。
クガ王の圧政に無理矢理徴発させられた兵達はさしたる抵抗をする力も残していないであろう。
だが、暗くなってからでは出雲軍が攻撃に移る時間が残されていない。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)の焦りにも似た気持ちの原因はそこにあった。
明るいうちに山塞を陥としてしまいたい。それもできるだけ早く。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)が松尾口に辿り着くと、既に西峰の見張りの者が打ち倒されていた。
「見張りはこれだけか」
「松尾口から山塞までは全く敵兵は見当たりませんでした。
これは主だった兵の悉くを率いて行ったと言うことでしょうか」
「兵を残しておいても、クガ王がいなくなれば彼らは従わない恐れが強いのではないか。残した兵に反乱を起こされかねないと言うことではないのか」と答えながら、力による支配の虚しさをイサセリヒコ(五十狭芹彦)は感じていた。
そんなことを考えながら戦うようでは、その支配者は終わりなのだ。
ミマキの大王がこれから計画している北陸道や東海道への遠征も、武力による強圧的なものであれば、同じような終焉が待つことになるであろう。
力で打ち負かすのではなく、心服させなければならない。
大王やオオヒコ(大彦)親子にもよくよく言い聞かせておかねばなるまい、とも考えるのである。
現に今、こうして丹波攻略戦においても、イサセリヒコ(五十狭芹彦)の兄弟とイマスの王(彦坐王)の親子を福知山方面軍と丹後半島方面に分けて指揮させられている。
これも大王並びに朝廷の猜疑心の現れではないか。
従いお仕えすることが、御正道と自ずから感じられるような存在たること、これが大和の大王と他の支配者の違いであるというようになれば、自然と大八洲の葦原中津国は一つになることであろう。
それよりも、今は戦闘に集中しなければならない、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は気を取り直した。
さすがに山塞の見張りには用心しなければならない、と思いながら、先遣の者に山道を駆け上らせた。
しかし、山頂の物見台の男は呆けたように西の方に見入っており、見張りの役目を果たしていなかった。
すかさずイサセリヒコ(五十狭芹彦)の配下が物見の男に忍び寄り、背後から男の口を押さえて悲鳴も上げぬうちに打ち倒した。
「続け」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)が合図すると、山頂にある山塞の築かれた空き地に一斉に駆け込む。
だが、誰も彼もが空き地や山塞の中では一心不乱に西の空を見つめている者ばかり。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)達に気づくと彼らはひどく驚き、さしたる抵抗もなしに降伏した。
彼らは五十人ほどの見習い道士達と下働きの下男達だった。
あっさりと降伏したのが余りに予想外のことだったので、彼らが何を見ていたのかと西の方を見ると、イサセリヒコ(五十狭芹彦)達も目を疑った。
三上山からたなびくように広がった靄は峰山に向かうにつれて厚くなり、高くなり、濃い霧となり、空から分厚い生地の如く覆いが垂れ込めているかのようだった。
「これは一体?」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)が思わず声に出すと「今は虜の我らも、やがてはクガ王様の法力によって立場が逆になるであろう。おまえ等が好きにしていられるのも今のうちだぞ!」と捕虜の一人が叫び返して来た。
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