第5章 丹波道の戦い その3 行軍
タタスヒコに忠告を済ませた後、イサセリヒコ(五十狭芹彦)はイリネを連れて北へ向かった。
目指すは峰山から竹野川沿いに下った犬ヶ崎の海辺である。
この海岸は日本海側に面しており、丹後半島を中心に考えると若狭湾の反対側に当たる。
既にイサセリヒコ(五十狭芹彦)の手勢と出雲兵、合わせて百人が二人を待ち侘びていた。
この海岸から船で出発し、海路で丹後半島を回って、そのまま一気に南下し、舞鶴湾に上陸する。
そこからガラ空きになっている青葉山の本拠を一気に陥としてしまおうというのがイサセリヒコ(五十狭芹彦)の作戦なのだ。
船は十隻が駆り出され、地元の漁師の協力を得ていた。
猟師の中で長老と思しき男が言った。
「舞鶴までですか。海路でも約十里はありますな。それに日が暮れたら方向が分かりませんから、夕暮れ前に浜に上がらねばなりません。頑張っても到着するのは明日の昼過ぎになっちまう」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は状況を検討する。
クガ王の軍は既に出陣しているが、今夜は青葉山と峰山の中間点、由良川辺りまで進むであろう。
果たして川の手前でいったん止まるのか、それとも川を渡ってから夜営するのかはは予測できないが、恐らくは背水の陣を敷こうとはしないであろう。
夜が明けてから三上山を迂回して北上し、若狭湾に面する宮津の海岸まで降りてくるか、あるいは山岳部を強行突破するか。
どちらにせよ、クガ王の軍が峰山周辺に姿を見せるのは、早くても明日の午後であろう。
ギリギリだ。
だが、イサセリヒコ(五十狭芹彦)はいささかの迷いの素振りも見せずに「それで何とかなるであろう」と鷹揚に承諾の返事をしてみせる。
既に戦いは始まっているのだ。
迷っている暇はない。
もっと早い刻限に出立していたなら、イサセリヒコ(五十狭芹彦)たちの小船団は昼のうちに丹後半島を回って若狭湾に出てしまい、青葉山から見える海面に別働隊としての姿を晒すことになりかねない。
出撃前にクガ王が青葉山から船団を発見していたら、陽動を見破って出撃を取り止め、上陸地点で待ち伏せる可能性もあった。
そんな場合には峰山から出雲軍が討って出て、福知山の敵主力を大和の主力と挟撃して撃滅することになっていたが、果たしてそれほど上手くことが運ぶかは分からない。
いやたとえ、このままイサセリヒコ(五十狭芹彦)の計画通りに物事が進んだって結果がどうなるか定かではない。
だからこそイサセリヒコ(五十狭芹彦)とヨモロヅミコト(世毛呂須命)は、互いに臨機応変に行動しようと約してきたのだ。
他の選択肢はない、とは口にせずに彼は出航を命じる。
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舵を握る船頭と漕ぎ手は代わる代わる交代で船を進めていく。
海に出れば、どうしても速度を揃えて進むことは叶わない。
徐々に船は海上でばらけていく。
「兵を運ぶ船団にはとても見えんな」と一安心しつつ、舞鶴湾上陸がばらばらになるのは計画を進める上で障害になることが危惧された。
とはいえ、ここは船頭達に任せるほかない、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は腹を括る。
夕方までに丹後半島北端を周って鷲崎に辿り着き、明るいうちに上陸する予定であったが、海にばらけた船を待って全員の上陸を確認するまでに数刻を要し、すべてが済むまでにはすっかり日が沈んでしまった。
松明の灯りの中でイサセリヒコ(五十狭芹彦)はさすがに険しい顔を見せる。
このままでは明日が思いやられる。
「明日は、もう少し集まった格好で舞鶴に着けないか」と船頭達に問うと「もう少しゆっくりした速度で進むならなんとかいたしましょう」
その返答にイサセリヒコ(五十狭芹彦)の顔は険しいままである。
それを察したのか、船頭たちが続けて提案してきた。
「朝に出て、昼前に上陸しようというのなら無理ですが、昼過ぎで構わないのならなんとかしましょう」
急いだところで、今日のように終結に時間が掛かれば何の意味もない・・・・・・
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は苦渋の表情で「それで構わぬ」と答える他ない。
クガ王の軍が出雲軍に攻撃を仕掛けるとしても、明日の午後ヤツ時(=二時頃)前後であろう。
それよりも早くなることはあるまい。
通常の行軍で昼前に攻撃地点に到達し、戦闘態勢に入れるとは思えない。
それより先に青葉山を落とせれば敵の戦意を大いにくじくことになるであろう。
そう願いながらイサセリヒコ(五十狭芹彦)は遙か遠く、肉眼では見えない青葉山へと思いを馳せるのであった。
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だが、夜が明けてみると、事態は一変していた。
磯砂山からはヨモロヅミコト(世毛呂須命)のいる峰山へと至急の伝令が駆け込んできたのだ。
「敵が宮津にて陣を張っております」
予想外の報せにヨモロヅミコト(世毛呂須命)は驚きを隠せない。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)と作戦を何回も検討したが、敵軍は前夜に由良川周辺までにしか達していないはずであった。
どうやらクガ王の軍は夜を徹して行軍してきたらしい。
このまま攻撃を受ければ、イサセリヒコ(五十狭芹彦)とともに練ってきた作戦は意味をなさなくなる。
「僅か二里の距離。向こうはそのまま攻め込んでくる構えか?」
「いえ、陣を張り、ただ静まりかえっているように見えます」
「偽計かも知れん」
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)が警戒するのには理由がある。
兵も生身の人間である以上、強行軍では疲労する。
疲労した軍は戦闘力も戦意も落ちてしまうものだ。
だから多くの場合、指揮官は無理な行軍をしたがらない。
ただし例外がある。
強行軍により、暁闇のうちに奇襲が出来る場合だ。
奇襲を受けた軍はほとんど戦闘力を喪失してしまう。
強行軍で疲弊した兵であっても十分に勝算が見込めるのだ。
丹波軍が夜を徹して目の前まで進んできた以上は、そのような目論見が成されていることを考慮しておかなければならない。
「宮津から動かぬと見せかけて、別の方角から奇襲を掛けてくることもあり得る。
斥候を出せ。敵の動きを確かめろ」
ヨモロヅミコト(世毛呂須命)はこうして部下に命令を出しながら、別働隊に同行する息子イリネのことが脳裏に浮かんでいた。
今頃は鷲崎から一気に若狭湾を南下して舞鶴の向かう船の上であろうか。
或いは・・・・・宮津までの敵の強行軍は鷲崎への攻撃隊を派遣するためのものではないのか・・・・・・ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は不安を抱かずにはいられない。
彼は手元に天叢雲剣を引き寄せる。
この剣を手に持つと、不思議と身体には力がみなぎってくるようで、心は霧が晴れ渡るように落ち着く。
だがこの瞬間は妙な考えが頭を掠める。
「この神剣を使う時が果たしてくるのだろうか」
かつてスサノオノミコト(素戔嗚尊)が退治した怪物ヤマタノオロチ(八岐大蛇)の尾から見出したと伝わる神剣・・・・・・スサノオノミコト(素戔嗚尊)が持っていた十拳剣(とつかのけん)は天叢雲剣に当たってその刃を欠けさせてしまったと伝わるが、それだけではなく、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)の尾から雲を呼び起こさせる神気を備えていたともいう伝説の剣である。
それでもすべては伝説でしかない。
本当は如何なる力を持つ神剣なのか、ヨモロヅミコト(世毛呂須命)にとっても未知であった。
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