第5章 丹波道の戦い その2 戦端

一方のイサセリヒコ(五十狭芹彦)にしても、軍としての丹波へ侵入する経路が限られている以上は、いざ戦となればそこが重点的に防備を固められるであろうことは予測していた。

力押しに攻めても埒があかない、と熟慮の末にササモリヒコ(楽々森彦)とともに出した結論が出雲との同盟なのである。


大和の兵一千が播磨の領内に入ったとの報せをイサセリヒコ(五十狭芹彦)が伝えると、出雲国主ヨモロヅミコト(世毛呂須命)はそれに応じて自軍に出兵を命じた。

大和軍は播磨で既に出撃を準備している一千の兵と合流して、二千の兵で福知山に進む計画なのだ。


「急ぐことはございません。福知山で敵の主力と大和の軍勢が睨み合いになる頃に、丹波の勢力圏にゆるりと侵入できればよろしいのですから」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)はヨモロヅミコト(世毛呂須命)に説明をしてあった。


福知山から丹波に侵入した大和の主力軍を率いるのは、イサセリヒコ(五十狭芹彦)の弟のワカタケル(稚武彦)とミマキの大王の弟イマスの王(彦坐王)である。

王弟と播磨指揮官の弟という弟同士の組み合わせともいえた。


出雲軍と帯同するのはイサセリヒコ(五十狭芹彦)の手勢とササモリヒコ(楽々森彦)、それに加えてイマスの王(彦坐王)の息子タタスヒコの姿もあった。


播磨の指揮官を兄弟同士にはせず、イマスの王(彦坐王)とタタスヒコの親子同士にもしないというのは大王の意向であったが、その意味するところは、「相互監視をさせる」という裏切りへの警戒感なのだろうとイサセリヒコ(五十狭芹彦)は予想していた。「無理もない」と彼自身は納得しているのだ。

事実、親族の反乱により越への遠征が延期されてしまっているのだ。

このぐらいの備えは仕方のないことだ。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)が出雲軍と但馬で合流した頃、軍が出雲を発って七日目に弟のワカタケル(稚武彦)からの連絡が届いた。


福知山にて敵軍と遭遇するも戦端は開かれることなく、大和軍は山岳部に留まっているとのことであった。

つまりは陣を張っての両軍睨み合いである。


「予定通りに事は運んでいます」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)がヨモロヅミコト(世毛呂須命)に知らせると、彼は予てからの手はず通りに丹後半島の付け根に位置する峰山に兵を進めるように命じた。

丹後半島は若狭湾を西側から覆い被さるように突き出た半島である。

丹波からすると西の外れにあり、福知山の北側に当たる。


次にイサセリヒコ(五十狭芹彦)はタタスヒコに命じ、峰山から程近い磯砂山に物見の兵を登らせた。

そこで遠くから見ても分かるように多くの幟と旗を掲げさせたのだ。


これで福知山に構える丹波軍主力はその前後をほとんど挟まれたような格好になった。

なによりもそんな有りさまが青葉山からもよく見えるはずだった。


「これで始まりだ」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は磯砂山を眺めて呟いた。


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期待したとおりに、峰山に軍勢が陣取り、磯砂山に旗が揚がったのが青葉山からよく見えた。

クガ王はこの報せに接すると山塞から外に出てきて直にその様子を目にした。


意外のあまり、憤慨して声を荒げる。


「バカな!丹後半島に軍勢だと!大和の兵なのか!

一体そいつらがどこから湧いてきたというのだ」


「福知山の主力からだと三上山(現代の大江山)の影になって見えていないようです。このままだと気づかれないうちに退路を断たれる可能性があります」


「わしが全軍を率いて援護に出るから準備せよ。

出陣前に潔斎するので、待っておるように」


それだけ命じると、クガ王は自室に閉じこもる。


そこで呪文を唱えながら身体を揺すぶること三回、あっと驚く者は誰もいなかったが、煙のようにクガ王の姿は消えてしまった。


いや、そこには一羽の白い鷹の姿があった。

その鷹は窓から飛び立つと一気に空を舞い上り、そこから風に乗って丹後半島の方へと向かっていく。


丹後半島の付け根に位置する峰山の姿が見えて来るや、鷹は一気に急降下を始めた。


そこには見たこともないような数の兵が集結していた。


鉄製の剣に楯、それに鉄の鎧を皆が装備している。

クガ王が以前に見たことのある大和の兵とは明らかに違っていた。

大和の兵は青銅製の武器を備えた兵の方が多いのだ。


「これは出雲の兵だな」と鷹に姿を変えたクガ王は悟った。


大和と出雲の二方面から攻められてしまっては、勝機は望めない。

クガ王が援護に千名程度の兵を率いて出撃しても、その効果はたかが知れている。


だというのに鷹に化けたクガ王はほくそ笑む、「わが法術の恐ろしさを知らしめてやろうではないか」と。


鷹は上昇気流に乗って再び高度を上げると、そこから一気に青葉山の自室まで空を突っ切った。

それからクガ王の姿に戻ると、何食わぬ顔で自室から出る。


「今しも潔斎をしておると、太上老君(老子のこと。道教においては神格化された仙人)がお姿を現しになった。老君は『峰山を占拠するのは出雲の兵達。クガ王自ら戦場に姿を現せば、剣を交えるまでもなく引き下がるであろう』とお告げになられた。

わしは自ら全軍を率いて進み出で、峰山の出雲軍を退却させたなら、そのまま福知山に構える大和軍を打ち破ることに決めた」


見習い道士達は太上老君が現れたと聞き、一斉に平伏していた。


「お前達はここで我が軍が勝利する様をとくと見ておれ」とクガ王は道士達の間を悠然と進み、集められた兵の元に赴く。

慌ただしく出陣の儀が執り行われ、見習い道士達は命ぜられるままにクガ王とその兵が出撃していくのを見送ることとなった。


後に残された道士や見習い達が好き勝手に戦の成り行きを予想し始める。

そんな中で、「敵からの包囲を解き各個に敵を打ち破るという戦法は理にかなっている」「クガ王の戦理に通じること孫子に劣らない」という賞賛の声が上がる。

そうなると次々にその意見に賛同する言葉が続くようになる。


「これはクガ王の大勝利間違いない」と誰もが確信するのだった。


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峰山に陣取る出雲軍からは丹波軍の行動をよく見る事が出来る。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)とササモリヒコ(楽々森彦)は予定通りに事が運んでいるのを確認する。


峰山・青葉山・福知山、それぞれが正三角形のように約十里の距離で離れており、行軍としては一日以上、通常であれば二日の行軍距離の関係にある。


峰山から二里弱の距離にある磯砂山にしても十分な高さがあり、天気さえ良ければ見晴らしは三十里近くにもなる。

妖術に頼らずとも晴れてさえいればお互いの動きは手に取るように見えるのだ。

ただし、福知山辺りの動きは、峰山からだと三上山がそびえ立つため目で見て掴むことはできない。


丹波の兵・約千名が青葉山より行軍を始めた情報は、直ぐにヨモロヅミコト(世毛呂須命)にもたらされた。


「イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿の見立てた通りじゃ。

数からすると、クガ王は全軍を率いて福知山の味方を救うために出陣したようじゃな」


ヨモロズミコト(世毛呂須命)の発言にイサセリヒコ(五十狭芹彦)が応ずる。


「ならば、指揮するのは間違いなくクガ王でしょう。予定通りです。

あらかじめお願いしていたとおりの兵をお借りしますぞ。

ここから先はお互いに連絡の取りようがございません。各自で臨機応変、最善を尽くすほかありません」


「せっかく用意した天叢雲剣は持って行かぬのか?」


「ヨモロヅミコト(世毛呂須命)様、それを使うのはおそらくはこちら、この場所になりましょう。

全軍を率いて討って出てくるとなれば指揮官はクガ王にほぼ間違いありません。

無謀とも思える出撃は、ここぞとばかりに妖術を使ってくる決意の表れ。

奴はどんなことをしてでも出雲の兵を追っ払うつもりでしょう。

くれぐれもクガ王の幻術に惑わされて我らをお見捨てになりませんようにお願い申し上げますぞ」


「そうか、ここでわしが素戔嗚尊(すさのおのみこと)より伝えられし神剣を使うことになるとは・・・・・

イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿、安心されよ。この出雲の国主ともあろう者が、仲間を見捨てるようなことはせぬ。

まして、イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿とは息子のイリネが同行するのじゃ。どうして息子を見捨てるなどということがあろうか。

例え火が雨の如く降りかかろうとも、石がつぶてとなって我らに降り注ごうとも、――いや、いかなる術を使って敵が攻撃してこようとも、我らはここに留まり戦い続けよう」


「心強きお言葉、ありがたく頂戴いたしまする」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は心より感謝を込めて頭を下げた。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)は国主の元から退き、かねてよりの作戦に出かける前にタタスヒコを呼び寄せた。


「良いか。わしがいない間は、おまえがわしの代わりということだ。大和を代表してこの出雲の軍にいることになる。わしの代わりということになれば、出雲の兵からは大王の代わりとも見られることを意味する。

そのことを肝に銘じておくのだぞ。

戦いになれば恐ろしいものを目にすることになるだろう。それは普段の見慣れたものとはかけ離れ、常識に収まらぬものであるかも知れん。だが大王の名代としてみだりに驚いたり、恐れたりしてはならぬぞ。

何かに迷ったり、困ったりするようなことがあったなら、遠慮なくササモリヒコ(楽々森彦)に相談するのだ。あいつは播磨一の知恵者だし、このイサセリヒコ(五十狭芹彦)の知恵袋でもある。その彼がわしとは同行せず、タタスヒコ様と共に出雲軍の陣中に残るのだ。頼りにせよ。

天つ国の神がお守り下さるであろう。いつ如何なる時も毅然としているのだぞ」

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