第5章 丹波道の戦い その1 クガ王の作戦

クガ王の本拠は若狭湾を東部から臨む山、青葉山にあった(現代の福井県と京都府の県境)。

その勢力圏は丹波高地から若狭湾に面する範囲であり、主に若狭湾の西側である。

クガ王は自分の勢力圏を東から見下ろして悦に入るために青葉山を本拠としているのではなく、更に自らの版図を若狭湾沿いに東側へと伸長しようという野心を抱いていたのだ。


だが、いまこうしてクガ王が自分の王国を大和から防衛しようと考えてみると、拠点の偏在は決して悪いことではないと思えてくる。

自分が大和の勢力圏から丹波を武力侵攻するならば――そういう目でクガ王は自分の領内の地図を睨む。


この地を大和の勢力圏から攻め込むならば――順当に考えれば播磨から北上して福知山盆地に出る道筋が大軍を動かしやすいだろう。

近江路を北上する道もあるが、その場合には丹波へ入るまでに他の勢力圏(越前~若狭地域、現代の福井県西部)を三~四日も進まなくてはならない。

それは兵站を考慮すれば無謀な作戦であろう。


クガ王は近江からの攻撃に備える軍を配置するのは不要と判断する。

そうすれば動員を掛けた兵のほとんどを播磨から福知山盆地へと向かってくる進路に集中できるからでもある。


大和の軍を福知山盆地に出てこれぬように足止めしてしまえば、あとはクガ王に秘策がある。

道士見習いや親族以外には披露はしてこなかったが、その時こそは「我が法力で目にものを見せてやろう」と心に決めていた。


そんな決意とともに大昔に仕えていた師・管郝(かんかく)のことが脳裏に浮かぶ。

管郝は修業時代にクガ王を指導した仙人であった。

その師を思い出しながら懐から一枚の護符を取りだした。

それこそがクガ王の法力の源泉なのである。


長年に渡る修業の成果もあるにはあったが、自分の法力が隠し持ったるこの護符に多くを依存していることは百も承知である。


管郝本人からは「魏(三国時代の最有力国家)の曹操(魏の高祖・魏王)に頼まれて、雨を降らせ、その病を治療もしたが、合理主義者の彼からは却って恨まれた。以来、山野で雌伏の上、隠遁生活を送りながら幾星霜、遂に法力の根源を宿らせることに成功したのがこの護符である。修業の成果を上げた者なれば、この護符に封じられた力を解放して多くの術を使いこなせるであろう」と説明してくれた。

管郝としては長い修業でも僅かな成果しか上げられぬ弟子に、更なる長く辛い修練への覚悟を高めるべく、術を使える素晴らしい感覚を先取らせようという親心のつもりであった。


確かにクガ王は、数十年の修業を続けてきたというのに、催眠術や占いに毛が生えた程度のことしかできず、全てが無駄ではないかと気分を腐していたしていた。

だが、いったん護符を身に着けたならば、師・管郝以外では到底無理と考えてきた神通力の数々が使いこなせてしまうのだ。


この護符を手にした時から正しくクガ王は生まれ変わった。

いかに努力しても到達できそうになかった高みに、護符を使えばやすやすと立つことができる。

中でも変化術と幻術は途方もない威力を発揮することをクガ王は認識する。


力を振るえば多くの人間をいともたやすく動かすことができ、富も栄誉も思いのままではないか。

ただ一つの邪魔物は護符がなくても更なる力を操れる師・管郝であった。


管郝の力を間近でみてきたクガ王には自分が護符を使って発揮できる力も、師の前では子供だましみたいなものであることは分かっていた。

その彼の許しがなければ、護符の力を思うままに扱うことはできないであろう・・・・・・・


師の凄さを知れば知るほど、護符を使ってもここまでの自分では、あの高みに触れるためにどれほどの辛い修業が必要か――想像するだけで目がくらむ。


そんな辛さを味わわなくても、護符さえあれば現世の望みは思いのままではないか。

たとえ、この力を使っても管郝を消し去ることは不可能である――となれば自分が管郝の元を去り、遙か遠くで思う存分力を利用してやろう。

そういう結論を導き出すのにそれほど多くの時間は要らなかった・・・・・・・


こうした経緯でクガ王は仙人の元を出奔し、楽浪郡を経て倭国まで逃げてきたと言う訳である。

護符がなければ、クガ王であっても見習い道士に毛が生えた程度の力しかない。

占いの的中率が上がったり、読心術が勝ったり、という具合である。

そんなことで親族や見習い道士がクガ王を尊敬し畏れ敬うことなどありはしない。

そんなことは分かりきっていた。

だからこそ、そのことは秘中の秘なのである。


クガ王の道士見習いへの指導や、丹波に対する施政が苛烈なのは、その秘密のせいであったかも知れない。

護符が一つ切りである以上、いくらクガ王の下で修業しても仙術など身に付くはずもない。

そのことは彼自身が誰よりも承知している。


それを見抜かれないためにこそ、周囲の者はいうに及ばず、丹波中の人間を恐れさせ、疑いを抱かせてはならない。


こうして誰からも恐れられる支配者としての自分が存在するのだ。


ただ、こうして実戦が差し迫ったものになってくると、今度は主力軍を委ねられる人間が必要になる。

恐怖だけで配下の人間を抑え込んできた支配者には、そんな信用のおける部下などいなかった。


福知山に差し向ける主力をいざという時まで任せられるような信頼の置ける人間はいない。

クガ王が自分以外の人間を評価するときに使う物差しは損得勘定であり、常に強い猜疑心を向けて相手を観察している。

自分が指揮のために青葉山を留守にすれば、その座を乗っ取ろうとするものが出てくるやも知れない。

自分は青葉山の本拠で裏切り者がいないかに目を光らせていなければならない。


それでもクガ王には指揮官にする人物に心当たりがあった。


それはクガ王の親族で、道士でもあるリョウという男だった。

この男が特に優秀とか、戦に馴れているという訳ではない。

もしもそうだったらクガ王は猜疑の目を向けたであろう。

この男が見習いではなく、道士の称号を得ているのは親族だからに過ぎず、当然なにかの術を会得している訳でもない。

クガ王がリョウを評価するのは、クガ王から言われたことをそのままやるだけで、それ以上はしない、というよりも思いつきもしないという凡庸すぎるところであった。

主力軍を預ける以上は、なにかを思いついて勝手なことをされては困るのだ。

命令されもしないのに好機到来とばかりに攻撃を仕掛けて負けてしまったり、或いは負けた結果、降伏してしまったりされてはクガ王の戦略がぶち壊しになる。

ましてや、敵に懐柔されて裏切って叛逆を起こされたら戦どころではなくなる。

その点ではリョウはまったく心配が要らない。


クガ王が命令すれば、全滅するまで攻撃を号令し続けるだろうし、待機しろと命じれば飢え死にするまで動かずにいるだろう。

それぐらい無能で愚直な男であった。

そんな男ででもなければとても主力軍を任せられない、というのがクガ王の本音である。


彼にも自らの暴虐と圧政による支配が、決して住民を心服させているのではないということを理解するぐらいの才覚はあった。

他の見習い道士達も底流には同じものが存在していた。

法力を授けてやるという約束に、どんな無理難題も受け容れているに過ぎない。


かつての自分もそうだったではないか。


そんな自分の心理の真底には、尊崇や敬慕されたりする裏付けとなるものがない自覚があるからなのだが、そこまでの意識は及ばなかった。


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「大和が丹波攻略の軍を徴発した」との報せに接し、クガ王も軍を動員した。

その数およそ二千人。

その内の千人からなる主力軍を播磨から福知山盆地への通り道に差し向ける。

道士リョウは命令された通りに播磨から福知山盆地への出口の前面に丹波軍主力の陣を敷いた。


大和に比べれば丹波が徴発できる兵の数は少ない。


しかし大和の軍がいくら大軍であっても、隘路から出てくるときは少数ずつしか出てこられない。

軍が福知山盆地におりてきたところを順次攻撃していけば少数であっても敵を撃退できるであろう。


苦戦するようなら奥の手がある。


残りの千名は青葉山周辺部で待機する。

もしも山城から鞍馬山や丹波山地を別働隊が抜けて青葉山を叩こうとしたり、近江から若狭国を経て攻勢をかけたりした時の備えである。

たとえ不意打ちであっても地形が有利に戦いを進めさせてくれるはずであった。


ここで大和を撃退した暁には、再び大和政権内部の不満分子を焚きつけてやろう――そうクガ王は企んでいた。

前回は大和側の迅速な対応で成功しなかったが、内と外の両面からの攻撃に会えば、今度こそは大和政権も瓦解することであろう。

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