第4章 丹波のクガ王 その4 盟約

「何もしなければ、再び大和の中での反乱を画策したり、丹波側から大和を侵略したりするかも知れないという危惧がございます」


「危惧は現実とは限らない」


「治水工事も現実には起こっていない水害を防ぐために行うではありませんか」


「治水は、水害を防ぐだけではなく、灌漑に役立てることも出来る。直接的に住民に恩恵を与えているとも言える」


「大和の治政も直接的に住民に恩恵を与えております」


「それは誠か」


「その証が先ほどの献上品にございます」


「なるほど、五穀豊穣は大和の住民が恩恵を受けている証であるかも知れない。

だがな、丹波を攻め取ることが大儀のあることなのかどうか。ただ、大和の大王の野心に協力するために出雲の住民を戦に駆り出し、その命を危うくすることに大儀があるのかどうか」


「確かに大王には大和の勢力範囲を将来にわたり安定して発展させたいという希望がありましょう。ただそれだけであれば、このイサセリヒコ(五十狭芹彦)自ら出雲の遠方にまでわざわざ足を運んだりはいたしません。

私の願いは、この大八洲に住む人々全てが、この地に生まれたことを喜ばしきことだったと感じられるようにしたいということです。五穀豊穣の喜びを遍く葦原中津国で分かち合えるようにしたいのです。

実のところ、つい数年前までは播磨の地の民を安寧に導くことが生涯の務めと考えていました。ですが僅かな火であっても、野火の如く燃えさかり、まかり間違えば大火、山火事と言った大厄災になりかねないことをこの年になって学び直しました。

丹波のクガ王は災いの元です。彼の道士国家の建設という野心は、丹波の住民を苦しめているのです。

大王が大和の安定を図りたいという意向と、クガ王に代わって丹波を大和の勢力圏にするという望みは、結果的に民に天地の恩恵を受けられるようにするという目的に合致するのではありませんか」


「仮に、丹波が善政を敷いていたなら、大和は兵を差し向けたりしなかったと言えるのか」


「それは分かりませんが、私が自ら出雲に来ることはなかったでしょう」


「あなたは正直なのかも知れぬ。

しかも、確かな考えをお持ちのようだ。ならば、出雲の力を借りなくても、丹波を攻め取るくらいは、大和単独の力を持ってしても可能とは思いませぬかな」


「クガ王は法力に優れ、怪しげな術を使うとのことでございます。

その術に惑わされ、多くの兵の命が失われることのないように、素戔嗚尊が八岐大蛇の尾より見出したる神剣『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』をお貸し願いとうございます。聞くところによると、全ての邪法を打ち破る力が備わっているとか。

ただでさえ苦しい戦いになるであろうところに、異教に呪術で惑わされてはまともな戦になろうはずもございません。是非ともよしなに」


出雲の国主は「天叢雲剣」の言葉にカッと目を見開いた。

それまでどことなく、イサセリヒコ(五十狭芹彦)が何を言っても、まともに取り合いたくない態度が見え隠れしていたのだ。


「簡単に言われるが、『天叢雲剣』を貸すと言うことが、何を意味するかお分かりですかな。いや、イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿なら十分承知なはず」


イサセリヒコ(五十狭芹彦)は黙って頭を下げた。


「イリネ、どう思う。

天叢雲剣を貸すということは、出雲が共同で丹波攻めをするという意味になる。更に言えば、天叢雲剣だけをやすやすと貸し出す訳には参らぬ。

天叢雲剣と共に我らはある。つまりは出雲の軍も参陣するという意味だ」


「父上、しかしながら、葦原中津国にとって大和の丹波攻めには大儀があります。邪教による圧政に苦しむ民を解放するという大儀がございます。

ここで大和が敗北するようなことがあれば、次は出雲にも脅威が及ぶやも知れません。

私は大和との協力に賛成です」


息子の言葉に頷きながらも、出雲の国主は瞑目した。

その胸中はイサセリヒコ(五十狭芹彦)に推し量りようもなかった。

後日、そのことを思い知らされることになろうとは・・・・・・・・


ややあって、出雲国主ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は目を見開き、重々しく口を開いた。


「ただし、戦が長引くようであったら、協力関係を維持し続けられるかどうかは約束できぬぞ」


イサセリヒコ(五十狭芹彦)は安堵して言った。


「出雲と共同で戦えるのならば、戦は短期間で終わりましょう。それだけ被害も少なくて済むと言うことです」


盟約が成ったことに気を取られるあまり、イサセリヒコ(五十狭芹彦)がヨモロヅミコト(世毛呂須命)の長い瞑目の意味を推し測ろうとは思わなかった。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)が説明する丹波攻略の作戦はササモリヒコ(楽々森彦)が献策したものであった。

巧妙ではあるが、別々の場所にいる部隊がある程度の見込みや想定の下に行動を進めていかなければならない。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)と出雲の兵こそが作戦の要であった。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)が率いる部隊と出雲の兵の行動とが時機を合わせることこそが、丹波攻略の肝心なのである。


天険の要塞とも言える丹波地域を山城(現代の京都)側から攻めるのは難しい。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)はその配下の者を但馬から更に若狭湾周辺や丹波国内に潜伏させ、丹波の支配者・クガ王に関する情報を探りながら、出雲の出兵を待つことにする。

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