第4章 丹波のクガ王 その3 出雲入り

さらさらとそよ風に髪を揺らしながら熱心に作業を続けるその少女こそがアカキミである。

出会った頃は、山の暮らしや獣の話をすると目を輝かせて聞き入ってくれた少女である。

太郎も仲間達との遊びが一段落すると、イサセリヒコ(五十狭芹彦)の屋敷に上がり込み、アカキミに新しい冒険談を聞かせてやろうと意気込んだものだった。


今も相変わらず真っ赤な頬を輝かせているが、その立ち居振る舞いはいつの間にか落ち着いたところを見せるようになり、その女らしさに太郎はなぜかドギマギすることがある。


昔は太郎の話に玉のような笑い声を響かせ、「もっと話して」とせがんだりしたものだが、いつからか面白い話をしてやってもとり澄ましたままでいるようになってきた。

そうなってくると太郎にしても「女に聞かせる話なんかない」と強がって、イサセリヒコ(五十狭芹彦)に招かれなければ屋敷に足を向けなくなってしまったのだ。


そのせいで、こうして久しぶりに見るアカキミの姿は懐かしくあり、同時に新鮮でもあった。

誰かと話して聞こえてきた彼女の笑い声に、太郎はドキリとした。

胸が高鳴るとでもいうのだろうか。

それでも山で猪や熊と出くわして、「こりゃ絶好の獲物だ」と期待に胸を高鳴らせるのとは大分違う。

こんなに落ち着かない気分になったことはない。


太郎はおもむろに立ち上がり、ゆっくりと彼女の方に歩み出す。


「あら」と彼女は太郎に気がついた。


そこで太郎は立ち止まる。

自分は何をしに来たのか、と後悔にも似た気持ちが胸中に湧き上がる。


「久しぶりじゃない。なんで顔を出してくれないの」


彼女の屈託のない笑顔が太郎にはまぶしい。


「大変そうだな」と彼女の言葉を無視して太郎は言った。


「お父様が、お仕事で出雲に行くのだけれど、長いお留守をなさるみたいなの。だからこうしてみんなで病除けや傷の治りをよくする薬草を摘んでいるのよ」


太郎の知っている話ではあったが「そうなのか」と返事をした。

それだけ口にしてしまうともう太郎には次にいうべき言葉が出てこない。

自分がそこにとどまり、あーちゃんと顔を合わせている理由が思いつかない。

太郎は身体の向きを変えると山の方へ歩き出した。


「太郎、どうしたの」


「女の薬草摘みになんか付き合っていられない。またな」と目を合わせないままで手を振って、山の中へと入っていく。


「また、いつもの調子ね」などと不満げな彼女の声が伝わってくる。


一人になって山の中を歩きながら、今度こそ太郎は本当に悔いていた。


彼女に別れの挨拶ができなかった。

次に会えるのがいつになるか分からないのに。


いや、彼女が大人になってしまえば、もうこれまでのように気安く会いにいったり、顔を合わせたり、話をすることもできなくなってしまうというのに。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


こうした子どもたちの心情とは関係なく時は過ぎゆき、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は部下を引き連れて出雲入りした。


事前にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は部下に説明しておいた。


出雲では統治者は国主(くにぬし)と称し、大きな権威を持って出雲の地を治めていること。

先祖神は大国主神(おおくにぬしのみこと)とかオオアナムヂとか呼ばれているが、天照大御神の兄弟神であるところの素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫であると伝えられている、ということなどを。


到着早々にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は国主のヨモロヅミコト(世毛呂須命)に目通りを許され、そのまま謁見の間に案内された。

待つことしばし、ヨモロズミコト(世毛呂須命)が入ってくると一同は深々と頭を下げた。


その様子にヨモロヅミコト(世毛呂須命)は「長旅の後であろう、かしこまらずに楽にされよ」と言い渡してきた。

その言葉にイサセリヒコ(五十狭芹彦)が頭を上げようとするかしないかのうちにさらに続けてくる。


「これは祝着至極に存ず。

大和から王族がこうして出雲までおいでになるとは珍しい。

噂によると大和では内乱があったとか。しかも首謀者は王族の一員であったと伝わってきた。戦によって乱は収められたらしいが、人心はそれで落ち着いたのかのう」


「大和は既に大王のもとに人心一にし、田畑は五穀豊穣にあります」


その返事にヨモロヅミコト(世毛呂須命)は安堵したようであった。


「それは祝着。

民豊かなれば、人心乱れるところを知らず」


「仰せの通りにございます」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は答えると部下に合図する。

その合図で部下たちが外に置いてあった献上品を運び入れだした。

米はいうに及ばず干物や毛皮など大王からの献上品を次々と並べ、大和の豊かさの証を見せつけたのだ。


国主はそうした品々に目を通すと満足げな表情を浮かべ、イサセリヒコ(五十狭芹彦)と目を合わせる。


「出雲と大和は祖先神を兄弟とし、遠く離れていても誼を通じておる。まことに良きかな、良きかな」と国主は口にする。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)はもう一度頭を下げ、「ありがたき御言葉にございます」と答えた。


その姿に国主は「いちいち、そのような堅苦しい口上は抜きにいたそう。楽に思うところを申せ」と、改めて言ってきた。

その表情はにこやかであったが、眼光は鋭い。


そこでイサセリヒコ(五十狭芹彦)は「大王より国主へ内々にご相談申し上げたいことがございます」と述べた。


それを聞くとヨモロズミコト(世毛呂須命)は息子のイリネだけを残し、他の者には下がるように合図する。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)もササモリヒコ(楽々森彦)以外の者を下がらせた。


四人だけになるとヨモロズミコト(世毛呂須命)からもっと近くに寄るようにと命じられる。

言われるままにイサセリヒコ(五十狭芹彦)とササモリヒコ(楽々森彦)は座ったままで二人に近寄った。


距離が詰められるや、さっそく国主は口を開いてくる。


「さて、イサセリヒコ(五十狭芹彦)殿が直々にこうしてお目見えしたのは、大和の大王からの如何なる依頼によるのだ」


「丹波の事でございます」


「さて、丹波はカサという一族の領域じゃな。

異国の神の統べる地という話だけは聞いておる。なにぶんこの出雲とは付き合いがござらぬから、詳しいことは分かりかねる。

カサ氏が丹波で武張るようになってより、出雲にとっては越が遠くになったわい」


「丹波ではクガ王の圧政により、住民は虐げられています。

選ばれた数十人の道士達と笠氏一族のためにだけ生かされているようなものです。このような民への仕打ちは祖先の神々もお喜びにはならないでしょう。

更には山城のタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)を唆し、反乱を起こさせたのもクガ王と判明しております」


ヨモロヅミコト(世毛呂須命)は意外そうな顔を浮かべる。


「要らぬ騒乱の元凶ということじゃな」


「他ならぬ国主に我らがお頼み申し上げたいのは、大和の丹波攻めにお力をお貸し願えないかというものです」


「大和は強兵と聞く。出雲の力なんぞ要るかな。

そもそも、そのような戦に駆り出される大和の住民こそ圧政に苦しんでいるのかも知れない」

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