第4章 丹波のクガ王 その2 太郎の挨拶

「出雲の力を借りましょう」


日を改めるとイサセリヒコ(五十狭芹彦)はミマキの大王に提案した。


その意見に大王は少し驚いたようであった。


「我が方から丹波を攻略しようとすれば、播磨から北上して但馬より福知山を抜け出るか、琵琶湖西岸から若狭方面に抜けていくしかないでしょうな。どちらも軍勢を通すとなれば狭隘な道を進ませることになります。敵に準備されれば、守備側が圧倒的に有利な地形ということです。

つまりは勝てたとしても大変な被害を出すことになるでしょう。だからこそ普通に戦を仕掛けたくないのです」


戦術的な駆け引きを大王に理解してもらえるのか、イサセリヒコ(五十狭芹彦)には気がかりであった。

その不安が的中したかのように大王は納得できないと首を振る。


「クガ王は丹波の住民達を恐怖によって支配していると聞く。ならば、我が軍が向かえば、住民はこぞってクガ王に反旗を翻し、たやすく攻略できるのではないか」


「大王、住民がクガ王に従わなくなるのは、彼の敗北が明らかになってからのことですぞ。彼が勝利して、我が方が引き下がるようなことになれば、我々に協力した者は罰を受けることは自明。そのような危険を住民達が冒すはずはありません。

そのようなことが期待できるのは我が方の勝利が確定してからなのです」


大王はイサセリヒコ(五十狭芹彦)の言葉に懐疑的に見えた。


なにしろ大王の思い描いていた戦略では、丹波攻略は将来の出雲への対抗策のはずだった。

もっと言えば、大王の弟を遠征に向かわせることでオオヒコ(大彦)などの親族が北陸や東海地方へ遠征に向かわされる不満を黙らせる狙いがあったのだ。


だが既にそのような思惑とは全く異なった筋道で丹波攻略を考えなければならない段階に来ている。

その点を大王に納得してもらわなければならない。


出雲への牽制などという当初とは全く違った思想で戦略を捉えなおさなければならないのがイサセリヒコ(五十狭芹彦)の提案なのである。


もっとも大王は、そんなこと以上に自分と大和の民との関係に不安を抱いていたのかも知れない。

大和の民は大王を慕ってくれているのか、という具合に・・・・・・・


「難しいものだのう」と大王はため息をついた。

「それに、こちらから呼びかけたからとて、出雲が我らの願い通りに動いてくれるかも分からないではないか」


日本海側に面する出雲は大陸との交易が昔から盛んな地域にある。

知識や技術・文化の面から考えればむしろ大和や丹波よりも新進の気風に溢れ、豊かな国なのである。


大和と出雲が友好関係にあるのは、大和にとって幸いなことなのだ。


実際に出雲の勢いは自国の周辺のみならず、越などといった日本海沿岸の勢力圏にも影響を及ぼすようになっており、放っておけば日本海沿岸部を全て傘下に収めそうな勢いであった。

ただし、近年は丹波が笠氏の支配圏として両地域の交流を妨げるようになり、その勢いはいつの間にか下火である。

だからこそミマキの大王が越(北陸)への遠征を構想できるともいえよう。


状勢によっては日本海側の覇者ともなりうる大国が出雲なのである。


そのような大国が果たして大和のために軍を差し向けてくれるものであろうか。


大和の成功が将来の出雲発展の障害となると予測されれば大和に協力するはずもない。

そんな虫の良い要請になど応じてくれるはずもない。


普通に考えればそうなるしかない。

そう結論づけられる前にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は自ら申し出る。


「大王、差し出がましいようですが、出雲との交渉は私めにお任せ願えませんか」


大王が目を見開き、意外そうな顔を向けてくる。


「叔父上からそのように申し出てくれるのはありがたい。叔父上の戦略はもっともらしく見えるが、それを理解して成功に導ける人物は本人以外にいないのではないかと考えていたところだ。

では全てを叔父上にお任せしましょう」


こうしてイサセリヒコ(五十狭芹彦)は叔父上の呼称を訂正することのないまま、出雲へ赴くことになる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


イサセリヒコ(五十狭芹彦)が播磨に戻って出雲行きの準備をしていると、太郎が挨拶に来ていると伝えられた。


「なにを改まって」と普段の振る舞いに似つかわしくない段取りに戸惑いながらも、太郎を招き入れる。


「太郎、どうした。わざわざ挨拶したいなどとは。おまえらしくないぞ」


太郎は年が明けて十歳になるという。

初めて会った頃よりも背が伸びたのは確かだが、まだまだあどけない顔をした少年である。


「イサセリヒコ(五十狭芹彦)様、おれも十歳になった。

これからは父と共に山で猟をして、おれたちの生業を立てていく手助けをするんだ。だから、これまでみたいに里の子らと遊んでいる暇はなくなる」


「もう十歳か。ちょっと前まで、泥だらけの犬ころみたいに仲間と遊んでいたのに、か。

おまえがいなくなると、寂しがる者も多いだろう。

みんなにも挨拶したのか」


「これからだ」


「お前がいなくなれば喧嘩の仲裁役もいなくなる。困ったことだな」


「そんなの心配要らねぇ。おれがいなくても、子供なんて仲直りするもんだ」


「タケヒコもお前がいなくなっては張り合いがなくなるのではないか」


「張り合うもなにも、あいつはおれに負けていないと信じているんだから、自分のことが分かっていないんだよな」


偉そうな物言いにイサセリヒコ(五十狭芹彦)は吹き出しそうになるが、真剣な太郎の顔を見て、なんとかこらえる。


タケヒコはあの後もこっぴどく太郎に相撲で負け続けているのをイサセリヒコ(五十狭芹彦)は知っている。

大概の者はタケヒコの身分を慮って手加減しているせいで、タケヒコはやや自信過剰になっているところがある。

太郎のように手心を加えることを知らない者が、幾度となく鼻っ柱を折ってやることは大事なことだとありがたく思っていた。


そんな感慨に耽りながら、ふと思い出して言い足した。


「あーちゃんも寂しく思うだろう」


そのイサセリヒコ(五十狭芹彦)の言葉に、初めて太郎が少し困った顔を浮かべる。


「仕方ねぇ。女には分からない男の勤めだからな」


「あーちゃんには挨拶していかないのか」


「女に下げる頭なんて持っていねぇよ」


「そんなことを言っていられるのも今のうちだぞ。

何年もすれば太郎も恋焦がれる女ができるであろう」


「そんなものおれには必要ない。あんな面倒くせえもののご機嫌なんて取るもんかよ」


昔は仲良しだったじゃないか、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は思いはしたものの、その件は口出ししないことにした。

ただ、太郎にはこう告げた。


「わしは大王の命により、出雲に出かけることになった。

その準備にと、あーちゃんは女官どもと薬草を摘みに野に出ておる。探せば直ぐに見つかるであろう。

太郎、達者に暮らせよ。

立派な獲物など仕留めたら見せに来い。毛皮なども持ってきてくれれば、お前たちの必要なものと交換してやろう。

機会があれば、里に顔を出せ。おまえの顔が見えないと、このイサセリヒコ(五十狭芹彦)も寂しいぞ」


思いがけない優しい言葉に太郎はぎくしゃくと感謝の言葉を述べる。

挨拶してもイサセリヒコ(五十狭芹彦)からいろいろと声を掛けられるとは想定していなかったのだ。


慌てふためいて邸を辞去した太郎は、そこら辺で遊んでいる仲間たちに簡単な挨拶を済ませる。

その中にタケヒコはいなかった。

もう十一歳になるタケヒコは童が集まって遊ぶような場面に顔出ししなくなって随分経っているのだ。

それに太郎はタケヒコに挨拶する必要性を感じていない。


仲間に挨拶を済ませた太郎が次に野原に出て行くと、女官達が薬草摘みをしているのが目に入った。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)が長い留守をするというので、万一の時のためにと薬草など集めているのである。


太郎はすぐ近くの草むらに腰を降ろし、彼女らがしていることをしばらく黙って見ていた。

根気の要る作業を良く続けられるものだなどと呆れていると、一人の若い女の子の姿に吸い寄せられるように目が止まった。

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