第4章 丹波のクガ王 その1 嵐の前

「笠ではなく賈氏だというのか」と大王はイサセリヒコ(五十狭芹彦)の報告に驚きの声を上げた。


「タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)の反乱が」収まってからの二年間、大王は国内の安定に努めるとともに、丹波(現代の京都府北部)についての情報収集をイサセリヒコ(五十狭芹彦)に命じていたのだ。


この日は、その報告のためにイサセリヒコ(五十狭芹彦)は磯城瑞籬宮を訪れたのである。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)にとっても久しぶりの大王との対面であった。

「タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)の反乱」は、ミマキの大王が思い描いた遠征計画を遅らせていた。

それでも足元を固めなければ遠征などできるはずがない。


反乱を鎮めてから二年が過ぎ、再び大和王朝は安定を取り戻しつつある。

ようやく丹波攻略の計画を具体的に立てられるようになったのだ。


イサセリヒコ(五十狭芹彦)は思い返さずにはいられない、大王に初めてお目通りを願った四年前のことを。

弟の息子をゆくゆくは自分の跡継ぎにしたいという願いの許しを請うためであった。


その後のタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)の反乱を鎮圧してからは大王の覚えめでたく、度々参内を求められるようになっていた。


姪孫(てっそん)であるミマキの大王からは「叔父上」と呼ばれたままであり、面映ゆいところがないでもなかったが、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は特に訂正するでもなく、そのまま呼ばせておいた。


この日は大王から命じられていた丹波の情報を報告するために参内していたのだ。


丹波の統治者は笠氏と伝わっていたが、イサセリヒコ(五十狭芹彦)の調べたところでは賈氏の名乗りが笠に転じたらしい。


「大陸で分裂した帝国を再統一した晋国。そこの皇帝の寵姫を出した一族に連なる血族を名乗っております」


大王はイサセリヒコ(五十狭芹彦)の言葉に自らの記憶をたどるように目を細める。


「確か三つに分裂した帝国を再統一したのは・・・・」


すかさずイサセリヒコ(五十狭芹彦)が答える。

「魏帝国でございますが、家臣の司馬一族に帝位を禅譲して『晋帝国』が誕生しました」


イサセリヒコ(五十狭芹彦)の返答に大王は愁眉を作る。


「禅譲とは聞こえが良いが、体のいい簒奪であろうな」


大王の問いかけにイサセリヒコ(五十狭芹彦)は声を出さずに頭を下げ、肯定の意を示した。


「賈一族であるのが本当かどうかは分かりませんが、賈氏を名乗ることで楽浪郡との交易で鉄器を得るのに優遇され、そのことで丹波での勢力を得たようでございます」


大王は黙って頷き、イサセリヒコ(五十狭芹彦)に報告の先を促してくる。


「賈一族の専横を帝国の災厄と受け止めた皇帝の縁者が次々と反乱を起こし、遂に賈一族は取り除かれましたが、晋帝国の力は衰退しつつあります。

ですが我が国にとっての問題は、賈一族が取り除かれたことにより、丹波は鉄器を獲得する手段を失い、笠氏の支配に陰りが見えてきたことでしょう。

現在の笠氏の頭目であり、道士でもあるクガ王は、自らが信じる道思想によって国を治めて勢力を拡大に転じるつもりのようです。これまでのやり方では賈氏との繋がりがなくなった以上は力が衰えていく一方だと気づいているのでしょう」


「そうすると南側の大和を内乱で混乱させておくというのは理に適っているということですか。その方策の一つがタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)の乱だったわけですね。

そうなると相手は権勢ばかりで愚かな支配者とは違うということになりますか」


大王の問い掛けにイサセリヒコ(五十狭芹彦)は考え込むようにしばし口を閉ざす。


「どうしました。私の意見と叔父上の考えが違いますか」


「確かにクガ王は愚かな統治者とは言えませんが、狂信者であるのは間違いないでしょう」


「ほう」と大王は興味深げに声を上げた。


「『道士の治める聖なる国を築く』というクガ王の掛け声で数十・数百の見習い道士が集まっています。連中は家族や知人から引き離され、クガ王の下で修業に明け暮れ、熱烈にクガ王を信奉するようになっています。

クガ王の言によれば、彼自身は数百年の修業の末に仙術を極め、消災滅禍の方策として易学・護符・変化術を使いこなせるとのこと。見習い道士どもは自らも永遠の命を得るために熱烈にクガ王をあがめ奉り、絶対服従を誓っているのです。

クガ王のそばに仕える見習い道士どもはいつしか自分達も選ばれし者であると信じ込むようになり、丹波の住民を衆愚と蔑むようになりつつあります。そんな取り巻きの中にあるクガ王は徐々に冷静に物事を判断する目を失い、丹波の住民を統治する身であることを忘れ、取り巻きの支持を高めることに狂奔するようになってきました。

そう、彼は民を抑え込み、無理な命令を乱発する暴君になりつつあります」


大王は大きく溜め息をついた。


「絶対的な統治者の陥りやすい罠だ。

この私もそんな陥穽に嵌まりかけることがあるやも知れぬ。

叔父上、私が間違っていると感じたなら、遠慮なく伝えてくださいよ」


大王の実直な言葉にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は頭を下げたが、自分が大叔父であるとは訂正しなかった。


そのまま彼は報告を続ける。


「賈氏が排除されたことで笠氏は大陸から以前ほど鉄器を入手できなくなりました。

その結果、笠一族や道士見習いどもは自分達の裁量で鉄器を下賜する先を選別するようになります。鉄器を得るために暴君に耐えてきたというのに、それを与えられなかった時、彼らは怒りを覚えたはずです。

そうした中で支配者の命令に背き、従わない者も出ました。ですが、自分達を選良であると盲信する連中からすれば、一般の庶民からの反抗は権威を踏みにじる許しがたい行為に感じられたようで、只では済ませません。逆らった者は全ての耕地を取り上げられ、家族から引き離されて連れ去られ、クガ王の私領で働かされる奴隷となりました。

怨嗟の声は溢れ、笠一族や見習い道士どもは憎しみの対象となり、陰口を叩かれ、罵られ、嘲弄されています。だというのにクガ王は今もなお恐れられています。

変化(へんげ)の術によって、どこで悪口を言おうが、いつ聞き耳を立てられているのか分からない。見つかれば、恐ろしい刑罰が待つ」


「そのクガ王の神通力は本物なのですか」


「いくら調べさせても、そこのところははっきりしません。はっきりしないのは偽物だからかも知れませんが、戦う以上は本当である場合にも備えておいたほうがいいでしょう」


大王はイサセリヒコ(五十狭芹彦)の言葉に頷く。


「そこのところは叔父上に任せましょう。あなたを丹波遠征の最高責任者としましょう」


「はっ」と頭を下げながらイサセリヒコ(五十狭芹彦)は悪い予感が現実になったことに困惑していた。

「これは大変なことになったぞ」と。


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大和が越への遠征を計画していることは、どこからか丹波にも伝わっていた。


山城で不満を募らせる王族タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)を唆した結果が先の反乱であった。

おかげで大和の野心的な計画も、一旦は沙汰止みになったのである。


おかげでクガ王は幾ばくかの時間を稼ぐことができた。

だが、もうタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)はおらず、大和の計画を止める手立てはない。


そのうちに大和が攻め込んでくることになるとはクガ王には分かっていた。

だというのにタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)に謀反を起こさせてまで稼ぎ出したはずの時間はいたずらに過ぎ去っていた。

なにも有効な準備が進んでいないことにクガ王は愕然とする。


大和が戦準備を始めたという噂が流れてくると、特権階級に居座る笠一族や道士見習いどもは不安に怯え始める。

大和の方が兵数において勝っていることは明らかである。

まともに戦えば苦戦は免れない。


そんな彼らに対しクガ王は訓示する。


「修業半ばなる者であろうとも、我が煎じた仙丹の妙薬を口にすれば、その効力のある間は不死である。戦端が開かれれば無敵の兵として敵を蹴散らすことになるであろう」


このクガ王の言葉に彼らは熱狂し、勇気を奮い立たせる。


大陸との交易が不活発となったおかげで鉄製の武器は不足していたが、それでも一戦交えるとなれば不死身の兵が大和の兵を敗北せしむるはずであった。

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