第3章 嵐の前ぶれ その4 予言

同日の朝からオオヒコ(大彦)の軍とタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)の両軍は動きだしていた。

タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)が木津川北岸に兵を集め始めているという報告が届くと、オオヒコ(大彦)も先発の兵を木津川に派遣し、そのまま渡河は許さないという構えを示してみせる。


磯城瑞籬宮や逢坂での戦況は分からなかったが、このまま弊羅坂にて悠長にしている段階はとうに過ぎていた。

木津川北岸が反乱軍の兵で満ち溢れ出す前に、オオヒコ(大彦)もまた本隊を前進させ、木津川南岸に陣を構える。

こうして両軍は川を挟んでの睨み合いになった。


時間が経つにつれて、じわじわと戦機が満ちてくるのを両軍とも感じ取る。


オオヒコ(大彦)は「いつでも行け」と和迩のクニブク(国夫玖)に合図を送った。

それを見ると「頃合いは良し」とばかりに和迩のクニブク(国夫玖)は前へずいいと愛馬を進める。


だがそこで、こちらの機先を制するかのようにタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)が声を上げてきた。


「何しに来た!」


その声にクニブク(国夫玖)はカッと頭に血が上った。


「天道に背き、天孫に矢を向ける反逆者を召し捕りに参った!

これは大王の勅命である!」


この叫びに、タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)側の兵士に動揺が走るのが見て取れる。


「大王の勅命」の言葉の響きは、大和の諸兵には威力絶大であったのだ。


そんな敵の様子を見てクニブク(国夫玖)は冷静さを取り戻す。

正義は我らと共にある、と自信が体中にみなぎってくる。

その気勢のままに彼は大音声で言い放つ。


「タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)よ、自分に幾足りかでも天命があると思うのならば、そちらから忌矢(いわいや=合戦の始めに両軍が吉兆を念じて射交わす矢のこと)を放つが良い」


自軍に動揺が走り、士気が落ちるのを肌で感じ取っていたタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)からすれば、挽回の機会を与えられたようなもの。

オオヒコ(大彦)からすれば、なぜ敵に好機を恵むのかと訝しく思うところであった。

だが、この時のクニブク(国夫玖)には絶対の自信があった。

自分が望むとおりに物事は動いていくはずだと確信していた。


クニブク(国夫玖)の誘いにタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)は喜び勇んで矢を放つ。

だが、その矢は力なく川面に吸い込まれていった。


まさに思うがまま、とクニブク(国夫玖)はいっそう自信を深める。


「ならば、こちらから行くぞ」と叫ぶや、クニブク(国夫玖)はキリリと弓を引き絞り、自慢の剛弓から矢を放った。


矢は一直線に空気を切り裂き、紛うことなくタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)の胸に突き立った。

辺りに血しぶきが飛び散り、叫ぶ間もなくタケハニヤスヒコ(健波邇安彦)は落馬し、そばの者が駆け寄ったときには既にこと切れていた。


オオヒコ(大彦)はそれを見ると「まさに決戦の時ぞ」と雄叫びを上げ、全軍に渡河を命令し、一気に攻めかからせた。


大将を失って戦意喪失した敵軍は既に浮き足立っていたため、オオヒコ(大彦)軍が攻め込むと抵抗することなく一目散に逃げ出した。

オオヒコ(大彦)の軍勢はこれを追ってさらに攻め立てる。

敗残の兵達は逃げ場を求めて開けた低地へと向かっていき、東の平野部へと逃げ込んで行く。それをオオヒコ(大彦)の軍勢が追いつめる。

算を乱した兵には組織的な抵抗をする力は残っていない。

枚方の辺りで多くの兵が斬られ、屠られ、土地も川も血に染まるほどになった。


まさしく大王の軍隊の勝利であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


捕らえられていたアタ姫(吾田媛)は夫の死を知ると、半狂乱になって泣き叫んだ。


ややあって落ち着きを取り戻したかに見えたが、それでも誰かが近づこうものなら大声で怒鳴りかけてくる。


「恨むぞ、ミマキ!死んでも忘れないぞ!だがわらわは悔しくはない。なぜなら、これから恐ろしい厄災が大和にもたらされることを知っているのだから。わらわも夫も、今のうちに死んだことを羨ましがられることになろうぞ。

ミマキの血統が大和を治める限り、この運命は変えられぬぞ。わらわは死なんぞ恐れぬわ!生きている限り、大和を呪ってやる!

さぁ、殺せ。あの世であんたたちが来るのを待っていてやる!」


おおよそこんな調子で罵りとも呪詛とも取れる言葉が繰り返されていた。

何度も聞かされれば、誰しも閉口するようになる。


「腹が空いたぞ!ミマキはわらわを餓死させる気か

そんなにわらわが怖いのか!」


罵りに辟易としていた担当者たちは飯を与えて放っておくことにした。

食事を済ませた後のアタ姫(吾田媛)はいったん黙りこむが、人が近づこう者なら大声でわめきちらすため、誰も近づこうとはしない。


そんなアタ姫(吾田媛)のことを聞きつけて百襲姫が彼女に面会を求めてきた。

ミマキの大王はそれほど思案するでもなく、これを許した。


「大和に・・・・いいえ、この大八洲中に邪な力が勢いを増そうとしているらしいわね。

アタ姫(吾田媛)なら、そのことをご存じかと思ってこうして来ましたの」


努めて穏やかに百襲姫は挨拶をした。

それでもアタ姫(吾田媛)は怒鳴り返す。


「あんたたちは恐怖の中で滅びることになる」


「それは怖い。

私たち大王家が滅びる運命であるというのならそれも仕方ないけれど、戦になれば大八洲の民の多くが苦しむのですよ」


百襲姫の言葉にアタ姫(吾田媛)は可笑しくて堪らないというように笑い出した。


「呑気なことを言ってるねえ。

あんたたちが恐れる力は大王家のみならず、大八洲の人間をことごとく殺してしまおうという凄まじい力なんだよ。

私たちがどうのとか、民が苦しむだとか、聞き心地の良い言葉なんか問題にもなりやしない」


その激しい言葉に百襲姫は小さくため息をつく。

それから首をふりふり問いかけた。


「タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)は誰を当てにしていたの。大王を亡き者にした後、自分達だけで大八洲をどうにかしようと考えていた訳じゃないでしょう。

大和が混乱すれば、タケハニヤスヒコ(健波邇安彦)だけでは収拾のしようもなく、周囲の敵対勢力によって早晩滅ぼされてしまうのは目に見えているでしょう」


アタ姫(吾田媛)は高笑いをして、百襲姫をバカにしたように言い放った。


「あんたたちにそんな心配は要らぬ!

大和にはわらわが呪詛をかけておいた。もう、滅びるしかないであろう。

そうだ、最後に予言をしておいてやろう。わらわが死んだ後はまず北からの厄災が襲いかかるだろう。それであんたたちは滅びる。

たとえそこを運良く生き延びたとしても本当の厄災はその後やってくる。西からの魔としか言いようのない恐ろしい力が大八洲を覆い尽くす。だが、それですら、ほんの始まりに過ぎない。

その後、本当の恐怖が蘇り、大八洲は呪いの地に朽ち果て、遂には死の国となる。

見えるぞ!

わらわにはその姿が見えておる!」


穏やかな表情で聞いていた百襲姫であったが、その顔は徐々に青ざめ始めた。

彼女自身も血の気が引くような感じを恐怖のせいだけなのか判断しかねていた。


周囲が暗くなり始め、景色が遠くに離れていくような気がし始めだす。

全身の力が抜け、冷や汗がにじみだし、意識が遠のきそうになる。

どうにもならないほどのだるさで、自分の身体の存在が耐えられない。


百襲姫はなんとか立ち上がって部屋から出た。

そのままよろめくように足を進めながら、必死の思いで兄のイサセリヒコ(五十狭芹彦)がいる部屋までたどり着く。

崩れ落ちそうになりながらもどうにかイサセリヒコ(五十狭芹彦)の前に座り込んだ。

だが、そのまま座っていることもできず、「寒い、寒い」と繰り返し、近くにあった膝掛けを被さるようにしながら伏せてしまった。


気丈な百襲姫がこんなにもぐったりと横になってしまったことに、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は嫌な予感がしたので慌てて彼女を抱き起こす。


「どうしたのだ、百襲姫!」


百襲姫が力なく向けてくる蒼いというよりも土気色に近い顔にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は衝撃を受ける。

「誰か、薬師を呼べ」と叫ぶ彼にすがり付くようにしながら、百襲姫は消え入るような声であったが、鬼気迫る様子で、今聞いてきた話の内容をイサセリヒコ(五十狭芹彦)に伝えようとしてきた。

ただごとではない、と了解しつつも、そうであるからこそ、イサセリヒコ(五十狭芹彦)も彼女の言うことを聞き取っておかなくてはならないと悟る。

なんとかその内容を伝えきったと信じた百襲姫は、さらに絞り出すように兄へ思いを託そうとする。


「イサセリヒコ(五十狭芹彦)、イサセリヒコ(五十狭芹彦)、もはや私どもにはあなただけが頼りです。他に任せられる人はいません。

あなたが魔との戦いで応分な役割を果たさなければ大八洲に未来はありません。

既に大物主神からのお告げで、天地開闢以来の厄災が迫っていることは知っていました。ですが同時に、イサセリヒコ(五十狭芹彦)の行動如何によっては、厄災は遠ざかると知らされていました。

なのに、その方法が分からない。なんとかアタ姫(吾田媛)から聞き出したかった・・・・私の力が足りなかった・・・・・・

いえ、彼女も本当には知らないのでしょうよ・・・・・

私はこれで終わりのようです。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)よ、葦原中津国を、大八洲を、それに・・・・・そこに暮らす尊い命を、お願いしますよ」


「なにを言う。そなたは疲れただけであろう。一休みして元気を出せ!」


「いいえ、どうやらここでお別れのようです」


「ばかなことを!」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)が百襲姫を抱き起こそうとすると、膝掛けがはらりと落ちる。

その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは真っ赤な血の海ではないか。

百襲姫の下腹部から流れ落ちた真っ赤な血が血溜まりを作っていた。


服をめくると、百襲姫の下腹に細い棒が刺さっているではないか。

急いで抜いてみると、それは長い箸であった。


「いつの間に!」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は悲鳴のような呻き声を上げた。


薬師が呼ばれ、祈祷が始まるも、出血は止まらない。

血は勢いよく流れ落ち続け、見る見るうちに百襲姫の意識が混濁していく。


誰にもどうすることも出来ず、皆が見守る中で彼女は程なく事切れてしまった。


百襲姫の死を知ると大王は直ぐにアタ姫(吾田媛)の処刑を命じる。

アタ姫(吾田媛)はそれを恐れるでもなく、恨みの声を上げるのみであった。


「先に黄泉で待っておるぞ!」


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「百襲姫が言った北というのは丹波のことか」と大王が問う。


「そう思われますが、断定は出来ません」としかイサセリヒコ(五十狭芹彦)にも答えようがない。


丹波ではカサ氏という渡来一族がその地を支配している。

一族の長であるクガ王が大和と対抗するかのように大量の武器を大陸から調達しているというのは周知の事実であった。


交渉による和解が拒絶されて久しい。


「大王、もしも丹波と事を構えるにしましても、叔父上の反乱を収めたばかり。他の王族は動揺を来しているはずです。彼らの忠誠を確認しておく必要がございます。また、戦地になった山城や難波の人心の掌握も急務でございます。

大王としての寛容な対応が求められるところでございます」


「叔父上、わかり申した。諌言痛み入ります。

まつりごとを優先し、先ずは民の信頼に足る為政者となりましょう」


その後は、と口にこそ出さないが、イサセリヒコ(五十狭芹彦)にしても大王の気持ちと同様の思いであった。

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