第2章 大王(おおきみ) その2 遠征計画

急に自分への命令が告げられて、ワケノミコは身体をビクリと震わせたが、そんな息子以上に父であるオオヒコ(大彦)のほうが意外すぎる話に息を呑んでいた。

東戎は蛮族の地、蝦夷らが暮らす地ではないか、と。


「越は農地も開墾が進んでおり、出雲と同様に大陸から知識や技術がもたらされた地だが、東戎は未開の地・・・・・何の価値があるとお考えか」


「わが大和は、この大八洲を治めるように神々から命じられているのです。東戎に農耕や技術・知恵をもたらすのも我らの務めではありませんか。そんな建前の話だけではないとしても、もしも東戎に出雲なりの影響が及び、新たな勢力が生まれてしまえば、それは将来の大和への脅威ともなり得るのではないですか。

我らは先手を打っておかなくてはなりません。

大和が栄え、大八洲を遍く(あまねく)治め、そこで暮らす民に恩恵をもたらすのこそが神々の思し召しです。

オオヒコ(大彦)殿、ワケノミコ殿、大和より東を悉く大和の傘下に加えてほしい」


さすがのオオヒコ(大彦)も返事を渋った。

これでは親子共々、大和から追い出されるようなものではないか、という懸念が頭をかすめたのだ。

不在の間に大王家になにかあっても、オオヒコ(大彦)が大和にいないのであれば、彼の子どもらが即位する可能性はなくなる。

同時に次期大王に対する影響力を大きくするような工作もできないであろう。

そんなことを大王に訴えられるはずもないが、王族であれば考えずにはいられないことだった。


隣を盗み見ると、そこにいるワケノミコは父がよもやそんなことにまで頭を回しているとは思いもよらず、ただかしこまって身をすくめているだけである。

その姿を目にすると、この息子が大王に即位など無理な話か、と急に諦めが付いた。


「出雲が黙っているであろうか。

当然、我々の行動に対して妨害をして来るだろう。東国へ遠征している隙に、敵が大和に攻め入ってきたらどうされる。

兵力分散は愚の骨頂となるやも知れませぬぞ」


オオヒコ(大彦)の問い掛けにミマキの大王は僅かに表情を崩した。


「その御懸念には及びません。早急に手を打ちます。それによって叔父上のご心配は無用となるはずです」


「その手とは?」


「我が弟、イマスの王(彦坐王、いますのみこ)に丹波(現代の京都府日本海側から若狭湾にかけての地域)への遠征を命じます。

丹波での大和と出雲の勢力争いの隙に、越と出雲の連絡を絶ちきり、大和の勢力圏を大きく東へ広げてしまうのです。

我らは越や丹波から大陸の先進知識や技術、文物を取り入れ、出雲や熊襲と肩を並べる勢力になるのです。そうなれば、吉備を取り込むことも可能になりましょう。

ゆくゆくは出雲も熊襲も大和に併呑されることになるはずです」


オオヒコ(大彦)はあまりの話の大きさに驚くほかなかった。

これは誇大妄想か、それとも冷徹な戦略なのか・・・・・・


「土地を手に入れれば、即座に農地になる訳ではない」と、オオヒコ(大彦)は呟いた。


「叔父上、その通りです。耕地にするためには鉄製の農具が必要になります。それも大量に。

だからこそ、越を押さえなければならないし、丹波を傘下に取り込んで、大陸からも鉄を入手できるようにしなくてはなりません」


「戦(いくさ)ともなれば、せっかく入手した鉄も武器に使われることになる。

それでは本末転倒ではないか」


「叔父上、その点こそがこの計画の肝心要な部分です。おっしゃる通り、鉄を消費するのは極力さけたいところです。そうなると、できるだけ戦は避けなくてはならないということになります。

それに、武力と殺戮でその地に住む人々を支配しようとしても、それでは人心を得るのに時間が掛かりすぎます。

イサセリヒコ(五十狭芹彦)の叔父が播磨でやったように、交渉によって領地を獲得し、さらに大和の傘下に入ることを承諾させて欲しいのです。

天照大御神の威光と天壌無窮の神勅を遍く大八洲の地に知らしめるためです」


ここで大王が再び間を取った。

自分の言葉が叔父にどのように響いたかを見極めるかのようであった。


だがオオヒコ(大彦)は大王からの依頼があまりに突飛で難しいことに愕然としていた。

いや、いったん大王からされれば、それは依頼ではなく勅命となる・・・・・


その大王が静かに口を開く。


「農具は青銅製と鉄製では、全く性能が異なります。青銅器での耕作は、はかばかしい成果が上がりません。

武器としても耐久性には問題がありますが、青銅製でも武器ならば圧倒的に不利という訳ではありません。特に大陸製の青銅器は質の悪い玉鋼より寧ろ優れている場合さえあります。そもそも青銅の楯が鉄剣や鉄の鏃(やじり)に無力でもなければ、青銅の剣や矛が敵を斬れない訳でもありません。

しかも、青銅の武具には、鉄にない威厳があります。

磨き上げた青銅の武具をまとった兵を見せて、交渉するのです。戦が避けられないのならば、一旦は引き上げて、鉄の武器を持って戦いに赴くのが良いでしょう」


とんでもないことを言う、とオオヒコ(大彦)には感じられた。


逃げ帰るだけでも大変な損害を被るであろうに、装備を作り直して再度遠征に赴くなど不可能である。


丁寧な口調であるが、大王は戻ることなく任務を完遂するようにと命令しているのだ。


オオヒコ(大彦)は横目で息子を盗み見る。

果たしてワケノミコにはどこまで大王の命令の意味するところが分かっているであろうか、と。


果たしてワケノミコは、大王からの直々の命令に恐縮しながらも、自分が遠征軍の指揮官を任されることに心を躍らせていた。

父であるオオヒコ(大彦)には息子の心の内が手に取るように分かった。


交渉を旨くまとめながら現地で鉄製の武具を調達し、さらに越の奥まで進み行かなければならないのだ。

これは何年もかかる長征となるであろう。


「わしの年齢では出征すれば大和も見納めか」と思わず知らずため息が漏れる。

息子にも相応の覚悟をさせねば、と。

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