第2章 大王(おおきみ)その1 オオヒコとワケノミコ
イサセリヒコ(五十狭芹彦)が無事に大王との会合を済ませてしばらく経ってからのこと――つまりは播磨の地を統治するイサセリヒコ(五十狭芹彦)の後継者はタケヒコに決まった後のことである。
オオヒコ(大彦)とその息子ワケノミコが大王であるミマキイリビコイニエノミコト(御眞木入日子印恵命=ミマキの大王)から磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや=ミマキの大王が政務を執り行われた宮、現代の奈良県桜井市近辺にあったと考えられている)に呼び出された。
「大王、ご機嫌うるわしゅうございます」と、親子は大王の面前で深々と頭を下げる。
それに対し、ミマキの大王が挨拶もそこそこに人払いをするので、オオヒコ(大彦)は「おやおや」と思った。
どうやら大王から厄介な命令を言いつけられそうだ、と予想が付いたからである。
大王はその切れ長の目でオオヒコ(大彦)とワケノミコの親子を鋭く睨みつけてくる。
伏し目がちにではあったがその様子を窺うと、大王の面長な顔には皺の一つなく、髭もすっかりきれいに剃られていた。
そのせいだけではないだろうが外見からすると年齢は不詳であり、しかも表情の見えない顔つきからすると少しも心の内が窺い知れないのである。
その大王が穏やかな声で語りかけてきた。
「叔父上、堅苦しい挨拶は抜きです。形式ばった儀礼に則っているようでは、これから話そうと思う内容にいつまで経ってもたどり着けません」
大王の言葉に親子二人は顔を見合わせる。
これは難しい事案であると宣言したに等しい。
「カムヤマトイワレビコノミコト(神倭伊波礼毘古命=神武天皇)がこの大和の地に朝廷の礎をお築きになられてからいかほどの年月が経ったことでしょう。
これまでで大王家が統治すること十代に及び、盤石な勢力になったかに見えます。
出雲とは誼を通じていますし、播磨においては叔父のイサセリヒコ(五十狭芹彦)が吉備諸勢力と交渉の末に、その全領域を譲り受けました」
オオヒコ(大彦)は思わず片眉を上げ、大王の言葉を訝しく思った。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)はわしにとっての叔父のはず、と気がついたからである。
つまり、大王からすればイサセリヒコ(五十狭芹彦)は大叔父なのである。
とはいえ、オオヒコ(大彦)は敢えて異議を挟みはしなかった。
「ここに居る誰もイサセリヒコ(五十狭芹彦)に会ったことなどない」と考えたからだ。
「交渉により播磨を大和の勢力圏に譲り受けた」という伝説じみた話はオオヒコ(大彦)も耳にしたことはあったが、どういうことだか理解できなかった。
自分の父にそのことを尋ねてみたことはあったが、誰もその意味を知らないようであった。
だが、そんなオオヒコ(大彦)の困惑をよそに大王は言葉を続ける。
「もはや大和を脅かす勢力は周囲に存在しません。ならば大和の地は安住を約束された場所なのでしょうか。
確かに天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神勅を下されたように、永遠に栄えることを約束されているように安穏と構えていれば良いのかもしれません。神々から祝福された我らは大和の民とともに繁栄を続けられるのかもしれません。
ですが大八洲(おおやしま)の状況をよくよく眺めてみれば、このまま漫然としているだけでは、今の繁栄を続けていくのが危ういことが予測できます。
出雲は神代の時からその地を治め、大陸との交易も盛んであり、知識の点からも技術の面からも大八洲で最先端にある勢力です。それだけではありません。越の国(現在の北陸地方)にも強く影響力を及ぼしており、大八洲の沿岸部を抑えようかという大勢力でもあるのです。
大和に取って代わろうという野心を抱くことがあったら侮れない敵となるでしょう」
ここでミマキの大王は少し黙った。
オオヒコ(大彦)とワケノミコの親子には先刻承知な内容ではある。
だが、この大王の話がどこへ向かおうとしているのかは二人とも見当が付かない。
そんな二人の気持ちを見透かしているのか、大王は二人がいろいろと想像を巡らすだけの時間を空けると再び続けた。
「吉備もまた、小勢力が多く割拠しながら大した戦乱もなく安定した先進地域になっています。しかも、農耕技術だけではなく、砂鉄や砂岩を集めて玉鋼を作り出すことに秀でています。独自の踏鞴(たたら)を工夫し、鍛冶場が各所に点在しているそうです。そこで生み出された鉄によって鉄器は飛躍的に増えていくでしょう。
鉄製農具や鉄製武器の保有量が多いということは、吉備が将来的に生産力でも戦力でも侮れない地域になるだろうということです。
ですが、吉備は小勢力連合に過ぎませんから、いずれは出雲か熊襲(北九州の勢力)に併呑されてしまうか、或いは分割統治されてしまうかもしれません。
そのような事態が現実になれば、この話題は他人事のように予想したり議論したりする類いの話ではなくなります。
なぜだかは賢明なる叔父上ならお分かりでしょう」
「大和が、今よりも遙かに大きくなった出雲か熊襲に侵略されることになる、か」とオオヒコ(大彦)は答えながら、そうやって答える自分の声を聞くのが怖かった。
「それを畏れているのです」と大王が同意を示す。
「大王、あなたがそこまで大和の行く末を案じておられるとは・・・・・・あなたを大王に選んだ親族一同の判断が正しかったという証。幸いなことです」
ミマキの大王はオオヒコ(大彦)のお世辞とも取れる発言には反応せずに続ける。
「我らは出雲より先に吉備を押さえなくてはなりません。とはいえ、吉備からすれば我らは出雲と誼を通じるよりも良い相手といえるでしょうか」
「出雲と誼を通じた方が、将来性はある、と感じるであろう」
「そうなのです。向こうの立場で考えれば、それこそが正しい選択でしょう。正しい選択がなされれば、大和の運命は先ほどの危惧通りになる可能性が高まるわけです」
大王は自分の前にかしこまって座る親子を代わる代わる眺めてくる。
若いワケノミコは畏れ多さのせいでなにもできないように見えたが、オオヒコ(大彦)のほうは気圧されまいと大仰に居住まいを正してみせ、口を開いた。
「大王、そろそろ我らを呼んだ要件をお教え願えないだろうか」
「叔父上、予想は付いていると思いますが・・・・・
越を我が勢力下にしたい。越から出雲の影響を排除して欲しいのです」
思いがけない言葉にオオヒコ(大彦)は息を呑んだ。
話の流れからは、播磨のイサセリヒコ(五十狭芹彦)への助勢かと見当を付けていたからである。
「それは・・・・・それは大仕事ではないか・・・・・・長く故郷を離れることになるだろう」
「それだけではありません。
越への遠征の進捗状況によっては、息子殿に東戎(あずまえびす=現代の東海地方を指している)への遠征もお願いしたいのです」
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