第1章 イサセリヒコ(五十狭芹彦)その2 山の子「太郎」
そんなイサセリヒコ(五十狭芹彦)の思惑とは関係なく、彼の目は自然と昨日から気になっている童を探して、空き地で戯れる子どもの群れの中を行き来する。
それほど苦労することもなく、目当ての童は見つかった。
その童は大勢の中で戯れていても俊敏な動きが自然と見る者の目を引く。
それだけではなく、つかみ合いや取っ組み合いにでもなれば、群を抜いた力で相手をねじ伏せる。
だが、イサセリヒコ(五十狭芹彦)がその子に興味を抱く理由は別なところにあった。
ちょっとしたもめごとや喧嘩になった時の対処の仕方だ。
その童は自ら仲裁を買って出て、あっという間に仲直りさせてしまう。
不満がありそうな子に対しても優しい言葉を掛けたり、両者とも憤りが収まらぬような時には自らのおやつを分け与えたりさえして、その場を丸く収めてしまうのだ。
「見事だ」と、その様子を初めて目にした時にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は思わず唸ったものだった。
それで今日はその童のことをもっと知りたいと、かれの登場を心待ちにしていたのだ。
お目当ての登場に、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は立ち上がり、子供達の輪のほうへ近づいていく。
その動きを目ざとく見つけたお目当ての童が自分のほうからイサセリヒコ(五十狭芹彦)の前に歩み出てきた。
「おっちゃん、誰や」
「この辺りを治めている最高責任者だ」
「それにしちゃ、若いな」
その大人びた物言いと、若いなどと言われたのが久しぶりだったせいでイサセリヒコ(五十狭芹彦)は笑わずにいられなかった。
「若いと言っても、とっくに五十を過ぎた年齢だ。このあたりでは随分と長生きのほうだぞ」
「だったら、言っとくけどな、そんな大人が子供の争いなんかに口出ししに出てくるもんじゃねぇぞ」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は、その童のどんぐり眼が少しばかり怒りを帯びているのに気がついた。
「子供の喧嘩に親が口出しするもんじゃねぇってのが親父の口癖だ!」
その真っ直ぐな訴えはイサセリヒコ(五十狭芹彦)の意気に感じさせるところがあり、思わずその頭を撫でたくなり手が伸びた。
だがそのイガグリ頭はひるがえるようにしてその場を避け、童は身軽に体をかわす。
「童(わっぱ)!生意気だぞ」
「生意気もなにも、天と地の間にある者に、なんの遠慮が要りようか」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)はその口調に畏れ入ったとでもいうように手を引っ込めた。
続けて「それは?」と思わず問い掛けていた。
「父ちゃんの口癖でな。俺も遠慮しねぇんだ」
この物言いは父親の影響なのか?と、いっそう興味をひかれる。
「お前、名を何と言う」
「俺か?俺は山の子。皆からは太郎と呼ばれる」
「お父上は何を生業としている」
「お父上なんて大したものは俺にはいねぇが、父ちゃんなら猟師だ。大和一の猟師だぞ!
犬飼部や鳥飼部にも負けねぇ腕だ」
「お母上はどうなさっている」
その質問に太郎の表情が変わった。
それまでの意気揚々とした感じが一瞬にして失せ、唇は固く引き結ばれた。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は太郎の目に先ほどまではなかった新たな光があるのに気づく。
「悪いことを聞いたかな」
「俺に母ちゃんなんかいねぇんだ!」
太郎はそれだけ叫ぶと弾かれたように駆け出した。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)が止める間もなく、あっと言う間に野原を突っ切り、山の中へと消えていった。
「あの子のことを何か知っているか」と、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は近くにいた別の童に尋ねてみた。
「太郎?あいつならヤマガっちゅう猟師の子だよ。親父が猟に出かけると、あんな風に里に下りてくる」
「熊みたいだな」
「あ、あいつは本当に熊みたいに力持ちだ。何人で掛かっても、みんな投げ飛ばされちまう。まるで本当の熊の子だ」
「あんなに細っこいのにか」
「見かけに騙されちゃいけねぇ。試しに今度会ったらイサセリヒコ(五十狭芹彦)様も相撲でも取ってみなよ。そうすりゃ、あいつの強さが分かるよ」
「本当にそんなに強いなら、是非召し抱えたいものだ。
時に、あいつは幾つぐらいだ」
「この前、年が明けて六つと言っていた」
「そんなに小さいか」
「でも、道理の分かった奴だよ。
オレ等が喧嘩になりそうでも、すぐに仲直りさせてくれる。あいつに仲裁されると腹も立たねぇし。
例え不満があったとしても、山の旨いものなんか気前よく分けてくれて、誰も文句言わねぇな」
「そいつは大したものだな」
五つくらいから十近い子までが混じっている中で、六歳の子どもが仲裁を買って出るというのはそうそうできることではない。
その上、不平や文句を出させないとは、並の器量では到底無理な話だ。
イサセリヒコ(五十狭芹彦)は心から感心した。
「また来るかな」
「きっと来るよ」
「あと、あいつのお母さんのことを聞いたことはあるか」
「あぁ、その話はしちゃいけねぇんだ。
何でも、太郎を生んだ後すぐに死んじまったらしくて、あいつはお母(かあ)の顔も知らねぇんだ。
おとっつぁんも随分とそれを気に病んでいるとかで、あいつの家では出しちゃいけねえ話題らしい」
そう聞くとイサセリヒコ(五十狭芹彦)は太郎が可哀想に思えてきた。
離れたところで一部始終を見ていたササモリヒコ(楽々森彦)をそばに呼び寄せる。
「ヤマガという猟師を知っているか」
「存じております。
ヤマガは腕の立つ猟師として知れ渡っておりますが、特に弓の名手として知られております。
大王の鳥飼部にもヤマガほどの腕前の者はいない、と言われておりました」
確かに太郎もそんなことを言っていたのを思いだす。
「腕を確かめたことがあるのか?」
「今の大王の前で競射の催しがあった折りに、ヤマガが次点を寄せ付けぬ腕前を披露してございます」
「次点は誰であった?」
「次点は和迩(わに)のクニブク(国夫玖)。僅差で鳥飼部のトメタマオミ(留玉臣)が三番手でございました」
「クニブク(国夫玖)もトメタマオミ(留玉臣)も名の知れた腕前の持ち主ではないか」
イサセリヒコ(五十狭芹彦)はますます興味をそそられる。
大王に仕える勇者達よりも優れた者を自分が召し抱えたいという欲も出てきた。
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数日後、太郎が遊びに来ているという報せが届くと、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は直ぐに子どもたちを見に向かった。
弟ワカタケル(稚武彦)の息子、つまりは甥のタケヒコも一緒に連れ出した。
外の空き地では子どもたちが相撲を取っているところだ。
その中には太郎の姿も見える。
勝負のほうはというと、同年齢の者ではまったく太郎の相手にならないし、年上の者でも赤子の手をひねるが如く投げ飛ばされてしまう。
あれよ、あれよ、という間に太郎が全員を負かしてしまった。
「あいつに勝てるか」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は甥のタケヒコに聞いてみた。
「わたしはもう七歳です。六歳の子供に負けるはずがありません」
「だが、十歳の子供も苦もなく投げ飛ばされておる」
「弱い相手では参考になりません」
もっともらしく聞こえるなと感心はするものの、タケヒコの体つきを見てみれば特別には逞しくは見えない。
「じゃあ、今度はおまえが相手をして負かしてみろ」
伯父の言葉にタケヒコは勇んで進み出て、次の相手をしようとしていた子供の腕を取り「わたしの番だ」と太郎に告げた。
そんなタケヒコの態度を目にすると太郎は「見なれない奴だな。よし、そっちの新入りからいっちょ揉んでやるか」と勢いよく答えた。
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