建国神話と桃太郎伝説

紗窓ともえ

第1章 イサセリヒコ(五十狭芹彦)その1 後継者

辺り一帯に水田が拡がる。そんな朝の空気の中を男も女もせわしく作業をしている。

農繁期にはいくら人手があっても足りないくらいなのだ。

力のある男衆は力仕事を手分けするし、女衆も力を必要としない作業なら率先して引き受ける。

年寄りたちは手を離せないような子どもたちの世話をしてくれる。

幼児たちなら女の婆さんたちが世話を焼くし、外で遊びたい童子たちなら爺さんたちが見守るのだ。


元気の余った童たちが取っ組み合いするのを見守る中に、白髪ながら背筋は真っ直ぐに立ち、しっかりとした足取りで動き回る老人の姿が見えた。

時として張りあげる声は朗々と響き渡り、ときおり聞こえる笑い声は豪快そのものであった。


「イサセリヒコ(五十狭芹彦)様」と呼ばれて男は声の方を向いた。


「どうした、ササモリヒコ(楽々森彦)。お前もわしに付き合って、子どもたちを見守りに来たのか」


「私目はまだそのような年ではございません」


「あっ、こいつ!そう言ってわしを年寄り扱いしておるのだぞ!」と叱り飛ばすように言いながら、イサセリヒコ(五十狭芹彦)の顔は少しも怒っていなかった。


ササモリヒコ(楽々森彦)はイサセリヒコ(五十狭芹彦)の横に並び立ち「そうやって童の遊ぶ姿を見ている様は、とてもこの播磨を統治する御方には見えませんね」と言うとさらに続けて「ただの好々爺にしか見えません」と付け足した。


叱咤の言葉を吐き出そうと息を吸い込んだところで、イサセリヒコ(五十狭芹彦)はそれを呑み込んだ。


「そんな爺のところで時間を潰しているお前さんもたいそう暇な奴だな」


「主人が用事を言いつけてくれませんので。もはや『狡兎死して走狗煮らる』とでも申すべき状況でしょうか」


その引用にイサセリヒコ(五十狭芹彦)は吹き出した。

「煮ても焼いても食えないお前をどうやって煮殺すというのだ――いや、いっそ非情な支配者のようにお前さんを始末しておけば、ここでこんなくだらないおしゃべりをせずに済んだか」


「滅相もございません」と答えながら、ササモリヒコ(楽々森彦)もちっとも悪びれた様子がない。


そんなササモリヒコ(楽々森彦)の態度を目にしながら、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は考え込む。

大王の命令に従って播磨の地を大和朝廷に版図に編入することに成功した。

大きな戦を起こすことなく、豪族たちの総意をまとめ上げたのは参謀役のササモリヒコ(楽々森彦)の知恵があってのことだった。

だが、こうして耕地を拡げて土地を豊かにし、人々の生活を安寧に導いていく大業が軌道に乗った今、この事業を引き継ぐのにササモリヒコ(楽々森彦)は不要な存在だろう。

いや、ササモリヒコ(楽々森彦)だけではない。この自分でさえ必要とはいえないのか、と。


既に大王も代替わりして、新しい大王にはミマキイリヒコイニエノミコト(御眞木入日子印恵命=崇神天皇)が即位している。

今や自分は大王の大叔父なのである。

叔父でさえないのだ、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は自らに思い出させる。


播磨の地を治めるようにと命令を下したのは先々代の大王だったではないか。

これはちと長生きしすぎたということか、と。


ササモリヒコ(楽々森彦)と策を巡らしていた頃とは隔世の感ではないか。

あるいは、そろそろ隠居の潮時なのかも知れない――そう思案しながらも自分の中に次々と沸き立ってくる躍動感・昂揚感はそんな考えを明らかに否定していた。


まだ自分にはやるべきことがあるはずだ、と。


それともこの年になってまだ人生に恋々としているだけなのであろうか――


足元にある水たまりに映る自分の姿を見れば嫌でも自分が年を取ったのが分かる。

顔つきには五十なりの深い皺が刻まれ、長い年月はその風貌に喜びも苦労も人生の友としてきた痕跡をしっかりと残している。

白髪も多くなってきたが、それは頭ばかりではない。

口の周りから顎にかけての髭も灰白色になってしまった。


格段贅肉が付くでもなく、背筋も真っ直ぐに伸びており、足腰もまだまだ頑健である。

そのせいで通常の生活では年齢を自覚することはないが、他人から見れば年寄りの爺さんに過ぎないであろう。


手つかずの荒れ地だらけの土地を開墾し、ようやくにして収穫に恵まれた耕地に生まれ変わらせるのには、曰く言い難い苦労があった。

どれほど多くの失敗や事故・災害に見舞われたことか・・・・・・


こうして、平穏な農村らしい風景を眺めることが出来るようになったというのも、ここ数年のことである。

子供の数も増え、それに伴って手の空いた年寄りが彼らを見守るようになったが、ずっと昔からこんな光景が見られたわけではない。


大和からすれば辺境の地である播磨で苦労を重ねてきたおかげで、何年も大王の宮には顔を出していない。

この地で多くの人々が安心して暮らせるようにできたことに勝る務めはない。

他のことを新たに成し遂げるには年を取り過ぎた。

このまま播磨でみんなを見守ること、それだけが残された責務だと信じてきたのだ。


そうした諦観とも呼ぶべき心境に変化が起こったのは数日前のことだった。


その日、腹違いの弟・ワカタケル(稚武彦)が「折り入って相談したいことがある」と言ってきたのだ。

相談の内容はイサセリヒコ(五十狭芹彦)にはまったく予期せざることだった。

「ゆくゆくは自分の息子に播磨の統治を任せたいので、大王にお目通りを願いたいと考えている。兄上からお口添えを願えまいか」と言うのである。


そんなことは勝手に大王とその取り巻き連中で決めることだろうと、イサセリヒコ(五十狭芹彦)は敢えて考えないようにしてきた。

問題はイサセリヒコ(五十狭芹彦)に嫡男がいないことである。


このままイサセリヒコ(五十狭芹彦)が後継者を決める間もなく死んでしまえば、後継ぎを巡って争いが起こるかもしれない。

だから、ワカタケル(稚武彦)は義理の兄の地位を自分の息子に譲ってもらうと前もって決めておきたいのだ。

そうすることで息子の行く末も安泰になるし、無用な争いを播磨の地に呼び込まずに済むからだ。


それにしたってワカタケル(稚武彦)の息子はまだ七歳だ。

後を継ぐにしたって相当先の話ではないか。

大王だって、その年齢の息子を東宮(皇太子)に立てることはないだろう。


「いやいや」とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は自分の考えをかき消すように頭を振る。

「こんなことを考えるのは、用件を先延ばしして、大王の宮に行くのを日延べしたいだけかもしれぬ」


将来のことを考え、物事を決めておくのは悪いことではない。

本来なら自分から切り出すべき問題であったかもしれない。

それを弟のほうから切り出さねばならないほど自分は考えなしだったか、と反省する。

弟が大王にお目通りを願うというのなら、同行して話すのが良いのか、それとも前もって自分だけで用件を通しておくのが好ましいのか、イサセリヒコ(五十狭芹彦)には判断しかねた。


なんといっても大王がどんな人物であるか、皆目見当が付かないのだ。

大王に即位して何年も経つが、これまで直接には面会する機会がなかったからだ。


ここは播磨の地を与るものとして自分だけで先に大和に赴き、ご挨拶がてら話を通しておいたほうが良さそうだ、とイサセリヒコ(五十狭芹彦)は熟慮の末に決めた。


一人だけで大王と話をしたほうが相手の人間が見えてくる場合も多い。

不遜な物言いではあるが、これを機に大王がどんな人物なのか品定めしておきたい気持ちもあった。

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