第18話 マノン・イーガン
《Side マノン・イーガン》
第三王女として生まれた私の前には、いつも二人の兄がいた。
父の教えを守る、勇猛果敢でたくましく、弱きを助ける優しい兄たち。
兄さまたちといつも一緒に遊んでいたせいか、私もお転婆に育ってしまった。
獣人社会は弱肉強食。
強くなければ人の上には立てない。優しくなければ誰もついてこない。
女も一緒だと思っていたけれど、私に求められているモノは違ったらしい。
「マノンよ。またお前は、舞踏会を欠席したのか?」
「ですが父上、私は興味もない人に向けて、愛想を振り撒くのは苦手です」
「そうは言ってもな、社交界で顔を売らねば誰もお前に興味を持ってはくれぬぞ?」
「それでも構いません」
国王である父と王妃である母は、いつも私を心配する。
こんな調子で、嫁げるのかと。
だけど私だって、兄さまたちのような尊敬に値する方に巡り合えれば、態度を改めると思いますよ……たぶん。
「マノン。お前も兄の留学に付いて行き、隣国で学んできなさい。ついでに、女性としての振る舞い方もな」
きっと両親の本心は、クザーラ王国の貴族女性を真似させたいに違いない。
人間種の女性は自らを美しく飾り立てて、物静かに振る舞うのが礼儀らしいから。
いくらお手本を見せられても、私の気持ちが変わらなければ意味がないのに……。
◇
語学の勉強は怠らなかったつもりだけど、やっぱり外国語は難しい。
みんなが言っていることは理解できているつもりだけど、私の言うことはちゃんと伝わっているのだろうか。
普段通りに振る舞っているはずなのに、なぜかみんなは怯えた目で私を見る。
親身に話を聞いてくれるのは、クラス委員長のミーア・リンドベリだけ。
「ミーア、私、嫌われてないか?」
「大丈夫、留学生が珍しいから戸惑ってるだけよ、きっと」
「本当に?」
「だけど、あまり敵対心は表に出さない方がいいかもしれないわね」
「敵対心……よくわからない」
私が意見を通そうとすると、すぐに口論になってしまう。
尊敬する人の言葉は聞き入れるけれど、それに値しない相手に対して意見を曲げるつもりはない。
そこで意見が対立するなら、ぶつかり合うのは当たり前。
そう思っていたのに、この国は少し違う。
ミーアが、子爵家の男から酷い目に遭わされた時もそうだった。
どう考えても悪いのは、子犬をイジメていた子爵の方だったのに。
「ミーア、なぜ、あいつ、やっつけない?」
「あの方は子爵様だからね」
「今の、子爵、悪い」
「それでも、目上の人に逆らうのは良くないわ」
この国の者たちは、どうして強者が威張っているのだろう。
目上に対してはヘコヘコしているくせに、目下には強気な態度を取る者ばかり。
兄さまのように、強者ならではの優しさを見せられる者はいないのか?
そんな疑問を持っていた私の前に、興味深い男が現れた。
――アーク・ツリヤーヌ
緑の髪の男が、目上の者に立ち向かう。
私の闘争本能も尊重してくれるなんて面白い男。
本心としてはこの男と拳を交えてみたかったけれど、今回は一緒に組んで戦うことになってしまった。
少し残念……。
◇
ミーアもアークも、私が負けるんじゃないかと心配している。
勝ち負けも大事だけれど、神聖な戦いを卑怯な手で穢すことは許さない。
アーク・ツリヤーヌ。お前には失望した。
作戦と言って、私にズルい手段を使わせようとするなんて。
そんなことしなくたって、私は人間ごときに負けはしないのに……。
「始め!」
ミーアの声で試合が始まる。
私の最初の標的は、ジーン・マッコール。
何なのこの男は。逃げ回るばっかりで、ちっとも戦おうとしない。
神聖な戦いを冒涜する者は、徹底的に懲らしめてやらねば。
「これは違うのです。そう、作戦、作戦なのです」
どの男も作戦、作戦。戦いとは、正々堂々と拳を交えることではないのか?
この国の男には失望しっぱなしだけれど、ここまでひどいのは初めてだ。
かと思ったら、突然抱きついてくるなんて破廉恥極まりない。
えっ、なんだこの攻撃は。とっても心地良くなって、頭がとろけていく……。
この国には魔法というものがあるらしいが、これがそうなのか?
ああ、なにこれ、気持ちいい……。
ずっとこの気持ち良さを味わっていたい……。
ハッ、戦いの最中だというに、私は何を考えていたのだ。
正気に戻ったのは、アークが助けてくれたから?
なんていう不覚。私があんな男に負けそうになるなんて。
私は人間種というものを、少し甘く見ていたのかもしれない。
ジーンはアークに倒されてしまったが、今度は絶対に私が勝つ!
「ラドガン! 私と! 戦え!」
ラドガンとかいう男も相当に強い。
ジーンのときは油断したけど、今度は絶対に負けない。
もう少しだけ獣化を強めるか……。
ふふっ、ふふふふっ……どうだ、この攻撃なら対抗できるぞ!
もう少し。もう少しだけ獣化を強めれば勝てる。
グルルル……身体中を血液が駆け巡る。鼓動が早い。
血が沸き肉が躍る。気分がいい……あれ? 私は今、何をして……。
ミーアと約束したのに……。
頭の中の闘争本能で膨らんで……何も考えられなく……。
「ウヒィィィッ! 負けだ! 我は負けを認めるぅぅっっ! だから、許して、許してくれぇぇっっ!」
ふふふっ、獲物……私の獲物……。
完全に戦意を喪失した私の獲物……。
――噛み砕いてやる!
◇
剣技場で戦っていたはずなのに、ここは……どこ? 更衣室?
獣化を強めた辺りから記憶が怪しくなって、そのまま途切れてしまった。
そうか! 私ったら完全に獣化して、理性を失くしてしまったんだ。
だとしたら、大変なことをしてしまった。
だけど、アークが目の前にいる。どうしてこの男は無事なんだ?
そういえば投げ飛ばされて、床に叩きつけられた記憶が微かにある。
まさか、完全に獣化した私を倒して、正気に戻してくれたのか!?
「ふぅ、なんとかなったぜ。だけどおまえ、いい身体してんな」
身体中に痛みが残っている。
やっぱり私はこの男に助けられたのか?
えっ? どうして私は全裸に!?
「い、い、いやぁっ!」
そうか、完全に獣化したせいで、服が破れてしまったんだ。
ということは、この男に全部見られてしまったのか!?
なんという羞恥。耐えられない。こんな男は極刑だ!
ああ、もう、何を言っている。この男は、獣化を解いてくれた恩人じゃないか。
「マノン! マノン! 良かった、獣化解けたんだね!」
ドアが開いてミーアが飛び込んできた。
私は約束を破ってしまったというのに、涙まで流して自分のことのように喜んでくれている。
心配をかけてごめん。
ありがとう、ミーア……。
◇
――アーク・ツリヤーヌ。
完全に獣化した私を倒せる人間がいるなんて思いもしなかった!
準男爵家に留めておくにはもったいない男。
兄さまほどではないけれど、この国の男も捨てたものではないらしい。
あまり気乗りのしない留学だったけど、少しは楽しく過ごせそう……。
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