第18話 マノン・イーガン

《Side マノン・イーガン》


 第三王女として生まれた私の前には、いつも二人の兄がいた。


 父の教えを守る、勇猛果敢でたくましく、弱きを助ける優しい兄たち。

 兄さまたちといつも一緒に遊んでいたせいか、私もお転婆に育ってしまった。


 獣人社会は弱肉強食。

 強くなければ人の上には立てない。優しくなければ誰もついてこない。

 女も一緒だと思っていたけれど、私に求められているモノは違ったらしい。


「マノンよ。またお前は、舞踏会を欠席したのか?」

「ですが父上、私は興味もない人に向けて、愛想を振り撒くのは苦手です」

「そうは言ってもな、社交界で顔を売らねば誰もお前に興味を持ってはくれぬぞ?」

「それでも構いません」


 国王である父と王妃である母は、いつも私を心配する。

 こんな調子で、嫁げるのかと。


 だけど私だって、兄さまたちのような尊敬に値する方に巡り合えれば、態度を改めると思いますよ……たぶん。


「マノン。お前も兄の留学に付いて行き、隣国で学んできなさい。ついでに、女性としての振る舞い方もな」


 きっと両親の本心は、クザーラ王国の貴族女性を真似させたいに違いない。

 人間種の女性は自らを美しく飾り立てて、物静かに振る舞うのが礼儀らしいから。


 いくらお手本を見せられても、私の気持ちが変わらなければ意味がないのに……。



 語学の勉強は怠らなかったつもりだけど、やっぱり外国語は難しい。

 みんなが言っていることは理解できているつもりだけど、私の言うことはちゃんと伝わっているのだろうか。


 普段通りに振る舞っているはずなのに、なぜかみんなは怯えた目で私を見る。


 親身に話を聞いてくれるのは、クラス委員長のミーア・リンドベリだけ。


「ミーア、私、嫌われてないか?」

「大丈夫、留学生が珍しいから戸惑ってるだけよ、きっと」

「本当に?」

「だけど、あまり敵対心は表に出さない方がいいかもしれないわね」

「敵対心……よくわからない」


 私が意見を通そうとすると、すぐに口論になってしまう。


 尊敬する人の言葉は聞き入れるけれど、それに値しない相手に対して意見を曲げるつもりはない。

 そこで意見が対立するなら、ぶつかり合うのは当たり前。


 そう思っていたのに、この国は少し違う。


 ミーアが、子爵家の男から酷い目に遭わされた時もそうだった。

 どう考えても悪いのは、子犬をイジメていた子爵の方だったのに。


「ミーア、なぜ、あいつ、やっつけない?」

「あの方は子爵様だからね」

「今の、子爵、悪い」

「それでも、目上の人に逆らうのは良くないわ」


 この国の者たちは、どうして強者が威張っているのだろう。

 目上に対してはヘコヘコしているくせに、目下には強気な態度を取る者ばかり。

 兄さまのように、強者ならではの優しさを見せられる者はいないのか?


 そんな疑問を持っていた私の前に、興味深い男が現れた。


 ――アーク・ツリヤーヌ


 緑の髪の男が、目上の者に立ち向かう。

 私の闘争本能も尊重してくれるなんて面白い男。


 本心としてはこの男と拳を交えてみたかったけれど、今回は一緒に組んで戦うことになってしまった。

 少し残念……。



 ミーアもアークも、私が負けるんじゃないかと心配している。


 勝ち負けも大事だけれど、神聖な戦いを卑怯な手で穢すことは許さない。

 アーク・ツリヤーヌ。お前には失望した。

 作戦と言って、私にズルい手段を使わせようとするなんて。


 そんなことしなくたって、私は人間ごときに負けはしないのに……。


「始め!」


 ミーアの声で試合が始まる。

 私の最初の標的は、ジーン・マッコール。


 何なのこの男は。逃げ回るばっかりで、ちっとも戦おうとしない。

 神聖な戦いを冒涜する者は、徹底的に懲らしめてやらねば。


「これは違うのです。そう、作戦、作戦なのです」


 どの男も作戦、作戦。戦いとは、正々堂々と拳を交えることではないのか?

 この国の男には失望しっぱなしだけれど、ここまでひどいのは初めてだ。


 かと思ったら、突然抱きついてくるなんて破廉恥極まりない。


 えっ、なんだこの攻撃は。とっても心地良くなって、頭がとろけていく……。

 この国には魔法というものがあるらしいが、これがそうなのか?


 ああ、なにこれ、気持ちいい……。

 ずっとこの気持ち良さを味わっていたい……。

 

 ハッ、戦いの最中だというに、私は何を考えていたのだ。


 正気に戻ったのは、アークが助けてくれたから?

 なんていう不覚。私があんな男に負けそうになるなんて。

 私は人間種というものを、少し甘く見ていたのかもしれない。


 ジーンはアークに倒されてしまったが、今度は絶対に私が勝つ!


「ラドガン! 私と! 戦え!」


 ラドガンとかいう男も相当に強い。

 ジーンのときは油断したけど、今度は絶対に負けない。

 もう少しだけ獣化を強めるか……。


 ふふっ、ふふふふっ……どうだ、この攻撃なら対抗できるぞ!


 もう少し。もう少しだけ獣化を強めれば勝てる。


 グルルル……身体中を血液が駆け巡る。鼓動が早い。

 血が沸き肉が躍る。気分がいい……あれ? 私は今、何をして……。


 ミーアと約束したのに……。

 頭の中の闘争本能で膨らんで……何も考えられなく……。


「ウヒィィィッ! 負けだ! 我は負けを認めるぅぅっっ! だから、許して、許してくれぇぇっっ!」


 ふふふっ、獲物……私の獲物……。

 完全に戦意を喪失した私の獲物……。


 ――噛み砕いてやる!



 剣技場で戦っていたはずなのに、ここは……どこ? 更衣室?

 獣化を強めた辺りから記憶が怪しくなって、そのまま途切れてしまった。


 そうか! 私ったら完全に獣化して、理性を失くしてしまったんだ。

 だとしたら、大変なことをしてしまった。


 だけど、アークが目の前にいる。どうしてこの男は無事なんだ?

 そういえば投げ飛ばされて、床に叩きつけられた記憶が微かにある。


 まさか、完全に獣化した私を倒して、正気に戻してくれたのか!?


「ふぅ、なんとかなったぜ。だけどおまえ、いい身体してんな」


 身体中に痛みが残っている。

 やっぱり私はこの男に助けられたのか?


 えっ? どうして私は全裸に!?


「い、い、いやぁっ!」


 そうか、完全に獣化したせいで、服が破れてしまったんだ。

 ということは、この男に全部見られてしまったのか!?


 なんという羞恥。耐えられない。こんな男は極刑だ! 


 ああ、もう、何を言っている。この男は、獣化を解いてくれた恩人じゃないか。


「マノン! マノン! 良かった、獣化解けたんだね!」


 ドアが開いてミーアが飛び込んできた。


 私は約束を破ってしまったというのに、涙まで流して自分のことのように喜んでくれている。


 心配をかけてごめん。

 ありがとう、ミーア……。



 ――アーク・ツリヤーヌ。


 完全に獣化した私を倒せる人間がいるなんて思いもしなかった!


 準男爵家に留めておくにはもったいない男。

 兄さまほどではないけれど、この国の男も捨てたものではないらしい。


 あまり気乗りのしない留学だったけど、少しは楽しく過ごせそう……。

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