第30話 無駄にAgainstな黄金週間⑩
とある高級マンションの一室にて、昨日起きた災害のニュースが流れている。
「という訳ですよ、詠亜先生」
俺は四度目の定例会議に赴き、ソファーに座って昼過ぎのニュースを眺める詠亜に向けて、姿勢を正して立ったまま、事の成り行きを報告していた。
「という訳と言われてもねぇん。玲さんが最後に機転を利かせなかったら大変なことになっていたじゃないの。瑠璃君、冗談抜きでお仕置きよ?」
詠亜は怒っていた。
田舎とは言え、大規模な魔法戦を繰り広げた。
よく分からない組織につけ狙われている今、俺が引き起こした行動は決して褒められるものではない。
「バカ息子がぁ! 悪魔に取り憑かれておる! 餓鬼の悪魔じゃぁ! 早ぉ殺せぇ! そうでなけりゃお前さんらに災いが降りかかるぞぉ!」
何よりテレビでは、モザイクの掛けられた玲の母が狂ったように叫びまわっていた。
「被害に遭った家主に話を聞こうと思ったのですが……早く救急車を……あ、今来ました! しかしそれ程の災害ということなのでしょう」
レポーターは呆れ返っており、田舎で発生した局地的な竜巻という自然災害として、この事件を処理していた。
「繰り返しお伝えします。昨日午前八時頃、竜巻らしき突風が発生した模様で一人が巻き上げられた床の下敷きになり軽傷。一人が古井戸へ落下して重症となっており、県警は災害対策本部を設置し、情報収集を行う模様です」
「それでは次のニュースです。先日発生した連続強盗殺人事件が新たな展開を迎え――」
テレビ画面がスタジオに戻され、ニュースが切り替わったところで、詠亜に向けて追加説明を行う。
「莱道樋熊の嫁が手配した手下達のおかげで、付近一帯が封鎖されていましたからね。近所の家にも押し入って外に出させないよう監視していたみたいです。警察も一応調べに来ましたが、アリバイはちゃんと成立していますので、何の疑いもなく帰っていきましたよ。莱道組から意趣返しの心配もありましたが、樋熊の破門状が出回っているそうです。組としても揉み消したい事実なんでしょう。これでもう安全安心……むふっ」
俺は詠亜のベッドの上で、熊のぬいぐるみを抱いて昼寝している凛子に目をやり、まだ起きそうな気配がないことを確認してにんまりと笑う。
「魔法でステルス化した車ごと空を飛んで、片道二時間の道のりを三十分で帰ってきたのよね。あとは適当なコンビニに入って監視カメラに映るだけでアリバイ成立。これであのお婆ちゃんの言う事は全て戯言として扱われるのがオチって訳ねん。まぁ事情を聞く限り仕方ない戦闘だったとは思うけど……。もぉ、野次馬に混じって調べに来る組織の連中がどれだけいると思ってるの?」
片や詠亜は溜息を吐きながら、額を抑えて悩む。
「そこはほら……せんせーが何とかしつつ新たな情報を絞り取るチャンスとして有効活用してくれればいいと思いますが、いかかですか?」
詠亜に歩み寄りながら今後の方針について提案してみた。
「タダで頑張るにはちょっと辛い労働なんだけど?」
声は怒っている。しかし頬は淡く染まる。
お仕事の時間と割り切って、詠亜の隣に座った。
「詠亜せんせー。ぼくが、いーっぱい、してあげるからぁ。詠亜せんせーが、ほしくなっひゃったぁ。せんせー、ちょーらい」
詠亜の首筋に舌を当てる……フリをして、自分の手の甲を舐めたりキスしたりしながらそれっぽい音を捻出してみる。
「あぁんっ! 悪魔……お婆ちゃんの言う通り瑠璃くん悪魔ぁん! んあっ! らめぇ! せんせーそこはよわいのぉ! ああああんっ
詠亜の妄想力を舐めていた。
凛子が寝ているにも関わらず、そして真っ昼間にも関わらず、御近所迷惑確定のエクスタシーを爆発させながら、背筋を弓なりにして痙攣を起こしている。
そんな騒音が耳に入ればどんなノンレム睡眠だろうが、凛子が目覚めるに決まっている。
もっとも、友達のお誕生日会で席を外している瑠奈がこの場にいたならば、俺が変なことを言い始めた時点で目覚め、詠亜に噛みついていたに違いない。
「るー君、先生、どうしたの? あれ? 先生の床にお水がこぼれてる? ふかなくちゃ」
思った以上に重体の詠亜。
凛子は重たい瞼を必死に持ち上げつつも力尽きて下ろし、もう一度持ち上げて状況を見定めた後、ティッシュか布巾を探し求めてフラフラと彷徨い始める。
俺はソファーから立ち上がって凛子の手を取った。
「凛子、詠亜先生は大丈夫。オヤツがあまりにも美味し過ぎて気絶してるだけだから。あれは先生の涎、だから先生が起きた時に、自分で拭かせればいいの。それより凛子、おいで、昼寝の続きしよっか。傍にいてあげるから」
凛子を詠亜と対面のソファーに誘導して寝かせる。
凛子に膝枕を差し出し、優しくお腹を叩きながら待つこと一分。凛子は再び夢の世界に遊びに出掛けた。
凛子と入れ替わるように詠亜の魂が帰還してくる。
「ふぅ。生まれて初めて天国のお花畑が見えたわん。お花は全部瑠璃君の顔だったけど」
「なんですかその気持ち悪い世界は」
「お花の根っこに苛められて、危うく天国からさらに昇っちゃいそうだったわ。天国の上って……人類の新天地、新たな概念ね。惜しいことしたわぁ」
本気で落ち込む詠亜に、もはや何と声を掛けていいか分からない。
「瑠璃君! もう一回夢の中で触手プレ――」
「凛子が起きるのでお断りします」
詠亜に全てを言わせる前に全ての言葉を拒絶した。
「まぁ瑠璃君成分をたっぷり充電できたことだし、せんせー頑張っちゃうわ。だから……成功報酬は、せんせーの……ふふふ、ちゃーんと、ペロペロしてねぇん?」
「考えておきます」
目が別世界に飛んでいる詠亜を拒絶したいことこの上なかったが、詠亜がやる気を出しているので、半歩分前向きに検討する。
すると詠亜は、いつになく真面目な顔で背筋を伸ばす。
「まぁ瑠璃君の話からも分かったことはいくつかあったわ。せんせーが言った通り、魔法使いは身近に意外と多いかもしれない。これは瑠璃君の伯父や、瑠璃君を救ってくれた変な格好と口調の人が魔法使いだった点から鑑みて立証された。別の見方をすれば、この街近郊に集まりつつあるとも考えられるわね。それで莱道樋熊の電子カルテはこっそり見たのだけれど、C4の完全型脊髄損傷……つまり頸椎損傷による体麻痺。しかも頭部損傷によってブローカ野もダメージを負っているわ。よって、まともに喋れず、手も動かせない。ヤケになって魔法が世間にバラされる心配もないわね。まぁ、五体満足でもせんせーの魔法で記憶くらいは消せるわ。男限定だ、け、ど」
テレビに映るアナウンサー顔負けの早口で、まとめて伝えてくれる。
そして立ち上がり、隣のソファーに座り直す。
「今のところ分かっている情報はそれくらいですかね。あとは詠亜先生が情報収集を終えるまで待つ。今後の方針はそんな感じです?」
「えぇ、それで問題ないわん。あらっ、こんなところにヨーグルトが!」
「ところで先生、なんで俺の隣に座るんですか? なんでわざとらしくヨーグルトを取り出すんですか? 変なことはしないでくださいよ。凛子が起きますから」
俺の顔に焦りが滲んでしまう。
詠亜の吐息が頬に掛かる。逃げ出したい衝動に駆られるが、凛子が膝の上で寝ているので逃げられない。
「別にせんせーから何をどうこうするつもりはないわよん。ただ、無性にヨーグルトが食べたくなったっていうのと、前に話していた報酬の話。瑠璃君名義で口座を作ったわ。だから通帳とカードをプレゼントよん。キャッシュじゃ何かと都合悪いでしょ? キャッシュレスもご家族にバレたら大変だし」
俺は詠亜の言葉を聞いて安堵する。
「なるほど、そうでしたか。それではありがたく頂戴します。ヨーグルトはいりませんので、先生が勝手に食べてください。それで通帳とカードはどこです……かっ!?」
詠亜の服装は、自身のサイズより二回り大きいワイシャツを、ワンピースのように着ているだけである。
そして第二ボタンまで外された白の下着の向こうにある未だ衰えない弾力を誇る谷間に、通帳とカードが挟まっていた。
「別に手が塞がっている訳じゃありませんからね。普通に取りますよ」
俺は冷静に状況を分析し、動じることなく詠亜の胸に手を伸ばそうとした。
「えへへ、るーく~ん。つかまへたぁ……」
しかし、寝惚けた凛子の手に、指ごとがっちり掴まれてしまう。
なんで?
絶望の視線を下に落とすものの、凛子は幸福に満ちた笑顔で眠ったままだった。
「ナーイス凛子ちゃーん。さぁて瑠璃くぅん。お口で取ってぇん。あ、ヨーグルト、零れちゃったわぁん」
誰がどう見てもわざとにしか見えない零し方でヨーグルトを胸元に垂らし、谷間を突き出して妖艶に笑う。
「通帳とカードは作るのに苦労したのよん? ものすごく警戒されちゃったわ。だからもう作れないと思ってねん。あら……このまませんせーのヨーグルトが付いちゃうと……あ、涎も一緒に……このままだと通帳に皺が……はふぅ……永遠に染みついちゃうわよん?」
無視したかったのだが、ヨーグルトだけならまだしも、詠亜は舌を出して唾液を胸に垂らし始める。
そんな汚物を手元に置いておける訳がない。
その皺を見る度にこの光景がフラッシュバックされてしまうのは精神衛生上よろしくない。
しかし現実問題、お金は必要である。
そして通帳とカードの有無は天と地程の利便性の差がある。
俺は真っ白な天井の向こうにある遠くの空を見つめた。
そして息を止め、バンジージャンプの気分で飛び込んだ。
「――あれ? るー君、先生どうなったの?」
目覚めた凛子のどうなったの? とは、どうしてこうなったの? の略であると勝手に解釈する。
「詠亜先生、昼寝したいんだってさ。だから凛子、まだ二時にもなってないけど帰ろうか」
「え? あ……うん! それじゃ、えと……わたしの家でオヤツ食べよー」
精神力を根こそぎ奪われた俺と、何も分かっていないはずの凛子は、黙って詠亜の家を後にすることにした。
詠亜は眠っていた。眠るように気絶していた。
詠亜は恐らく、深夜になるまで起きることは無い。
「危なかった。危うく大事なモノを全て失ってしまうところだった」
今回ばかりは両手が封印されていて、魔法の発動を諦めざるを得ないと思っていたのだが、ギリギリのところで足で魔法を描いて発動させた。
辛うじて救われた我が身を思いつつ、美波家へとゆっくり手を引かれて歩いた。
凛子の心を覗き見ることを、忘れたまま。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます