第28話 無駄にAgainstな黄金週間⑧

 ガラス片が腕以外の至る所に突き刺さり、頭からも酷く流血する樋熊は、熱く荒い呼吸をさらに加速させ、三度Bear Lordを描く。


 かなぐるように魔法を起動させた樋熊は、今度こそ完璧な熊へと変身した。


 人間らしさは無く、二回り巨大化した。


 名前の通り、樋熊そのものだった。


 立ち上がれば天井をぶち抜くであろう巨躯のまま、四本足で軽く跳び、畳の上に戻ってこようとする。


 しかし新たなThunder Lordを描いて雷翼を広げ、頭を中心点として空中大車輪を行っていた。そして樋熊が畳に足を着いたところで、樋熊の頭頂部に遠心力を最大まで高めた踵落としをお見舞いする。


 頭蓋骨が割れる鈍い音が響く――。  


 はずだった。


「おーう? 思った以上のふっさふさ……あぅわぁ!」


 樋熊は完全熊化により、衝撃が吸収できる天然毛皮の盾を身に付けていた。


 俺の攻撃を歯痒い程度にしか感じていないらしい樋熊は、持て余す力で頭上の俺の足を掴み、大旋回させて襖向こうの廊下に投げつける。


 咄嗟に翼を広げるものの、大した減速効果は無く、そのまま壁沿いに置いてある箪笥に背中から直撃する。


「あ……ぅ……痛い……通り越して……苦しい。って……おいマジか!」


 体を起こし、呼吸の方法を忘れかけている体に酸素を送り込む。


 そしてThunder Lordを走り描き、再度プラズマを形成して正面斜め上に放つ。


 樋熊は追い打ちを掛けるために飛び掛かって来ていた。


 プラズマを真正面から受けた樋熊は、それが持つベクトルに押し戻される。


 追加でThunder Lordを描いてテンポ良く叩く。


 浮き上がった樋熊の厚い毛皮と胸板を貫くように、畳から雷槍を突き上げた。


「ぐっ……がああああああああああ! 殺ス! 瑠璃、死ネ!」


 しかし貫通まではしない。プラズマと同じように空中に押し留めただけで毛皮の防御を抜くことはできない。


 そして樋熊の獰猛な叫びによる空気振動で雷槍も霧散する。


 俺の前に立った樋熊は立ち上がる暇も与えず、渾身の力を込めた右腕のラリアットを、掬いあげるように放ってきた。


 俺はピンポン玉のように飛ばされる。


 廊下の天井、床、台所の天井に跳ね返りながら、畑を見下ろせる窓の縁まで転がり着く。


 その衝撃で、食器棚から小さなドラム缶型の貯金箱が落ちてきて、俺の足まで転がってきた。


「ははっ、やべぇ。俺の防御力、紙過ぎる」


 力無く笑う。その声は震えていた。


 体には痛みは無い。代わりに脱力感が体を支配している。


 足に当たった貯金箱の感触がくすぐったいくらいだ。


 脳内麻薬のエンドルフィンでも分泌されているのだろう。


 左腕や右足も、あらぬ方向へ曲がっている。


 床に描くようにThunder Lordを記して押し込む。


 複雑骨折した足と腕は復元され、瑠璃は体力も取り戻す。


「ロクデモネェ能力ナンゾ使ォトルンジャネェ!」


 しかし、飢えた獣の顔で飛び掛かってくる樋熊に対し、反応することができなかった。


 体力は取り戻したが、脱力感まで抜け切れておらず、腰は抜けたままだったのだ。


 樋熊の勢い余った突進をこのまま受けてしまうと、壁との間に挟まれて確実に潰されてしまう。


 だから続けて描いていたThunder Lordを押した。


 発動した魔法は、背に雷翼を出現させ、僅かばかり浮かせるだけだったが、それだけで十分だった。


 浮いた後ろは窓。樋熊の突進を受けて、窓を突き破り、昨日瑠奈と共に見上げた畑へと転がり落ちた。


「くっ……ぶはっ! やっと開けた場所まで脱出できた! ってか毛皮のせいで雷効かないとか正直打つ手無しなんですけど……ん? ん~……これ、使えるか?」


 仰向けで辺りを見渡し、よろけながらも立ち上がった。


 そしてある物を見つけて考えた後、樋熊が現れるまで、ありったけのThunder Lordを描き続けた。


 樋熊は体当たりした時、壁に嵌まって身動きが取れなくなっていた。


 とは言っても拘束された時間は一分も無い。


 樋熊は窓や壁を丸ごと破壊して、畑へと降り立った。


 畑の先は落差十メートル程の崖となっており、その端に俺は立っていた。


 樋熊は後ろ脚を蹴り、前足をかいて突進する。


 俺は足踏みして展開待機中だったThunder Lordを順々に発動させた。


 樋熊の足の土から涌き出る雷の槍。


 俺が何度も樋熊に放った魔法である。


 しかし、樋熊はどのタイミングで、どの位置から雷槍が突き上げるか理解しているかのように、軽やかなサイド、バックステップで全ての魔法を避けていく。


 俺は展開中だった樋熊の頭上のモニターを読んだ。


『毛の感じで分かるんじゃ。ちぃと強力なスタンガン程度の電気を怖がるんもどうか思うが……用心に越したことはないけぇのぅ』


 磁場の変化による静電気でも察知されたのか。


 いつの間にか冷静な思考力を取り戻していることも脅威だ。


 ならばと、足元四つと両手で新たに描いたThunder Lord二つをまとめて押し込んだ。


 樋熊の立つ大地の周囲六方向からの平面包囲魔法。


『迂闊に大技を出しよったな! 上がガラ空きじゃぁ!』


 雷槍が大地から樋熊に向けて発生すると同時、樋熊は四肢を蹴り、何も無い空へと跳んだ。


 そして着地地点を俺に定め、急降下を開始する。


「別に大技出しても隙だらけになったりしないんだけどなぁ。まぁ、単純なクマで良かった。さて、台所に置いてあった貯金箱でも取ってこよっと」


 俺は雷翼を広げ、破壊された台所の壁から家の中へと戻った。


「何ヲフザケ……エ……アガアアアアアアアアアアア!」


 直後、樋熊は畑に降り立ち、木が割れる音と共に、地面に開いた大穴へ落ちていった。


 樋熊は砂鉄が被せられたベニヤ板の上に降りていた。重みに耐えられなくなった板が割れ、古井戸の中へと樋熊は落下する。


 「昨日は大きさまで気付かなかったけど、思ったより大きくて安心したよ。というか丁度いいサイズ? まぁ詰まったら上から叩き落とすだけだけどな! それにしても、土と砂鉄の色を見間違えるとはねぇ。なんだかんだで場馴れしてねぇな? いやぁ、俺もいい経験になったよ。ところで水加減はどうだい? なーっはっは!」


 俺は上からニヤリと覗き込み、十メートルばかり下ったところで腰まで水に浸かる樋熊に、上から目線で高笑いする。普通だったら暗くて見えないが、俺だけが見えるモニターの僅かばかりの灯りのおかげで、樋熊の全体像と水位は確認できた。


「フンッ! 跳ビ上ガルノハ無理ジャガ、這イ上ガルクライ問題無イワ! ソレニ、イクラ電撃ヲ流シテコヨウガ……フンッ……無駄ジャア!」


 樋熊は叫びながらBear Lordを描き、魔法を追加発動させる。


 すると樋熊の体はさらに体毛で覆われた。動きにくそうだが、一切の雷撃を通さないだろう天然素材の鎧を纏う。


 そして樋熊は古井戸の端に手と足を掛け、ゆっくりと登り始めた。


「なるほどねぇ。まぁ、それだけごっつい毛皮被ってたら、俺の可愛らしいパンチやキックも、雷も効かなそうだな。でもさぁ……俺、道具がないだけで、圧倒的な物理攻撃技、持ってるんだよ。じゃじゃーん。これなーんだ?」


 樋熊は足を止め、百の数字が大きく印字されている貯金箱を持って笑みを浮かべる俺を見上げた。


 俺は樋熊の答えを聞くことなく、持っている物を揺すりながら言う。


「そう、これは百円玉の貯金箱。ちょっと振ってみると……結構な枚数が入っておりますなぁ。三百枚、いや、五百枚くらいあるかな。この中の一枚は俺の百円。恨みっ辛みが込められた俺の百円だ。ところで……レールガンって知ってる?」


 最後の言葉を聞いた樋熊は、銃を持った人間に追われるような恐怖の声を上げながら井戸を登ってくる。


 俺は口の両端を、限界まで吊り上げた。


「その毛皮、電気と打撃には強いだろうけどさぁ。科学兵器には敵わないだろ? という訳で、下に参りまーす」


 貯金箱にThunder Lordを描いて、右手親指で押し、そのまま自分の首を横に掻っ切って真下に向け、地獄へ落ちろと見下した。


 樋熊は決死の覚悟で古井戸の壁を蹴り、跳び上がる。


 それと全く同時だった。


 宙に浮いて帯電しながら無秩序な回転を行っていた貯金箱は真下を向いて動きを止め、紫電の閃光を発射していった。


 僅か二十秒で全弾を発射した貯金箱式ガトリングレールガンは、役目を終えた人工衛星のように重力に引かれて落下する。


「さすがに跡形も無く消えたかな? 中途半端に残ってるよりはその方が……って五体満足でいらっしゃる。変身が解ける程度のもんかよ……。レールガンってそんなに威力ないの? いや、樋熊が頑丈だっただけか。有効射程距離も短かったのかな?」


 Thunder Lordを描いて押し、発生した電気球を古井戸に投げ込み、恐る恐る覗き込んでみるのだが、樋熊は水面に顔を出して口を開けたまま、まだ人としての形を成していた。


 耳を澄ませると細い風切り音が聞こえてくる。


 間違いなく呼吸音であり、樋熊が生きていることを証明する。


「は~、生きてるのね。殺すつもりは最初から無かったから別にいいけどさ。まぁ生きてるっつってもタダじゃ済んでないっぽいし、人生後悔しながら、末永く御不幸せに」


 俺は鼻で笑い、振り返って母屋へと向かおうとしたが、足を止めてしまう。


 目の前には、意識を取り戻していた玲がいた。


 玲は滅茶苦茶な家と庭を見渡し、俺を見るのだった。

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