第27話 無駄にAgainstな黄金週間⑦
樋熊の顔は、微笑みが歪んだまま固まっていた。
そのまま立ち上がり、口だけを開く。
「口だけは立派になったようじゃのぅ。まぁそこまで喋れるなら……殺されても文句は言えんのぉ!」
樋熊は鬼の形相へと変貌した。
さらに右腕を伸ばし、ゆらゆらと不自然な動きを始める。
その動きは、四秒を経過することなく停止した。
樋熊は拳を握って人差し指だけを伸ばし、何もないはずの空中に、何かを押し込んだ。
俺は呆気に取られ、大粒の汗を垂れ流しながら、樋熊の行動から目を外し、樋熊の頭上のモニターを読んだ。
『このクソ餓鬼だけゃ殺す! コレで殺す……Bear Lord発動じゃあ!』
正直言って死んだと思った。
筋肉が膨れ上がり、ジャージの袖が破裂するように破け、そこから丸太のように太い、黒の毛だらけの右腕が俺の視界を覆う。
頭の中に過る言葉。
魔法が使える人達、意外と近くにいるかもしれないわ。
それは詠亜の言葉だ。
まさかこれ程身近に接点があるとは思っていなかった。
そして浮かぶもう一つの言葉。
味方であるとは限らない。
まさしくその通りだった。
こんな奴が味方であるのは天地がひっくり返っても御免だったが、突然目の前に現れるのは心臓に悪い。
何より完全に虚を突かれ、頭が体に運動の命令を送る事を忘れていた。
部分的な変化を遂げた樋熊の右腕は、勢い良く振り上げられ、俺の脳天目掛けて振り下ろしてくる。
この光景はまるで走馬灯のように、緩やかに流れる。
どう足掻いても、殺される。
そんな状況だった。
しかし、妙な安心感があった。
それは何なのか。なぜなのか。分からなかった。
目の前に、その答えが聳え立つ。
普段は頼りない上に弱腰で、桜の尻に敷かれ、詠亜にも簡単に唆され、なよなよした細い背中。
観月瑠璃の父親の、観月玲の背中だ。
初見には訳の分からない魔法が目の前で展開されて、俺でさえも驚愕のあまり行動不能に陥っているにも関わらず、玲は両手を広げ、樋熊との間に立っていた。
普通ならば足が竦んで腰が抜け、立ち上がることすら儘ならない状況にも関わらず。
『怖い……僕の家は……なんだこれは……僕の桜は……兄さんが怪物になった……僕の瑠奈は……これは悪い夢だ……僕の瑠璃は……嫌だ死にたくない……僕が守る!』
玲は恐怖の狭間で戦っていた。
守らねばならない人がいる。守らねばならない場所がある。
しかし怖い、死にたくない。
それでも立ち上がり、巨大な恐怖から守ろうとしてくれる。
そんな玲の父としての姿が、安心感を齎した。
それと同時に俺もまた、そんな家族を絶対守る。
その思いを先走らせるように、無意識の内に空へ文字を走らせていた。
Thunder Lordを振り上げるように叩き押す。
刹那、刃のように研がれた熊の爪が振り抜かれ、血飛沫が舞った。
「ほぉ……やはりのぉ、瑠璃。貴様もコッチの人間かぁ?」
舞ったのは樋熊の血だった。
「ちっ、生きてんのかよ。つーか驚かないってことは、勘付いてやがったな?」
樋熊は振り下ろした腕の軌道を変更していた。そうしなければ、俺が玲の足元から発生させた雷槍攻撃により、樋熊は腕を切断されていてもおかしくなかったからだ。
「きゃー! くまー!? なに!? 何が起きたの!? ぐぇっ」
そして樋熊は、熊の腕をそのまま畳に叩きつけて捲り上げ、樋熊の妻に被せるようにぶつけ、踏みつけて気絶させる。
「仲間内にも言えん力じゃけぇのぅ。お嬢、すまんが寝とれ。瑠璃、貴様は迂闊過ぎじゃ。どんな力かは知らんが、わしの拳を常人が受け止められる訳がなかろうが。まして子供がのぅ。それに、目の前の玲や、後ろの桜にはどう説明するつもりじゃぁ」
樋熊の言葉を聞き、慌てて前で動こうともしない玲の顔を覗き見る。
玲は立ったまま、両手を広げたまま、気を失っていた。
そのまま桜を見る。桜もまた、いつの間にか失神して――。
「素直じゃのぅ。まとめて、あの世へ、去ねぇ瑠璃」
樋熊は背中を見せる俺に向けて、三人を巻き込むように右から薙ぎ払う。
「そんな手に、俺が掛かると思ったの? さすが脳筋、ブァッカじゃねぇの!」
しかし俺は新たにThunder Lordを展開し、自身の立ち位置を、電位座標をズラして瞬時に樋熊の懐に移動する。
演技をしていただけだ。
俺にとって、樋熊の行動など手に取るように分かる。
なぜなら、心が丸見えだからだ。
力を振るう時、次なる行動は脳内で発せられ、そして筋肉に伝達されていく。
つまり行動を起こす時が一番心を読みやすいと言う訳だ。
その証拠に、樋熊のモニターに表示される文章は、簡潔に次なる行動を記していた。
ゆえに、空に魔法を描いて押し込み、掌に電離気体を発生させてプラズマを形成する。
瞬時にバスケットボールの大きさになったプラズマをチェストパスするように発射し、樋熊の鳩尾にぶつけた。
樋熊は三メートルばかり後退し、隣の部屋の襖に体を預けるだけで停止する。思ったより威力が出なかったので、がっかりする。
「ふぅっ、ふぅっ……瑠璃、貴様、殺す。殺さにゃ、気がすまんのじゃあ!」
「あははっ! マジでみじめだな! そんなんで俺を殺せるの? 大したことないじゃん! くくくっ、ねぇ、どんな気持ち? ねぇ、今、どんな気持ち!?」
息荒く雄叫びを上げる樋熊を見て、見下して煽ることにする。
こんなもので以前の瑠璃や玲、桜の苦労が報われたり、その他大勢の人達に掛けてきた迷惑が償われたりすることはない。
世の中暴力では何も解決しないというが、法律が社会のゴミを野放しにしている以上、誰かが掃除しなければならない。
その掃除係が自分なのだと、俺は役立たずな世間を憂いながらも、正義が悪を叩きのめす行為に酔いしれそうになる。
しかし、こんな思考はいつか身を滅ぼすだけであると理解している。
暴力が無いに越したことはない。
平和であることに越したことはない。
せめて身の周りが平和であるために、振りかかる火の粉を払うためだけに、悪の元凶を掃除する。
そのためにも、あくまで今だけ本気で戦うと決めているし、冷静になって樋熊の心を読む余裕もある。
『こんなクソ餓鬼に、わしの力が負けるはずがないんじゃ。あんな惨い殺され方して……なんで生きとるんかよぉ分からんが、これは閻魔がくれた復讐の力じゃ。のし上がって、わしをあんな目に合わせた連中に復讐するための力じゃ! 三年前、お嬢との結納後の夜、拉致され、山で生き埋めにされ、掘り起こされたと思うたら熊で……首だけが出とる状態で身動きも取れず……そのまま首を刈り取られた恨みを晴らすための力じゃあ!』
樋熊の頭上には、繰り返し、ただ繰り返し、魔法覚醒に至るまでの怨み辛みが綴られていた。他に綴られる文字達は、樋熊が次に起こす行動だけ。
樋熊は猛獣の爪でゆらりと空に文字を描く。光こそ残らないが、間違いなくBear Lordの軌跡。
そして突き刺すように押し込むと同時、今度は左腕までもが熊の腕へと変化を遂げる。
「これで、終いじゃぁ!」
樋熊は背を逸らして両腕を広げ、一瞬の溜めモーションから腕を交差させ、俺の下半身を刈り取るように攻撃を放ってくる。
「トドメの叫びはフラグだよ~ん。そらよっと!」
跳び上がって天井に張り付くように浮遊し、樋熊をやり過ごす。
そして隙だらけの背後に、背骨をくの字に折る肘撃を叩き込む。
樋熊はまるで小動物のように飛ばされて転がり、居間のテーブルを破壊してガラス戸までもぶち破り、離れと母屋の間にある庭へと放り出されたのだった。
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